かぶれの世界(新)

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だんだん

2008-09-23 16:34:11 | 日記・エッセイ・コラム

午前中に体育館で汗を流した後、昼食を済ませぼんやりテレビを見ていると、来月から始まるNHKの朝ドラ「だんだん」の番組紹介をやっていた。「だんだん」とは島根県出雲地方の言葉で「有難う」の意味だというが、私が育った愛媛県大洲市でも良く使われた言葉で違和感が無い。

田舎に住む義兄によると、江戸時代初頭に加藤家が米子藩から大洲藩に替地になり家臣や領民が大挙して大洲藩に移動し、出雲弁の一部が大洲藩一帯に広まったということらしい。江戸時代の大名の替地はいわば民族移動であり、地方文化の伝播のビーイクルになった。

因みに加藤家から分家した新谷藩は私が生まれた小村で、理由は知らないが例外的に幕府に大名と認められた1万石の小藩だった。お城の代わりに陣屋があり、その跡が今でも小学校になっている。私の祖先はずっと前から土着の農民で、遠方から殿様が来たという感覚だったはずだ。

小学校の頃の先生に聞いた話では、新谷藩は参勤交代で江戸を行き来するとき、恥かしくて素直に1万石とは言えず「ィーチ万石」と叫んで行列したと伝えられている。明治になり廃藩置県のあと人口数千の村が県扱いになったという歴史の一瞬があったという。

私の田舎の近くで、伊達政宗の庶子が藩主になった宇和島には、親藩のあった仙台から伝わったと思われるお祭りの鹿の被り物が見かけられる。上杉藩が米沢に替地になり質実剛健な文化が育ったのは歴史的にも有名だが、規模は小さいが同様の例が沢山ある。

現代ではこのようにある地方から別の地方へ纏まって統治システムやビジネス、文化が動くという機会は皆無であり、大名の国替えは日本の限られた時代の特異な出来事であった。現代なら大企業の工場移転を思いつくが、質量的にも文化的影響も比べ物にならない。

「だんだん」の言葉一つでこれだけ引っ張ることも無いのだが、義兄の説明を聞いた時から頭の片隅に残っており、機会があれば紹介したいと思っていた。蛇足だがNHKは報道番組だけでなく、ドラマも秀作が多い。近年特に質が良くなり見応えのあるドラマが増えた気がする。■

コメント (2)
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