かぶれの世界(新)

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グッドバイ、ミスター・ジョブズ!

2011-10-07 11:42:19 | ニュース

昨日朝食後にMLB中継を見ていると、スティーブ・ジョブズ氏がなくなったとテロップが流れた。8月にCEOを退任したばかりだったので、「もう来たか、意外と早かったな」というのが、私が最初に感じたことだ。ハイテック業界で長らく仕事をした人達と同じように、私も感慨深くニュースを見た。

1978年にアナハイムで全米コンピューター会議(NCC)があり、併設された展示会を見学した時に初めてアップルを見た。前年に発売されたアップルⅡが話題になり、日本でもエレクトロニクス等の雑誌で頻繁に取り上げられるようになった。だが、私はついでに見たという感じだった。

その頃のITの主役はメイン・フレーム・コンピューターであり、この中央処理装置に対するアンチ・テーゼとしてミニコンピューターに代表される分散処理のコンセプトが登場し注目を浴びていた。まだパソコンはビジネスに使う真面目な道具とは見做されておらず、アップルⅡも高価なオモチャ扱いだった。

アップルⅡはメイン会場には展示されず、隣のディズニーランドホテルの一角で折りたたみ式の机の上に展示されていた。そこにいたのはジーパンにTシャツの若者達で、もしかしたらその時が伝説のジョブズ氏やウォズニアック氏に最も近づいた時かもしれない。その頃まだパソコンがシリアスなビジネスになるとは思わなかった。

それから5年後の83年にベストセラー機マッキントッシュの前衛Lisaが発売された。同僚が調査用に購入したLisaを実際に見てアップルの先進性とパソコンの可能性の大きさを感じた。だが、ビジネスとしては企業用パソコンとしてウィンテル・モデルが大成功し、アップルは年々シェアを失い私のレーダーから消えていった。

再びアップルに注目するようになったのは、それから10年余り経った95年に私が米国に赴任してからだ。当時アップルはジョブズ氏が退任し何とか生き残っている感じだった。私は現地オペレーション拡大の為に送り込まれたが状況はむしろ悪化、アップル出身のオペレーションのプロがヘッドハントされ私の上司となった。何故か彼とは気が合った。

彼は私の下に現場に精通したスタッフを全米から集めてくれた。採用したのは主にアップルのオペレーション部門で働いた人達で、彼らが幹部として働き始めると急速に業績が改善していった。日本人スタッフは優秀だったが、米国人を使いこなすのは容易ではなかった。結局上司が紹介してくれた元アップル・スタッフが中心となって私の窮地を助けてくれた。

当時米国企業は本格的にアウトソーシングを始めた頃で、残されたメイドインアメリカを代表する新生アップル社に、オペレーション関係でも優秀な人材が集まったという。そのアップルが90年代にリストラに迫られ、人材が他社に出て行ったという事情があった。

彼らによるとオペレーション・スタッフはジョブズ氏と直接関りあう関係ではなかったが、彼らの受けた印象では妥協を知らないジョブズ氏と働くのはとても難しかったという。これは85年にジョブズ氏が一旦退社するまでの経験で得た印象を述べたと思う。96年にジョブズ氏はアップルに復帰したが、報じられるところでは彼の基本的な取り組み姿勢は変わらなかったようだ。

それからアップルとの直接の関りは無かったが、彼らのアウトソーシング活動の最先端の日本や台湾・中国などで擦違う事があった。当時中国の工場で見たアップル生産ラインは商品とは違って特別驚くようなものではなかった。2003年に私は早期退職し、それ以降は単に消費者としてジョブズ氏を見るようになった。それで却って彼の偉大さを感じるようになった。

彼は天才だったと思う。技術の持つ深い意味を理解し、その技術がもたらす新たな世界が見え、新たな商品とビジネス・モデルを創造した。技術者上がりの私の発想は従来技術の延長線上に留まり、技術をより早く安価な代替手段を提供するものとして捉え勝ちだった。その意味では発想が貧弱、つまり凡人だった。私にとって彼は最先端商品とビジネスが同時に見える稀有な天才だった。私にも何故か喪失感がある。グッドバイ、ミスター・ジョブズ!■

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