畑面積が大幅に減った
月が変わって今月の初めに、今度は田畑の境界確認をやった。田畑は山林と違い境界がはっきりしているので簡単だろうと思ったが別の問題があった。田んぼの境界は通常用水路で区切られているが、その場合通路がなければならず合わせて2mが公道になるという。
実体は畑に沿って50cmの溝があるだけだが、そこから1.5mは私の土地ではないのだと言う。運の悪いことに該当する畑の2辺に溝が通り、私の畑の側が公道になると登記図面にあるという。私の畑だけに公道を通すとは不公平な気がした。
区画整理をした当時、父は市の幹部で少なくとも間接的に関っていたはずだ。図面がそうなっているとなれば、文句言う筋合いではないと思いその場で了解した。2辺が1.5mも削られたと思うと、理由は何であれ凄く損をしたような気がする。先祖と子孫の両方に申し訳ない。
ここまで来た競争入札
その日の立会いの予定を終り、実家に帰る途中別のユニフオーム姿の一団に出会った。聞くと彼らは地元の森林組合で、国土調査中だという。国土調査は細かく地域を区切り、入札で作業を委託しているのだそうだ。実家の近くにある私の主要な山林は彼らの担当の一部だった。今までは松山市の民間測量会社だった。こういうところまで競争が持ち込まれているのは結構なことだ。
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森林組合は私が秋頃に田舎に来る予定だと市役所から聞かされていたが、具体的な日付は知らず今まで連絡が無かった。早速私の予定を伝え、後日立会いの日取りの連絡が来た。一度雨天順延となり、今週水曜日の午後に立会いをやり直すことになった。
先祖の確執を辿る
境を接する山林の持ち主の一人が私の同級生で、彼はこの辺では珍しい本格的な専業農夫だ。彼は農地に比べ山林にはそれ程興味がなく、かなりいい加減に境界を確定しようとした。だが、彼の父と境界を巡って確執があったので第三者が入り境界を明確にしたと母から聞いていており、私は母の教えてくれた目印をキチンと確認したかった。
係りの人と一緒に手入れされてない藪の中を歩き回り、母から聞いた通りの境界の杭を全て探しあてた。そのお陰で今回は境界を巡る論争もなく短時間に終った。他の1辺は山道が境界で確認は歩くだけだった。残りの1辺は急な斜面の境界に埋め込まれた小石で厄介だったが、調査員はそう時間をかけず10個余りの境界石を見つけた。境界石は不自然に地表から突き出していた。
ヤブコギに疲労困憊
最後の大物は実家の裏山にある。子供の頃はこの辺が最高の遊び場の一つだった。小川に沿った小道を駆け上がり、野いちごやすいこんぼうなどを食べた。その道は10年前に木出し道として一度機械で広げられたが、今は誰も通らず再び雑草に覆われていた。
山道が途切れるとその先は更に急斜面の藪で足元が緩く滑った。この程度でも子供の頃は何てことなかった。数分間急坂を登るだけで息が切れて追いつかなくなった。つい10年前までは重い荷物を背負ってバックパッキングしたというのに情けない。
「ゆっくり来てくださいね」なんて優しい言葉をかけてくれた割に調査員はドンドン先を行った。遅れてやっと尾根に辿り着くとどっと汗が噴出、下着がぐっしょり濡れて気持ち悪かった。長靴じゃなくて本格的な山靴にすべきだった。
信頼の相続
行く先々は既にピンクのテープと杭が打たれており、私は了解と言って確認するだけだった。というのは、母親がこの境界に接する地主は全面的に信頼出来ると言ったのを何度も聞いていた。その地主は郷土の成功者で、山林の境界は別の町に住む番頭さんが管理していた。
私は母が信頼できると聞いただけなのだが、それだけで安心して立ち会うことが出来た。調査員が別の日に番頭さんと確認したと聞くと境界をろくに調べもしないまま了解した。その方も相当の年齢のはずだが、生きている間に国調が実施されてよかったと思った。
四辺の境界が確認できたところで目印の杭打ちやテープを巻いていく調査員を残して先に山を下りた。シャワーを浴びて着替えサッパリしたところで玄関のインターフォンが鳴り、もう1ヶ所残っているので付き合ってくれという。参ったなー、もう。■