一公の将棋雑記

将棋に関する雑記です。

かりんの▲3九歩

2017-08-14 01:57:10 | 愛棋家
NHK-Eテレで毎週日曜日に放送されている「将棋フォーカス」は、将棋講座の部が室谷由紀女流二段の進行なので、毎週録画保存している。
まあ由紀ファンなら当然の行為だが、そんなわけだから、いつでも観られる将棋フォーカスは、リアルタイムで観なくなってしまった。
しかし13日はビデオデッキのHDD容量がなくなって、録画できなかった。もっとも将棋フォーカスは木曜日に再放送があるから問題はないのだが、そんなこともあって今回は、途中からリアルタイムで観た。

船江恒平六段の詰将棋が終わると、乃木坂46・伊藤かりんちゃん進行の特集で、今回はかりんちゃんの「武者修行三番勝負」だった。
舞台はNHK文化センター青山校で、ここはたしか植山悦行七段が講師を務めているところだ。
果たしてそうで、VTRでは植山七段の姿が見えた。野月浩貴八段の姿も見え、現在は野月八段も講師に加わっているようだ。
今回は野月八段立ち合いのもと、かりんちゃんはここの生徒と三番勝負をするらしかった。
さて対局。1局目(対女性)はやや苦しめの将棋に見えたが、かりんちゃんの勝ち。
2局目(対女性)はさらに苦しく、これはかりんちゃんが負けたと思った。
が、△4九竜と迫られた手に対し▲3九歩と金底の歩で受けたのがかりんちゃんの好手。これが相手の動揺を誘い、相手の悪手に乗じて逆転、素早く寄せて、かりんちゃんの勝利となった。
3局目は実年の男性で、教室の最強者だという。これはかりんちゃんも厳しい手合いに思えたが、相中飛車から終始気持ちよく攻めたようで、殊勲の銀星となった。
終わってみれば3連勝で、これはかりんちゃん、お見事だった。
振り返って私が感心したのは、2局目の「▲3九歩」である。「金底の歩、岩より固し」と格言は教えているが、実際に指せる人は意外に少ないものだ。昭和54年5月24日に指された第18期十段戦リーグ・▲米長邦雄九段VS△大山康晴十五世名人戦で、米長九段が▲6一竜と入った手に大山十五世名人が△7一歩と打ち、先手の攻めをピタリと抑えて快勝したことがあったが、あの局面を想起した人も多かったと思う。
野月八段も述べていたが、プロが評価するのは、快勝した将棋より、苦戦を逆転勝ちした将棋だと思う。今回かりんちゃんは苦戦になっても粘り強く指し、実に強かった。
将棋というのはイヤイヤ勉強しても強くならないから、かりんちゃんはふだんから自発的に研鑽を積んでいるのだと思う。
野月八段は最後に「このぶんなら有段ももうすぐ」と述べていたが、まったく同感である。このままメキメキと実力を付けて、かりんちゃんには芸能界の女流名人になってもらいたい。応援しています。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

テンパる男

2017-06-08 00:06:33 | 愛棋家
1日は、「近代将棋」元編集長・中野隆義さんのお通夜に行った。
夕方、「仕事中」にもかかわらず、「ミスDJリクエストパレード」をRadikoで聴いていたら、得意先の上役が突然いらして、聴取が中途半端になってしまった。
5時になり、私は外出の用意である。私は黒のスーツを持っていないので、それに近い色で誤魔化す。香典袋を袱紗に包み、お数珠を用意し、念のため名刺入れも内ポケットに入れた。
イヤホンをスマホに付けて、家を出る。Radikoのタイムフリーは一度再生すると、聴取を中断しても、その番組は3時間で聴けなくなってしまうので、できるだけ長く聴きたいのだ。
しかし電車内は意外と騒音がひどく、千倉真理のDJがうまく聴き取れない。こりゃダメだと諦め、イヤホンをポケットに仕舞った。
重要なのはお通夜だ。私はお通夜に列席したことがあまりないので、予習をしておく。スマホで該当するサイトを開き、「香炉の抹香は3回つまむ」「振る舞い膳は断らずにいただく」等々を頭に入れた。
赤羽駅で下車する。目指すは南口だが、繁華街のほうに下りたら東口で、若干時間をロスした。
会場の「千代田赤羽駅南口ホール」は、埼京線の高架下にあった。受付には観戦記者のS氏、将棋ペンクラブのA氏がいた。
香典を渡すと、まず待合室に通された。いきなりお焼香ではないらしい。
指示された席に座り待っていると、将棋ペンクラブの三上氏らが見えた。一呼吸して左を見ると、大野八一雄七段がいた。このお通夜は将棋関係者が多く列席するはずだ。
三上氏がきて挨拶される。私は頭を垂れるのみである。
お焼香が開始された。1テーブルごとに呼ばれ、やがて私たちのグループも呼ばれる。
3人一組でお焼香のようだ。隣の祭壇室の手前に来ると、右手にご遺族とご親族、左手に佐藤康光会長、渡辺明竜王がいた。
私は3人組のいちばん右。皆さん荷物はどうするのかと見ていると、左手の空いている椅子の上に置いていた。私もセカンドバッグを抱えている。
私の番がきた。しかし荷物置き場?は左手で、ここからは遠い。スタッフの女性は、「右手に置いてください」というが、右手はご遺族の席で、空いている席が見つからない。
私が動揺すると、スタッフさんが「ああ、私が持ちます」と預かってくれた。
その間、左のふたりは祭壇の前に進んでいた。その手には数珠がある。あ! 数珠!
私はご遺族とご遺影に一礼したあと、ポケットをまさぐる。あった…と出したら、何とイヤホンだった。これじゃドリフのコントじゃねえか!
私はイヤホンを戻し、またポケットをまさぐる。さっと出したらさっきのイヤホンだった。バカが、イヤホンを数珠代わりにしてどうするんだ!
数珠は!? セカンドバッグの中か!? しかしそれはスタッフさんが持っている!
完全に我を忘れた私は、そのまま合掌して回れ右をすると、スタッフさんからバッグをもらい、顔から火が出る思いで、向かいの談話室に入った。
案内された円卓の席に座ると、右手に見覚えのある美女がいた。私が思い出せずにいると、「Aです」。
そうだそうだ、「A氏の奥さん」だった。
以前私と八枚落ちで将棋を指し、私が勝勢になったら「大沢さん、ずるいー!!」と駄々をこねた、あのA氏の奥さんである。
「ああAさん、久しぶり。いやさっき数珠の代わりにイヤホン出しちゃってさ…」
「キャハハハ」
中野さんとご遺族に何と詫びればいいのか。バッグの中をあらためると、しっかり数珠が入っており、私は天を仰いだ。ああ、そもそもバッグを預ける必要はなかった。ふつうに腋に挟んで、お焼香をすればよかったのだ。
周りを見ると、私の2つ左に森下卓九段、その右に佐藤義則八段がいた。場所が場所なら森下九段には「花みず木女流オープン戦の解説を毎年楽しみにしています」、佐藤八段には「第18期と19期十段戦の予選決勝は惜しかったですね」と一声掛けるところだが、ここではうかつな発言ができない。
振る舞い膳のお寿司をつまみ、若干落ち着きを取り戻す。
Fuj氏も来室し、同じ円卓についた。A氏の奥さんに、「彼は将棋バカです」と紹介すると、「大沢さんがそう言うくらいなら、かなりの…」と笑った。
しんみりした席がちょっと和んだ。
ほかのテーブルを見ると、森内俊之九段、郷田真隆九段、植山悦行七段、中井広恵女流六段、湯川博士氏、美馬和夫氏らの顔が見えた。
私の左の席は空いているが、そこに中田功七段が座った。中田七段は近代将棋のアマプロ戦に出場したことがあり、奨励会二段の時に、アマ強豪に屈したことがある(はずだ)。
私は「今月号の将棋世界の、三間飛車講座はおもしろかったです」と言いたかったが、やはり口をつぐむ。
円卓の席が埋まったところで、あらためて献杯となった。
Hak氏がきた。「大沢さんのブログは、本人が(実生活で)失敗すればするほど、おもしろいですね」
私は苦笑いするのみである。
お坊さんの読経が終わったようで、私たちは再び祭壇室に呼ばれた。ご遺族のあいさつがあるようだ。
私たち全員は中に入れないので、大半が廊下で聞く。私の右には中田七段、左には森下九段がいた。
佐藤会長の弔辞が始まったが、マイクの関係でよく聞き取れなかった。
渡辺竜王は、自身が「近代将棋」に連載を持っていたことから、「中野さんにはよくしていただいた」という旨の弔辞だった。
続いて中野さんの奥さんのあいさつである。
「主人は、将棋を愛し、家族を愛し、友を愛し、酒を愛し…酒を、愛しすぎました。素晴らしいひとでした」
何とも泣かせるあいさつではないか。中野さんの苦笑いしている姿が浮かんだ。
続いてご遺体との対面になる。行きがかり上、弔問客のすべてが拝顔することになった。中田七段に私の前を譲る。順繰りに拝顔し、私も中野さんを拝顔した。中野さんは交流会の時と同じ顔だった。
(中野さん、いい具合に酔っぱらって、温泉に入ったんですか?)
中野さんは答えない。ちょっと笑ったようにも見える。
私の前の中田七段が、「中野さんには私が15の時から近代将棋にお世話になりました…」と言う。「大きくなって」とご遺族が返した。
私も何か言うべきなのだろうか。私は口を開く。
「先日のペンクラブの交流会では、中野さんと将棋を指させていただきました。いい思い出になりました。ありがとうございました」
しまった、お通夜の席で「ありがとう」はないだろう。しかも語尾はごにょごにょと濁さなければならないのに、ハッキリと発音してしまった。私は再び自己嫌悪に陥る。
表へ出ると、湯川恵子さんに挨拶された。
「大沢さんのブログ、よかったですよ」
「最新のですか?」
将棋ペンクラブ交流会の記事は、中野さんが亡くなる前に書き終えていたものだ。「あれはあえて記事を訂正することなく、そのまま載せました」
「……」
恵子さんはあまり反応がない。ああ、交流会ではなく、中野さん逝去の記事のことを云っていたのかもしれない。
とにかく今回のお通夜は、私は最初から最後まで、失敗の連続だった。

中野さんのご冥福をあらためてお祈りいたします。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

中野隆義さん、逝去

2017-05-31 12:00:12 | 愛棋家
昨夜、将棋ペンクラブ幹事・M氏のブログを見たら、「中野隆義さん逝去」のタイトルがあったのでびっくりした。
見ると、29日に旅先の鬼怒川温泉で、心疾患により亡くなったという。享年65。
あまりのことに、私は言葉も出なかった。だって、つい先日の将棋ペンクラブ関東交流会で、私は中野さんと将棋を指したばかりなのだ。
中野さんは相変わらず酔っぱらっているような、飄々とした感じで捉えどころがなかったが、もちろん将棋は強く、その時も私は早々に敗勢になったものだ。体調不良など微塵も感じさせず、いつもの中野さんだった。それだけに今回の報は衝撃だった。まったく、訳が分からない。ヒトの命は、こうも簡単に潰えてしまうものなのだろうか。
中野さんは1990年代後半から「近代将棋」の編集長を務められた。しかしその頃は近代将棋の売り上げも右肩下がりで、相当なご苦労があったようである。
2008年、近代将棋休刊。老舗雑誌の休刊により、ひとつの時代が終わった。
それから中野さんとは、将棋ペンクラブの関東交流会や大賞贈呈式で顔を合わせることとなった。
傍らにはいつも団鬼六氏がいて、氏のお伴のような雰囲気があった。また、二上達也将棋ペンクラブ名誉会長にも寄り添い、そっと手を貸していたイメージもある。
そんな中野さんには「将棋を指しても勝ちに行かない」という都市伝説があった。
すなわち勝勢になっても相手に勝ちを譲るというのである。実際私も必敗の将棋を何度か拾い、先日の将棋も私が逆転勝ちしていた。これを好意的に解釈すると、近代将棋の読者に勝ってはいけない、というポリシーがあったことになるが、そこはやはり都市伝説で、実際は終盤のポカが多かったということだろう。今回中野さんは、おのが人生でそれをやってしまった。
でも天国には、永井英明・近代将棋初代編集長、団鬼六氏、二上名誉会長、大山康晴十五世名人ほか昵懇の棋士が数十人もいて、あちらの方が楽しそうではある。
それにしたって中野さん、ちょっとおっちょこちょいだよ。逝き急ぎすぎる。もうちょっとこの世で生きていたって、何の不都合もなかったんじゃないですか?
まったく、中野さんが亡くなった実感がまるでない。今年のペンクラブ大賞贈呈式には、中野さんが「どうも」とフラリと帰ってきそうな気がするのだが、こう思っているのは私だけだろうか。嗚呼…!
飄々人生の達人に、合掌。

お通夜は6月1日(木)午後6時から、葬儀は2日(金)午前9時から、「千代田赤羽駅南口ホール」(東京都北区赤羽南2-9-78、JR赤羽駅南口より、線路沿いに徒歩8分)で執り行われるようです。私も中野さんの旅立ちを見送ってくるつもりです。
コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

Hisさんに告ぐ。

2015-01-06 00:39:46 | 愛棋家
His氏は還暦を過ぎているが自他ともに認める将棋バカで、愛すべき存在である。
氏は茨城県在住だが、東京に出てくるときは、金曜日にLPSA芝浦サロンで指し、土・日曜日は大野教室で将棋三昧となる。
宿泊場所はネットカフェで、もうこれだけでも口あんぐりなのだが、氏がネットカフェに泊まるのはちゃんとした理由がある。氏はここで、一晩中ネット将棋を指すのだ。つまり完徹である。
再び書く。何たる将棋バカか。
将棋合宿でも、His氏の将棋バカぶりが発揮される。私たちは深夜まで将棋を指すが、いつも最後まで残っているのはHis氏である。
翌朝起きると、広間で駒の音がする。見ると、His氏がひとり将棋を並べているのだ。
あんた、睡眠時間は何時間なんだ…。

ジョナ研にも何度か参加してくれたが、もちろん一番乗りで、私たちが入ると、「将棋指そう」が決まり文句だった。
ちょっと早すぎませんか。

His氏は3年前の稚内での親睦会にも参加したが、夜、ホテルの部屋では将棋となった。このときは最後に私がお付き合いしたが、対局は深夜3時過ぎに終わり、私が幸いした。するとHis氏は神妙な面持ちで、
「もう一局お願いできますか…」
ときたものだ。
私も応じざるを得なくなり、次の将棋は負けた。時に午前4時20分。His氏は徹夜も辞さずの構えだったが、さすがに私がギブアップして、解放してもらった。
His氏は、離島へのフェリー内やホテルのフロント、空港の待合室でも将棋三昧。参加者で最も将棋を指したのだった。

Hisはこのブログにも何度かコメントをくれ、いずれも長文で、「熱かった」。
そのHis氏が昨年初頭、大野・植山教室を久しぶりに訪れた。聞くと、重病で入院していたそうで、現在も加療中とのことだった。
私たちは型どおり心配したが、体力自慢のHis氏のこと、すぐに快癒するものと信じていた。
ところがそれから、His氏からのアクションがない。当ブログへのコメントはないし、教室にも顔を見せない。
事情が事情だけに、私たちには最悪の事態が頭をよぎる。His氏宅の電話番号を知っているのはW氏だけである。しかしわざわざ確認するのも味が悪い。最悪の事態なら、知らないほうがいいからだ。結局私たちは何もできないでいた。
そこへもってきて4日、W氏を通じて、大野八一雄七段からの情報があった。大野七段はHis氏に年賀状を出したが、宛先不明で戻ってきてしまったという。
これはイヤな事実である、ご本人がなくなって、残った奥さんが自宅を引き払った…?
この想像はそんなに突飛でない。しかし、あってはならないことだ。

Hisさん…。元気だったら、このブログにでいいから、一言くれませんか。
また将棋指しに行くよ、って、書いてくれませんか。
お願いします、ホントに。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

7月1日(火)の「開運!なんでも鑑定団」に刮目せよ

2014-06-28 12:42:22 | 愛棋家
27日(金)にKun氏から入手した貴重な情報である。
テレビ東京の人気番組「開運!なんでも鑑定団」に、将棋ペンクラブ幹事にて観戦記者の、湯川博士さんが出演する。
放映日時は7月1日(火)午後8時54分から。番組ホームページでの紹介は以下のごとくである。

明治時代、日露戦争で武勲を挙げた後、小笠原に渡り木工職人になった祖父が現地から持ち帰ったお宝に驚きに鑑定結果が!一体何故?

どうも、将棋関係のお宝ではないようである。
私はふだん当ブログで、湯川さんのことを「鬼瓦」と表現しているが、実像はどうなのか。今回は読者が確認できる、絶好のチャンスである。もっとも実際の湯川さんはとても気さくで、話していて楽しいオジサンだ。
ささ、これを読んだ皆さん、早速ビデオ録画のご用意を。
コメント (4)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする