一公の将棋雑記

将棋に関する雑記です。

6月15日の過去記事

2023-06-15 23:46:13 | プライベート
6月15日の過去記事を再掲しよう。
※は本日のコメント

■2009年
「村山聖九段からの挑戦状」
金曜サロンの会員であるI氏が言うには、本日6月15日は、故・村山聖(さとし)九段の生誕日だそうだ。村山九段は1969(昭和44)年生まれ。1998(平成10)年8月8日、29歳で夭折。もし生きていれば、きょうで40歳になったわけだ。

※きょうは村山九段の生誕日だった。すっかり失念していた。生きていれば54歳になったわけだ。

■2010年
「金曜サロン・大庭美樹女流初段⑩」
4月9日のLPSA金曜サロンは、1部(午後2時~6時)が大庭美樹女流初段、2部(午後4時30分~8時30分)が松尾香織女流初段の担当だった。これは3月12日と同じ組み合わせである。きょうは大庭女流初段との一局を振り返る。

※このころは毎週のようにLPSA金曜サロンに行っていた。

■2011年
「6月13日のマンデーレッスンS(後編)・二度負けた」
「ああっ、二歩だ!!」
二歩をっ、二歩を打ってしまった!! 「7二」に歩が落ちていた。それに気付かず、私は二歩を打ってしまったのだ! それも自信満々で!! 何てことだ、恥ずかしい!!

※この日は植山悦行七段が指導対局にあたってくれた。ただ、このサービスも賛否両論があった。

■2012年
「中井広恵と行く稚内ツアー(第3手)・湯上がりの女神」
中井広恵女流六段は、ピンクのTシャツにジャージ姿だった。腰には何か巻いている。湯上がりのようで、頬もほんのりピンクに染まっている。髪はもちろんアップである。秩父合宿での、温泉旅館の浴衣姿もよかったが、全身ピンクもグッドだ。
な、な、なんてかわいいんだ中井先生!!

※中井女流六段、植山七段、大野八一雄七段と、稚内に将棋の旅に行ったもの。いまでは考えられない、いい思い出である。

■2013年
「6月のジョナ研」
7日(金)はLPSA芝浦サロンで中倉宏美女流二段の美貌に酔いしれたあと、R氏といっしょに、駒込の「ジョナサン」に向かった。
R氏はもともと、7日の女流棋士会・スーパーサロンに申し込んだが、満席で断られたという。金曜日は中村真梨花女流二段の担当だが、きょう7日は藤田綾女流初段が代打だったらしい。それで満席になったのかとR氏は嘆いた。

※「ジョナ研」とは、駒込にあったファミレス・ジョナサンにみなで繰り出し、食事をしながら将棋を愉しむというもの。これもいまでは考えられない。自分で言うのもなんだが、このころのブログは本当に面白かった。

■2014年
「衝撃のジョナ研」
ジョナサン王子神谷店には午後8時ごろに入ったんだろうか。今回は初めて、店の左奥隅に通された。
そこは4人席で、そのとなりは2人席。もしも6人だったら恰好なのだが、店内は混んでいて、先乗りして席を予約しておくという雰囲気ではなかった。駒込ジョナサンの「ジョナ研ルーム」で自由に動けたころが懐かしいが、もっともきょうの参加予定は3人である。

※駒込ジョナサンが閉店し、私たちは新天地を求めたが、結果的にうまくいかなかった。

■2015年
「今年の社団戦」
今年も社団戦が始まった。
私が注目するチームは3つ。すなわち「星組2008」「将棋ペンクラブ」「大野・植山教室」である。今年は例年より1か月早く、5月31日に第1日目が行われた。先日その結果が公表されたので、記してみよう。

※2015年の社団戦第1日は、5月31日だったことが分かる。

■2016年
「将棋ペンクラブ関東交流会2016(3)「熊倉女流初段に教えていただく」」

第2図以下の指し手。△4二金寄▲8一飛成△4五角▲9一竜△7八角成▲5四歩△同銀▲4六桂△4五銀▲5三歩△3六銀▲同歩△2四桂▲2五銀△5六馬▲5二歩成△同金寄▲2四銀△3六桂▲同歩

※この年の関東交流会は、熊倉女流二段にお越しいただいた。最後、熊倉女流二段の色紙を賭けて某氏とジャンケンをしたのだが、残念ながら負けてしまった。

■2017年
「「第29回将棋ペンクラブ大賞」二次選考を終える」
今年も「将棋ペンクラブ大賞」選考の季節がやってきた。
私は数年前から二次選考委員を仰せつかっており、今年はその採点を13日までに終え、幹事氏宛てに投函した。

※二次選考の作業は、苦しくも楽しい。

■2018年
「最近見た夢(2018.06.08、09、13、14)」
13日、オフクロが「朝、雨戸を開けた時、気付かなかった?」と言うから何事かと思ったら、庭の桃の実が取られていたという。赤くなっていたやつをねこそぎだ。
いくら赤くなっていたとはいえ、まだ固く、小さい。それを人間が持って行くとは思われないが、どうなのだろう。

※冒頭に現実の出来事を書いている。このころはまだ、庭の桃の木は元気だったのだ。

■2019年
「将棋ペンクラブ関東交流会2019(3)」
▲一公
△七段 佐藤紳哉
(角落ち)

初手からの指し手。△6二銀▲7六歩△5四歩▲2六歩△4二玉▲2五歩△3二玉▲2四歩△同歩▲同飛△5三銀▲3六歩△2三歩(第1図)

※佐藤七段に指導対局を受けたのだ。薄毛同士の戦い。

■2020年
「女流棋士12星座・2020年版」
当ブログでは2015年10月27日に、女流棋士(退会女流棋士、奨励会員を含む)の12星座を記した。
今回、改定版を記す。

※2023年版も書いてみようか。

■2021年
「第80期順位戦昇降級予想者の、1回戦の結果だけ見てみる」
当ブログでは毎年、名人挑戦者と順位戦の昇降級者を予想している。今年も5月11日に予想したのだが、あれから1ヶ月が経ち、各クラスとも1回戦(ないしは2、3回戦)をほぼ消化した。そこで、各棋士の1回戦はどうだったか、確認してみよう。

※今年はA級が1局、B級1組とC級1組、C級2組の半数が1回戦を終えた。

■2022年
「「読む将棋2022」を読む」
「読む将棋2022」の感想も記しておこう。
同誌は文春ムックで、文藝春秋社の発行である。きのうは書かなかったが「Number」も同社発行で、いまや将棋特集誌で文藝春秋の右に出るものはない。

※文藝春秋は本当にいい将棋本を出す。芸能人のどうでもいいプライベートを暴く週刊文春を出している同じ会社とは思えない。
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堀女流1級に期待する

2023-06-14 23:47:20 | 女流棋士
きのう行われた第13期女流王座戦二次予選で、堀彩乃女流1級が室田伊緒女流二段に勝ち、初の本戦トーナメント進出を決めた。

図の、銀を取りつつ竜を切った手が強手で、以降も難しいところはあったが、堂々と勝ち切ったのだった。

そんな堀女流1級は2016年8月、女流3級の資格を得た。このとき、LPSAに入会した。
それまでLPSAへの新入会は船戸陽子女流三段の例があったが、新人の入会はなかった。ゆえに、この状態が続けばLPSAの未来は尻すぼみ、と考えられていた。そこにこの朗報だったわけだ。堀女流3級の師匠は、同じ高知県出身の森雞二九段。姉弟子にLPSAの島井咲緒里女流二段がいた。とはいえ、けっこうな決断である。それが分かっているから、堀女流3級の新入会は、全国のLPSAファンに夢と希望を与えたのであった。
2017年3月、堀女流3級は女流2級に昇級し、正式な女流棋士となる。
2019年10月、女流1級に昇級。
ここまではまあ、順調といえよう。しかしその後は停滞し、きょう現在女流1級のままである。
ちなみに2017年3月以降のデビューで、女流初段以上になっている女流棋士は、武富礼衣女流初段から松下舞琳女流初段まで、12名に上る(加藤桃子女流三段、西山朋佳女流三冠を除く)。
女流初段への昇段規定は、年度指し分け(8勝以上)がポピュラーだが、堀女流1級はそれすら達成できなかったことになる。たとえば昨年度(2022年度)は途中まで13勝9敗だった。ところがそれから悪夢の5連敗。まさかの負け越しで1年が終わり、女流初段昇段を逸したのだった(もっともこの時期、堀女流1級は精神的にも肉体的にも、対局どころではなかったから、やむを得ない)。
それと誤解なきよう書けば、私も堀女流1級に指導対局を受けたことがあるが、何度も吹っ飛ばされた。強い将棋だと思った。
服装はいつも黒系で古畑任三郎を想起させ、自宅にはテレビを置いてない、とどこかで聞いた。それだけストイックに将棋に取り組んでいる証でもあるが、それが成績に反映されないのがもどかしい。「女流1級」はいかにも字づらが悪い。
最近の堀女流1級は、大野教室に通い、腕を磨いている。その成果が徐々に表れ、今年度はこの勝利で6勝1敗である。第3期白玲戦・女流順位戦D級では、昇級の目も残している。
堀女流1級は将棋ペンクラブの将棋会にも指導に来てくれ、会員のファンも多い。そんな私たちの期待に応えてくれたら、うれしい。
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学生大会での不正

2023-06-13 23:37:38 | 将棋雑記
先日のスマホカンニング事件にはちょっと驚いた。
事の発端は、4日(日)に行われた第79回全日本学生将棋名人戦である。その決勝戦である学生が勝ったのだが、対局中に離席が多く、局後に対戦相手から抗議を受けた。そこで関係者が優勝者の身体を調べたところ、スマホでAIを利用した形跡があり、不正があったと認定された。当然彼は失格。入賞の3名はそのまま繰り上げとなった。
この件、なんと言ったらいいのか。
スマホを使った不正疑惑は、かつてプロの将棋界にもあった。これを教訓として、私たち将棋プレイヤーは、誤解を受ける行動は慎むようになった、はずだった。
それを持ち時間60分の中で何回も離席しちゃあ、それは疑われる。こういう不正をやるときは、いつもと違う行動をしてはダメなのだ。まったく離席せず、例えば第三者とグルになり、アイコンタクトで指し手を伝えるとか、細心の注意を払って行うべきだった。
というのは悪い冗談だが、なんでこの学生はこんなバカなことをやったのだろう。
これ、AIの指し手をカンニングするにしても、正確な局面を入力しなければならないから、けっこう手間がかかる。というか、悪い局面になってから最善手を指しても挽回できない可能性があるから、不正をするなら序盤から行わなければならない。だから離席の回数も多くなったわけだが、(たぶん)トイレの往復時間を考えると、かなりせわしなかったと思われる。そこまでして勝ちたかったのか?
同大会は朝日新聞社の後援ということもあり、優勝者には朝日杯将棋オープン戦に出場できる特典があった。この学生はそれを欲したのだろうか。
ただくり返しになるが、これではバレる。バレない、と思わなかったのが浅はかで、将棋を趣味にしながら、なんでこんな初心者レベルの先読みができなかったのだろう。
ところでこの大会の模様はアマレンの会報誌に掲載される予定だったが、こんなことがあったから、関係者は頭を抱えているという。
だいぶむかしの話だが、お笑い番組に出場したコンビのひとりが、放送前に逮捕されたことがあった。その後この番組は放送されたが、そのコンビの出ている場面は綺麗にカットされていた。
では今回の場合はどうするか。トーナメント表は、該当選手を空欄にするのだろうか。決勝戦と3位決定戦の写真は、該当者にモザイクを入れるのだろうか。
ネットの記事では、この学生への誹謗中傷は慎みください、とあった。だけどそれは無理だと思う。なぜならこの学生は、それだけのことをしでかしてしまったのだから。
この学生と大学には、まだ処分が告げられてないらしい。私だったら重くしちゃうが、日本人には「罪を憎んで人を憎まず」という美徳があるからなあ。執行猶予が付くかもしれない。何に対しての執行猶予か分からぬが。
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羽生善治会長誕生

2023-06-12 15:59:05 | 将棋雑記
このたび、羽生善治九段が日本将棋連盟会長に就任した。
まず、歴代会長を記しておこう。

1947年~1948年 木村義雄十四世名人
1948年~1953年 渡辺東一名誉九段
1953年~1955年 坂口允彦九段
1955年~1957年 萩原淳九段
1957年~1961年 加藤治郎名誉九段
1961年~1967年 原田康夫九段
1967年~1969年 坂口允彦九段
1969年~1973年 丸田祐三九段
1973年~1974年 加藤治郎名誉九段
1974年~1976年 塚田正夫名誉十段
1976年~1989年 大山康晴十五世名人
1989年~2003年 二上達也九段
2003年~2005年 中原誠十六世名人
2005年~2012年 米長邦雄永世棋聖
2012年~2017年 谷川浩司十七世名人
2017年~2023年 佐藤康光九段
2023年~20XX年 羽生善治九段

羽生九段で17代目、15人目。名人経験者としては8人目。
初代会長は木村十四世名人。当時の名人は塚田正夫。名人と会長を併せ持つと権限が強すぎると考えられたため、木村前名人の就任のタイミングは絶好だった。
1976年に大山十五世名人が就任したときは、棋聖のタイトルを持ち「十五世名人」を名乗っていたが、現役名人でないからよかったのだろう。
それより大山会長には関西将棋会館建設という重責があり、連盟も大山十五世名人のネームバリューが必要だった。
大山会長の凄まじいところは、会長職の激務にありながら、名人戦を含む数々のタイトル戦に登場し、王将を奪取、防衛したことである。名人戦七番勝負は中原名人に敗れたが、名人就位式で、「今年の挑戦者は誰かと思ったら、私でした」と鉄板のジョークで周りを笑わせた。
大山会長時代は14年間続いた。だが長く続くと周りもイエスマンばかりになり、弊害も出ていたようである。本人は不本意だったと思うが、1989年に会長を勇退した。
そのあとを継いだのが二上九段である。二上会長時代も14年続き、歴代最長となった。これは二上九段が大山十五世名人の実績を上回るものとして、自慢のひとつだったという。
2005年に中原会長のあとを継いで就任した米長永世棋聖は、会長として大車輪の活躍をしたと思う。
2012年、将棋ソフト・ボンクラーズとの対局は、会長としての最後の大仕事だったと思う。
米長会長はつねづね「70歳からの生き方」を説いていたが、それが叶わぬまま69歳で亡くなった。米長永世棋聖の魂は、いまも将棋会館にあるのではなかろうか。
さて、ついに羽生九段の就任である。羽生九段の師匠は二上九段、二上九段の師匠は渡辺名誉九段で、会長の系譜が繋がれたわけだ。
羽生会長への期待は大きく、今後大きな活躍をしてくれるだろう。
しかし私はプレイヤー・羽生九段に関心があるので、大山十五世名人以来の、タイトルホルダー兼会長を期待している。会長は激務で対局に支障がないはずがないが、前任の佐藤九段は、それでも順位戦A級を張り続けた。羽生九段なら「タイトルホルダー兼会長」が実現できると信じている。そしてそうなったら、タイトル100期の大台達成である。
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海外対局

2023-06-11 23:16:42 | 男性棋戦
いまさらだが、藤井聡太棋聖VS佐々木大地七段の第94期棋聖戦第1局である。この一局、ベトナムで行われたことで話題になった。
海外対局はこれが歴史上25局目。第1局は1976年に行われた第1期棋王戦リーグで、内藤國雄九段VS大内延介八段(当時)戦だった。当初は内藤九段-高島弘光七段(当時)戦の予定だったが、高島七段が固辞したため変更になったという経緯がある。
25回のうち最も多い棋戦は竜王戦で、15回を数える。すべて開幕局で、当初は毎年開催、途中から2年に1回となり、2014年が最後になっている。
棋聖戦は1985年の第46期第2局・米長邦雄棋聖VS勝浦修八段(当時)が最初で最後である。
今回、棋聖戦がなぜ海外対局になったのか、外野には皆目わからない。主催の産経新聞社もそんなに予算はないはずだが、特別協賛のヒューリック社が相当頑張ったと思われる。
ベトナムでは現地の将棋ファンが、藤井棋聖を目の当たりにして感激の面持ちだった。これだけをとっても、海外対局をやった甲斐があったというものだ。
さて本題の第1局、藤井棋聖が先手になり、角換わりになった。となれば、お互い右金をまっすぐ立ち、飛車をひとつ引く、いつもの形となる。
と、佐々木七段は4筋に飛車を回った。玉飛接近の悪形だが部分的にある形で、藤井棋聖の実戦でもあった気がする。
そこから藤井棋聖が右桂を捨て、本格的な戦いに入った。藤井棋聖は、右桂をよく捨てる気がする。
ここからもう理解不能の戦いが続くのだが、佐々木七段がよく指しているのが分かる。
佐々木七段が中央に角を打つ。なんとなく良さそうな手で、これは佐々木七段のほうが形勢がいいのではないか?
藤井棋聖は金と「と金」で敵銀と交換し、その銀を自陣に埋めた。これが辛抱の手で、私もそんなに藤井将棋を見てきたわけではないが、こうした手はなかったように思う。叡王戦での相穴熊もそうだったが、藤井棋聖は刻々と進化を遂げていると思う。
さらに藤井棋聖は、敵陣に打った飛車を引き付ける。似たような手は先の名人戦第1局でも出てきたが、これも藤井将棋の新たな「顔」だ。
以下、進んでみれば藤井棋聖の勝勢となった。113手まで、藤井棋聖の勝ち。
今シリーズ、個人的には佐々木七段を応援しているが、藤井棋聖はやはり強かった。ただ本局を見る限り、佐々木七段は藤井棋聖とほぼ互角に渡り合っていたと思う。佐々木七段の棋聖奪取には「3勝1敗」と考えると気が遠くなるが、第2局で勝てば再スタートとなる。とにかく第2局だ(23日)。
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