今日は朝から降ったり晴れたりと、ややこしい天気です
いつもの通り、海王丸パークへ出かけます、家を出たらさっそく降ってきました
途中で前も見えない大雨になるかと思えば、日が差して暑くなってきたり
おまけに、おまけに黒部の海岸部では竜巻が発生して、工場や家の屋根が4軒も壊れ、一部飛んでいき、車が2台被害に遭ったり(けが人はいなかった)
伊豆諸島でM6.6という地震が起きて、1mの津波予報がでたりと、午前から騒がしい日です。
津波は八丈島で30cmが観測されたが、間もなく解除された
揺れも島民は感じなかったようで、家屋被害、人身被害も無かったようでまずは安心だ。
結局、パークに着いたら、晴れ間が出ていたので船を見に行って少し落ち着いていたら急に強風が吹き、ざ~っと大雨が降ってきて、テントの中も滅茶苦茶で
さすがの相棒も走って車に飛び乗った
「帰ろうか」と言った、珍しく即なっとくで、たった15分くらいの滞在
今日は雨の中のドライブだと気持ちを改めたら、結局道中は全然降らなかった。
ラジオで面白いことを言っていたので、ローカルな話なので少しだけ書いてみます。
富山県出身の力士は、来場所前頭筆頭か張り出し小結かという朝乃山だけで
あとは序二段、三段目ばかり、幕下も十両もおらんので寂しい限り
石川県は幕内に遠藤、輝(来場所は十両)、新十両で優勝争いをした大の里の3人関取が居る、
新潟県は豊山が引退して幕内、十両ゼロと言う寂しさ、長野県は富山県と同じく、幕内に元大関の御嶽海がいるが、十両、幕下は居ない
ここまでは余談
富山県と言うと力士のイメージがないが、明治時代には2代目梅ケ谷、太刀山の二人の横綱を輩出している。
20代横綱、梅ケ谷は身長164cmで体重は160㎏くらいあった、写真を見てもお腹がぷっくりと出ている
このお腹に相手を乗せて一気に寄り切る取り口だった
22代横綱、太刀山は当時160cm台が多かった中で188cm、140㎏の超大型力士だった、身長は朝の山とほぼ同じだが、体重は朝の山が170㎏ある。
1年2場所の時代、優勝は9回している ニックネームは雷電の再来、45日などがある
雷電の再来と言われるほど強い力士だった、横綱での成績は7年14場所で84勝3敗、関脇以下に負けたことが無い。
連勝記録は双葉山の69連勝、白鵬63連勝、千代の富士の53連勝があるが
太刀山は7年間の中で、最初43連勝したが44戦目に負けて連勝はストップ
しかし翌日から56連勝した
すなわち、44戦目の負けが勝であれば100連勝と言うことになるが、これはIf
それでも99勝1敗という成績は今の時代、見ることはほぼ不可能だろう。
但し、当時は休場は負けにならないルールだった、また「あずかり」という決まり手?もあった
これは今でいう「両者同体」の取り直しに匹敵する勝敗がつけられない微妙な一番で、今は取り直しをするが、当時は「あずかり」で勝敗無しで終わらせた
両力士の健闘を称え、メンツを守るためにあえて勝負をつけず引き分けならぬ「あずかり」としたのだ。
因みに雷電為衛門は今の長野県東御市の出身、21年の間に254勝10敗、優勝28回、勝率は驚異の.962と言う、平成の大横綱、優勝45回の白鵬でも.827だ
雷電の最高位は大関だったが、当時は大関が最高位で、横綱は名誉称号だった雷電はなぜか横綱称号をもらわなかった、しかし横綱になった力士より強かった。 東御市の道の駅「雷電道の駅」に行けば雷電についての小さな記念館が併設されている。
身長は2m近く、体重も170㎏、とてつもない大男だったようだ。
「45日」と言うニックネームは、張り手が得意で相手を突き出すのに、2発まで突かず一突き半で相手は土俵を割ったことから、ひと突き半をもじって「ひと月半」=45日ということ。
さあ富山県民の星、朝乃山の来場所三役はあるのか?
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