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「甲越軍記」を現代仕様で書いてみた(184) 甲越 川中島血戦 11

2024年08月29日 08時23分48秒 | 甲越軍記
 翌日、晴信は、加藤駿河守、山本勘助、原美濃守、小幡織部正を呼び、景虎の武勇、軍術の程を尋ねた。
山本勘助は「景虎の昨日の軍立てを見るに、若大将と言えども噂通りの智勇兼備の名将と存じます
此度は六千の兵を率いてわが一万五千より不利なることを察して、丸備えの陣形をもって先陣より無二無三に攻めかけると見せておき、自分は旗本勢のみを率いて、先陣の戦を脇に見てわが本陣に攻め寄せて一気に勝負を付けようと謀った
されどもわが方の備えの堅さを見て、公の軍術の高さを知って荒働きではとうてい太刀打ち出来ぬことを悟り、早々に軍を引き上げたのは、並みの将にはできることではありません
なかなかの知謀の器かと存じました、勇猛はあくまでも逞しく、健やかにして、差し掛かる軍を回さぬ性質かと存じます
今後の景虎は君を挑発して腹を立たせて、備えの乱れを突いて攻め寄せる策を用いるかと思われます、公は、誘いに乗って御腹立ち無きよう備えを堅め給わるべし
景虎は若年故、当家と戦って勝てば誉れ、敗れても君より若年なれば恥辱とならず、景虎の戦法はこれからも旗本対旗本のしゃにむな決戦を挑み続けると思われます、我らはただ陣法を守り、備えを堅くして長尾の武力に崩されぬよう努めて居れば、勝を得るでありましょう」と言えば
原、小幡、加藤も各々、山本の今の言葉を金言なりと讃える。

大将晴信は「いかにも山本が申すはもっともなり、我勝利しても誉とならず、敗れれば恥辱也、彼の軍立ての賢きは末頼もしき男なり
我が相手になりて矛先を争う者は、景虎なり」と申せば、諸将は晴信の名将の軍慮に感じ入る。

越後の大将長尾景虎は、その夜、陣営にて諸将を集め軍評議を行った
長尾越前守政景、柿崎和泉守景家の猛将は声を揃えて「今日、武田家と初めて戦ってみたが互角の戦とは言え、なおしばし戦えば武田勢を一戦にて打ち破るは必定であった、それなのに兵を引き上げたのは返す返す無念でなりません」
と、こともなげに言うのを、宇佐美駿河守定行が進み出て
「両将の仰せはもっともでござる、されども某、武田の備えをつらつら見るに中々知謀優れたる大将と見受けた
当家の諸将の勇は、鋭きと見て、これにまともに当たればたちまち敗れるを察して守りを堅固にして備えに徹した
ここに両将が攻めかかれば必ずや勝利は疑いなしでござる、去れども一時の勝を得たとしても、すべての勝利とはいえぬは明確でありましょう
卒時に軍を出すよりは、何度も対陣を重ねて敵の守るところを少しずつ奪って敵が怠る時こそ一戦にて全勝を得ることが肝要と存じます」と申せば、景虎もこれに賛同して五日の間、ここに陣を敷いて敵の動くのを待ったが、宇佐美が申した通り、敵は固く陣を備えたまま、とうとう攻め寄せてくることはなかった。
「甲州勢、戦を好まず陣を固めて我らが攻め来るを待つならば、先に攻めれば敗れる道理なり」と景虎は陣払いを決めて、越後に戻った。




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