古河から戻って来た「かず」だが二階建ての増築という大仕事が
待っている
かずにとって、同じ敷地内にはあるが、家としてはこれが3軒目に等しい
最初の家は、結婚して長男が生まれたために借家を出て我が家を
ほしいと思ったためで、あの時は資金が全く足りないで、借金した上に
まだ足りない分を大工さんの手伝いをして、何とか建てた二間の家
だった。
二軒目は今の地に土地を求め、1階店舗、2階6畳二間の小さな家を
建てた、この時も5万円足りなくて、建設会社の社長の好意で猶予
してもらったが、それを返すのに3年もかかったのだった。
しかし今度の増築は3分の1ほどの頭金を準備出来た、それは日本全体が
好景気に突入したからだった。
かずの町でも大手自動車メーカーの部品を製造する「北信越マシン工業」が
進出してきて、高浜地区の4分の1にも及ぶ広大な敷地(農地)を買収して
工場建設を開始した、これは第一次、第二次と実に15年間も拡張工事が
続いたので、その工事関係者だけでもかなりの延べ人数が県外から入り
食料品、飲料、そして夜の町には建設労働者が夜な夜なくりだして
繁華街は賑わった
またこの工場に田畑を売却した大部分の地主は高浜地区の農家だった
それで一気に消費が高まり、かずの魚屋でも仕出しや刺身などが何倍も
売れたし、工場建設の魬場(工事関係者の宿舎)からも魚の切り身や
刺身の注文が連日入った、それで開店当時の数倍も売上が伸びたのだった
増築中の間は、家族は近くの空き家を借りて住んでいたが風呂が無い
それで300mほどの所にある銭湯に通った
風呂上がりの楽しみは、帰り道にある屋台の「夜鳴きそば」を食べること
そばやの主人は以前は町内を屋台を押して歩いて居たけれど60過ぎて
からは自宅の前に屋台を置いて商売をしていた
風呂上がりで小腹が空いたせいもあるが、これが絶品で、風呂帰りの
客でいつも満員だった
そばと言っても、日本蕎麦ではなく志那そば(ラーメン)である、煮干しの
出汁でとった汁がうまい(まだスープなどとは言わない)
このあと二年くらい経ったとき、役所のものがやってきて、衛生法で
露天での営業はまかりならんと一方的に退去を命じた
おじいさんは驚いたが相手が役所ではどうにもならず、生活が困るわけでも無い
のでやめようかと思うようになった
しかし常連客は、そうはいかない、せっかくの楽しみを奪われてたまるかと
何人かの者は役所に掛け合ったが、やはりだめだった
そんな時、かずが主立った常連客に声をかけた
「露天でダメなら家の中でやれば文句は無いはずだから、おじいさんの家は
玄関が広く,その先に10畳ほどの居間があるから、少しお金をかけて改装
すれば商売は続けられると思うが、我々も協力していくらか応援しませんか」
と言ったら、大工が生業の人もいて「改装くらいなら、俺がやる、安くやってやるよ」
と乗って来た、おじいさんも少しくらいの蓄えもあるし、銀行に勤めている息子も
助けてくれるだろうと、やる気になった
常連客が集めた金額は改装費の5分の1ほどだったが、それでも無理なく
そば屋を開店することが出来たのだった
そして、おじいさんが寝込むまでの10年間は、ずっと繁盛していたのである
昭和38年の3月についに増築工事は終わり、床の間付きの20畳の座敷
二階建ての家が完成した、そしてさっそく宴会場の営業許可をとった
近所の料理達者な千佳さんという人を雇って宴会があるときだけ調理に
来てもらうことにした、千佳さんは、かずと同い年であった。
去年、かずは人生初めての仲人を経験した、弟の徳磨に嫁を世話したのだ
嫁の名は晴美という、健康そうな女であった
そして5月に、あたらしいこの座敷で二人の結婚式と披露をおこなった
これは,かずの家で宴会ばかりでなく結婚式も出来ると評判を呼ぶことになり
次第に座敷の仕事がでてきた。
それで夜の宴席の手伝いとして昌代さんという30歳の近所の主婦を雇った
これで店番の徳磨、千佳さん、昌代さんと従業員が3人になった。
いずれも刺身くらい切ってしまう調理上手な主婦なので助かった。
更に、この頃は店が忙しくなって、女房のみつこも店の切り盛りだけで
手一杯になったので家政婦を頼もうと思った
そんなとき最初の家を建てたとき世話になった金貸しの長瀬セツが遊びにやってきた
今はもう、金貸しはやめていた、しかも数年前に甲斐性無しの亭主を見限って
離婚して一人暮らしなのだそうだ
やることも無いのでプラプラしていると言うから、家の中の事をやってもらえないか
と恐る恐る聞いたら、逆に喜んで「ああ、いいぜ」と快諾してくれた
長男の陽一も気が合うのか「セツおばさん」と呼んで親しんだ
このセツさんは男勝りの性格で更に巨漢である、漁場で育ったせいか言葉遣いも
荒っぽい、だが腹の中には何も無いからっとした性格なのだ。
かずは、こうして近所の千佳さん、昌代さんが店の仲間になったので
近所の女房達を呼んで、座敷の披露を兼ねて食事を提供しようと考えた
それで15人ほどの奥方達を招いておもてなしをしたのだった。
ところが思わぬ波紋が起きた
高浜地区で小さな赤提灯の店を経営している、奥谷金三という男がやってきた
金三は、かずより5歳くらい年上で教養の無いずるがしこい貧相な顔つきの
男だ、ただ酒を飲みたい男で、かずがもっとも嫌うタイプなのだ
「この前の夜、女衆を集めて酒を飲ませていただろう、何の集会だ!」
いきなり高飛車な物言いだった
「ああ、あのことですか、座敷をつくったから近所の女衆に披露したんですが
なにか?」
「披露だったら村の偉い先生方から招くのが筋だろ!、披露などと言って
選挙運動をしていたんじゃないか?」
「そんなたいそうなことを考えてなんかいないですよ・・・ばかばかしい」
「バカバカしいとはなんだ! この村には山田先生という市会議員の先生
がいる事くらい知ってるだろ」
「それは選挙に行っているからわかりますが?」
(そうか!金三は山田市議の後援会の使いっ走りをやっていたのだ)
「おまえは山田先生の後援会に入っていないだろ、高浜で商売をやって
いるものはみんな入っている、おまえが山田先生に刃向かって別の者を
押すなら、このくらいの店は簡単につぶせるんだぞ!」
最初からけんか腰だ、かずはあきれてしまった
「そんなことは無いです、だいたい選挙自体興味が無いですからね、
だが、この地区で住んでいるから、前回の選挙では山田さんに投票しま
したがね、もし俺を無理矢理、敵にして山田さんから切り離そうというのなら
社会党にでも共産党にでもなりますよ、そうしたいんですか?奥谷さん」
「やっぱり社会党か! おまえは」
「困ったなあ、もののわからない人だ・・・面倒くさいから、あんたが難癖
つけて山田さんの反対派にしたがっているって、直接あんたの山田先生
のところに行って言うから、これからすぐ一緒に行きましょう、山田さんの
命令でここに来たんでしょ?」
「先生は関係ない!」
「じゃあ勝手に、あんたの判断で俺を山田さんの敵にしようと考えたんですね」
「そんなことはない」
「じゃあ何なんだ! いったい何しに忙しい俺の店に来たんだ!難癖つけやがって」
かずが怒鳴ると、山田先生の子分を気取る軽薄者はたじろいだ
「魚屋だからってなめるなよ!つぶすだと!おまえだけの力でやって見ろ
先生の力を借りないでどれだけやれるんだ、山田先生だって俺を敵にする
愚か者じゃ無いよ、おまえは俺と一対一でやれるのか! やるか!!」
「そんなに怒るなよ、俺も言いすぎた、勘弁してくれ」
そそくさと逃げ帰ったので、そばでハラハラしていた店員達もほっとした顔を
している
「おい、かあちゃん店先に塩をまけ、虎の威を借る狐とは、あいつのことだ
ちょつと手柄をたてて先生とやらに褒められてご褒美でももらいたかったんだろ
田舎根性丸出しの田舎もんだ、二度と来ないだろう」
かって闇米商売の時に駐在とやり合って言い伏せた、かずだ、このくらいの
太鼓持ちなどとは格が違いすぎたのだ。