お座敷運転会から1週間が経ちました。この間、鹿児島と広島に出張があったのですが、「鉄」する時間もなくトンボ帰りだったので収穫なしです。227系「Red Wing」の投入で国鉄形はほぼ駆逐されてしまった?広島はともかく、鹿児島の気動車事情はちょっと見ておきたかったなぁというのが本音。
さて、そんなわけで恒例の年度末スケジュールに忙殺されて模型工作が進みませんので、前々回の153系ブルーライナーの後日譚として153系が増殖を遂げてしまった話を書いておこうと思います。
「急行内房」(7連)になっているTOMIXの153系を塗り替えて新快速「ブルーライナー」を作るぞ!という投稿をUPしたところ、模型のお友達からほぼ未使用品の「ブルーライナー」6両を有償で譲っていただけることになりました。代わりに当方のクハ153低運1両をお譲りするという条件です。つまり、湘南色の153系(サロ163/165入り)は6両が手元に残ることになりました。片側の先頭車として組み込む予定だったクハ165も改造の必要がなくなったというわけです。
そこで色々考えた挙句、「153系はこれ以上増やさない」と言った舌の根も乾かないうちにモハユニット(M付)をぽちでぽちってしまいました。
169系「信州・志賀」を断念して余ることになったサハシ169(=サハシ153)を組み込み、1972(昭和47)年3月15日のダイヤ改正・山陽新幹線岡山開業直前をイメージした10連時代最末期の「急行比叡」に仕立てることにしたものです。KATOのサハシ165をベースにかなり大掛かりな改造を行った車両なのでこのまま休車にするのは忍びなかったのですが、これで日の目を見ることができます。
ところが、お馴染み交友社の「1971年版車両配置表」(注:各年版とも3月31日現在なので1972年版だと3月15日のダイヤ改正後になってしまうため)で「大ミハ」所属のクハ153を調べてみると、な、なんと26両すべてが500番台すなわち高運転台であることが判明し悲鳴をあげました。手持ちのクハ153は低運なのです。
最悪、転入したブルーライナーのクハ153-500を湘南色に塗り替え、手持ちの低運をブルーライナーに塗り替えて交換する・・・などという苦肉の策も頭をよぎったのですが、いろいろ調べてみると、ダイヤ改正直前の1972年1月にクハ153-38が、同2月に-71が転入してきていることが分かりました。実際に「比叡」として使われたかどうかは不明ですが、タイミング的に齟齬はないので38号車でいくこととし、反対側のクハはブルーライナーになるはずだったクハ165を充当してめでたしめでたし。
そもそも、無理してそんな微妙な端境期を狙わなくても・・・というご指摘はごもっともです。正直、1972年初頭でなくてもいいのですが、手持ちの車両がすべて冷房(改造)車ばかりなので、サハシが入り、かつ、非冷房車が無くても違和感ない時期というとこのあたりかな・・・という程度です。実際、クハ165の冷房準備車あたりはまだ非冷房であった可能性が高いです。そこは許して・・・って感じ。笑
で、サハシの就活が「比叡」に内定した陰で、サロ169という名のサロ165の就職先がまだ決まりません。
車内を覗いてみると天井に導光パネルが・・・。これも譲り受け車なのですが、前オーナーがしっかり手を入れていたようです。
さっそくレールに乗せて点灯! ・・・しない。。w これでは就活できませんわ。。ヒマをみて分解してみます。
さて、そんなわけで恒例の年度末スケジュールに忙殺されて模型工作が進みませんので、前々回の153系ブルーライナーの後日譚として153系が増殖を遂げてしまった話を書いておこうと思います。
「急行内房」(7連)になっているTOMIXの153系を塗り替えて新快速「ブルーライナー」を作るぞ!という投稿をUPしたところ、模型のお友達からほぼ未使用品の「ブルーライナー」6両を有償で譲っていただけることになりました。代わりに当方のクハ153低運1両をお譲りするという条件です。つまり、湘南色の153系(サロ163/165入り)は6両が手元に残ることになりました。片側の先頭車として組み込む予定だったクハ165も改造の必要がなくなったというわけです。
そこで色々考えた挙句、「153系はこれ以上増やさない」と言った舌の根も乾かないうちにモハユニット(M付)をぽちでぽちってしまいました。
169系「信州・志賀」を断念して余ることになったサハシ169(=サハシ153)を組み込み、1972(昭和47)年3月15日のダイヤ改正・山陽新幹線岡山開業直前をイメージした10連時代最末期の「急行比叡」に仕立てることにしたものです。KATOのサハシ165をベースにかなり大掛かりな改造を行った車両なのでこのまま休車にするのは忍びなかったのですが、これで日の目を見ることができます。
ところが、お馴染み交友社の「1971年版車両配置表」(注:各年版とも3月31日現在なので1972年版だと3月15日のダイヤ改正後になってしまうため)で「大ミハ」所属のクハ153を調べてみると、な、なんと26両すべてが500番台すなわち高運転台であることが判明し悲鳴をあげました。手持ちのクハ153は低運なのです。
最悪、転入したブルーライナーのクハ153-500を湘南色に塗り替え、手持ちの低運をブルーライナーに塗り替えて交換する・・・などという苦肉の策も頭をよぎったのですが、いろいろ調べてみると、ダイヤ改正直前の1972年1月にクハ153-38が、同2月に-71が転入してきていることが分かりました。実際に「比叡」として使われたかどうかは不明ですが、タイミング的に齟齬はないので38号車でいくこととし、反対側のクハはブルーライナーになるはずだったクハ165を充当してめでたしめでたし。
そもそも、無理してそんな微妙な端境期を狙わなくても・・・というご指摘はごもっともです。正直、1972年初頭でなくてもいいのですが、手持ちの車両がすべて冷房(改造)車ばかりなので、サハシが入り、かつ、非冷房車が無くても違和感ない時期というとこのあたりかな・・・という程度です。実際、クハ165の冷房準備車あたりはまだ非冷房であった可能性が高いです。そこは許して・・・って感じ。笑
で、サハシの就活が「比叡」に内定した陰で、サロ169という名のサロ165の就職先がまだ決まりません。
車内を覗いてみると天井に導光パネルが・・・。これも譲り受け車なのですが、前オーナーがしっかり手を入れていたようです。
さっそくレールに乗せて点灯! ・・・しない。。w これでは就活できませんわ。。ヒマをみて分解してみます。
あえて本文では書かなかったのに。。。笑笑
比叡はいいですよね、ね。。ほら、中央東線と血を分けた兄弟とも言うべき西線のターミナルから出てましたんで。。
ブルーライナーは・・・
あ!UFOだ!!☞
|彡サッ!
「説明せいっ!」ってか^^