先日福井へ行った話を投稿しましたが、今から40年前の1982年に福井から越美北線、南線を乗り継いだ(と思われる)時の写真が見つかりましたのでご紹介しましょう。
例によってネガをしまい込んでいて対比ができないのですが、恐らくこれが初っ端ではないかと思われる写真がこちらです。地平時代の福井駅の4番ホームに北陸本線の雄EF70 4が牽引する列車が停まっています。影の部分を拡大してみたところ機関車次位に青い荷物車、そして裾絞りのある客車が連なっているのが分かりました。どうやら福井に到着したばかりの急行越前のようです。前に紹介した氷見線へ行った時もそうでしたが、時間が有効に使える夜行急行列車は好んで利用していたようです。
福井駅で撮ったと思われる50系客車の部分写真(編成撮れヨ・・・)。福井~金沢間の「ショッピング快速」とあります。のちのTOWNトレインの始祖でしょうか。ちなみにオハフ50 2381は「海峡」用に改造されて2000年代初頭まで活躍した由。
福井ではまず駅周辺をブラついたようで福井城址のお堀の写真なども残っていましたが、この時もまず目指したのは福井鉄道の通称「ヒゲ線」と呼ばれる福井駅前電停だったようです。停まっている車両は非貫通3枚窓なので140形でしょうか。通りには車があふれ今より活気があるように見えます。ヘロヘロのレールがアスファルトの中に消えていく「ザ・終点」感がたまりません。
自社生え抜きの200形!なんでもクラファンで1編成だけ生き残っているそうですね。写真は急行サインを出して現役バリバリの姿です。
この後・・・か前か分かりませんが、駅東側の京福電鉄サイドに移動して電車を撮影しています。ご存じのとおり京福はいろいろあって「えちぜん鉄道」に生まれ変わるわけですが、この頃は古豪に混じって阪神や南海のお下がりが活躍するフツーの地方私鉄でした。写真はバス窓のいわゆる日車標準スタイルのモハ244です。後方には青い旧客が。
上のモハ244とつながっていたモハ1101。阪神ジェットカーの車体を譲り受けて2扉化したもの。前面の配管の取り回しがいかにも阪神って感じですね。
元南海の11001系初期車を譲り受けたモハ3001形(3007+3008)。貫通型前面を2枚窓の非貫通スタイルに改造したものの湘南顔になり切れず小田急顔になっちゃった!
このあとは京福バスなどを撮って永平寺へ向かったようです。この日見た中では最も古そうなモハ271号車。右側が見切れてしまっていますが、実は後位のドアの後ろでハイおしまい!というトンデモ車体を持っていたようです。フィルムプリントではネガに映っていても焼くと切れてしまう場合があるので根気よくネガを探そうと思います。撮影場所は永平寺口あたりか?
恐らく同じ駅で撮ったと思われる車内写真。ニス塗りの内装に青モケットのロングシート2扉で窓は二段のようです。走るといい音が出そうでつり革もチャンチャン網棚に当たりそうです。さて形式は何だったのでしょうか。
反対側のホームに鳥居が見えるのでこれは終点永平寺駅でのスナップ。284号の車番が読めます。これが上の写真の電車かと思ったらどうも違うようです。なぜなら・・・
同じモハ284号の走行写真がありました。これまで見た中ではゲテっぽくない都会的な3ドア車でした。元は東急の3300形と聞いて納得。
今はなき永平寺駅です。
永平寺も参拝しました。この後も数回訪れていますが京都の寺院とは違った荘厳さを感じます。
この後はどこをどう通ったのか分かりませんが越美北線に乗って九頭竜湖駅へ向かったようです。駅舎は簡素なブロック積み。2台並ぶ国鉄バスは奥が大野三番行で手前が美濃白鳥行。ローカル線の終点にしては賑やかな光景です。バスは大野自動車営業所の331形いすゞBA05N。中型バスが普及するまで狭あい区間を持つ営業所でよくみられたナローボディの「最も小さい大型バス」です。
乗ってきたであろうキハ52+キハ23を駅裏から撮ったもの。首都圏色にブタ鼻ライトといういで立ちではあるけれど、まだまだ国鉄を感じられた時代でした。
ここからは先の写真に写っていた国鉄バス大野線で美濃白鳥へ向かったようです。ロックフィル式の九頭竜ダムの写真などが出てきてもいいはずですが見つからず、一気に美濃白鳥駅の写真であります。ご承知のとおり結局「越美線」計画は実現せず南北に分かれたまま。さらに越美南線は長良川鉄道の路線となって現在に至るわけですがしかしこの駅舎、ストリートビューで近影を確認したらほとんど変わっていないのに驚きました。
美濃白鳥では市街地をブラついていました。最初この写真の造り酒屋は最初郡上八幡かなと思ったのですが、途中下車するのも不自然(最後に急行おくみのに乗っている)なので、看板の文字を拡大したりして調べたところ「大日泉」と読め、これを製造する「布屋 原酒造場」という酒蔵であることが分かりました。恐らく北濃へ向かう列車かバスの発車まで時間を潰していたようです。それにしても長良川源流の大日岳にちなんだと思われる大日泉って気になりますね。呑みたい!
というわけで日もだいぶ傾いた頃にやっと越美南線の終点・北濃駅にたどり着きました。趣のあるこの駅舎も変わらず残っているようです。
ホームにはキハ58+キハ28の「急行おくみの」がカラカラとアイドリング音を鳴らして停車しています。もちろん妄想です。ちなみにこの頃はすでに美濃太田以遠は普通列車だったらしく、「おくみの崩れ」が正解のようです。
少し引いて撮ったカットではうら寂しい山奥の終着駅の感じが伝わってきます。キハ58、似合いすぎやろ。笑
ホーム上から。号車札が8号車と9号車になっています。美濃太田で「のりくら」に併結して長編成となって名古屋へ向かいます。しかしこちらの編成表をみると1号車側に連結されていてちょっとオドロキです。普通列車ということで種別サボは裏返っていますが「おくみの」は表示されたままです。これも不思議。
しかし、3枚前の写真をよくよく眺めてみるとナンダコレハ!!??愛称サボを抜いてるヤツ発見www。40年の時を経ていかがわしい行為が明るみに出ました。昔も今も行動は変わらんなあ、、頼むぜ鉄オタ。。笑
ということで1982年の写真で福井から越美南線までをたどってみましたがいかがだったでしょうか。
この記事を書くに当たっていろいろ調べて気づいたのですが、1982年(S57年)11月15日ダイヤ改正で「越前」も「おくみの」も消えていました。この夜行半泊の弾丸旅行は、その最後の姿を見届けるために決行したのかも知れません。
インターネットなど無かった時代に、今よりはるかに情報ツウで行動派だった自分がいたという事実はちょっと考えさせられるものがあります。模型作ってるだけじゃ進歩ねーぞ、と言い聞かせました。なんか昔の写真を出すたびに同じこと言ってるかも・・・。
例によってネガをしまい込んでいて対比ができないのですが、恐らくこれが初っ端ではないかと思われる写真がこちらです。地平時代の福井駅の4番ホームに北陸本線の雄EF70 4が牽引する列車が停まっています。影の部分を拡大してみたところ機関車次位に青い荷物車、そして裾絞りのある客車が連なっているのが分かりました。どうやら福井に到着したばかりの急行越前のようです。前に紹介した氷見線へ行った時もそうでしたが、時間が有効に使える夜行急行列車は好んで利用していたようです。
福井駅で撮ったと思われる50系客車の部分写真(編成撮れヨ・・・)。福井~金沢間の「ショッピング快速」とあります。のちのTOWNトレインの始祖でしょうか。ちなみにオハフ50 2381は「海峡」用に改造されて2000年代初頭まで活躍した由。
福井ではまず駅周辺をブラついたようで福井城址のお堀の写真なども残っていましたが、この時もまず目指したのは福井鉄道の通称「ヒゲ線」と呼ばれる福井駅前電停だったようです。停まっている車両は非貫通3枚窓なので140形でしょうか。通りには車があふれ今より活気があるように見えます。ヘロヘロのレールがアスファルトの中に消えていく「ザ・終点」感がたまりません。
自社生え抜きの200形!なんでもクラファンで1編成だけ生き残っているそうですね。写真は急行サインを出して現役バリバリの姿です。
この後・・・か前か分かりませんが、駅東側の京福電鉄サイドに移動して電車を撮影しています。ご存じのとおり京福はいろいろあって「えちぜん鉄道」に生まれ変わるわけですが、この頃は古豪に混じって阪神や南海のお下がりが活躍するフツーの地方私鉄でした。写真はバス窓のいわゆる日車標準スタイルのモハ244です。後方には青い旧客が。
上のモハ244とつながっていたモハ1101。阪神ジェットカーの車体を譲り受けて2扉化したもの。前面の配管の取り回しがいかにも阪神って感じですね。
元南海の11001系初期車を譲り受けたモハ3001形(3007+3008)。貫通型前面を2枚窓の非貫通スタイルに改造したものの湘南顔になり切れず小田急顔になっちゃった!
このあとは京福バスなどを撮って永平寺へ向かったようです。この日見た中では最も古そうなモハ271号車。右側が見切れてしまっていますが、実は後位のドアの後ろでハイおしまい!というトンデモ車体を持っていたようです。フィルムプリントではネガに映っていても焼くと切れてしまう場合があるので根気よくネガを探そうと思います。撮影場所は永平寺口あたりか?
恐らく同じ駅で撮ったと思われる車内写真。ニス塗りの内装に青モケットのロングシート2扉で窓は二段のようです。走るといい音が出そうでつり革もチャンチャン網棚に当たりそうです。さて形式は何だったのでしょうか。
反対側のホームに鳥居が見えるのでこれは終点永平寺駅でのスナップ。284号の車番が読めます。これが上の写真の電車かと思ったらどうも違うようです。なぜなら・・・
同じモハ284号の走行写真がありました。これまで見た中ではゲテっぽくない都会的な3ドア車でした。元は東急の3300形と聞いて納得。
今はなき永平寺駅です。
永平寺も参拝しました。この後も数回訪れていますが京都の寺院とは違った荘厳さを感じます。
この後はどこをどう通ったのか分かりませんが越美北線に乗って九頭竜湖駅へ向かったようです。駅舎は簡素なブロック積み。2台並ぶ国鉄バスは奥が大野三番行で手前が美濃白鳥行。ローカル線の終点にしては賑やかな光景です。バスは大野自動車営業所の331形いすゞBA05N。中型バスが普及するまで狭あい区間を持つ営業所でよくみられたナローボディの「最も小さい大型バス」です。
乗ってきたであろうキハ52+キハ23を駅裏から撮ったもの。首都圏色にブタ鼻ライトといういで立ちではあるけれど、まだまだ国鉄を感じられた時代でした。
ここからは先の写真に写っていた国鉄バス大野線で美濃白鳥へ向かったようです。ロックフィル式の九頭竜ダムの写真などが出てきてもいいはずですが見つからず、一気に美濃白鳥駅の写真であります。ご承知のとおり結局「越美線」計画は実現せず南北に分かれたまま。さらに越美南線は長良川鉄道の路線となって現在に至るわけですがしかしこの駅舎、ストリートビューで近影を確認したらほとんど変わっていないのに驚きました。
美濃白鳥では市街地をブラついていました。最初この写真の造り酒屋は最初郡上八幡かなと思ったのですが、途中下車するのも不自然(最後に急行おくみのに乗っている)なので、看板の文字を拡大したりして調べたところ「大日泉」と読め、これを製造する「布屋 原酒造場」という酒蔵であることが分かりました。恐らく北濃へ向かう列車かバスの発車まで時間を潰していたようです。それにしても長良川源流の大日岳にちなんだと思われる大日泉って気になりますね。呑みたい!
というわけで日もだいぶ傾いた頃にやっと越美南線の終点・北濃駅にたどり着きました。趣のあるこの駅舎も変わらず残っているようです。
ホームにはキハ58+キハ28の「急行おくみの」がカラカラとアイドリング音を鳴らして停車しています。もちろん妄想です。ちなみにこの頃はすでに美濃太田以遠は普通列車だったらしく、「おくみの崩れ」が正解のようです。
少し引いて撮ったカットではうら寂しい山奥の終着駅の感じが伝わってきます。キハ58、似合いすぎやろ。笑
ホーム上から。号車札が8号車と9号車になっています。美濃太田で「のりくら」に併結して長編成となって名古屋へ向かいます。しかしこちらの編成表をみると1号車側に連結されていてちょっとオドロキです。普通列車ということで種別サボは裏返っていますが「おくみの」は表示されたままです。これも不思議。
しかし、3枚前の写真をよくよく眺めてみるとナンダコレハ!!??愛称サボを抜いてるヤツ発見www。40年の時を経ていかがわしい行為が明るみに出ました。昔も今も行動は変わらんなあ、、頼むぜ鉄オタ。。笑
ということで1982年の写真で福井から越美南線までをたどってみましたがいかがだったでしょうか。
この記事を書くに当たっていろいろ調べて気づいたのですが、1982年(S57年)11月15日ダイヤ改正で「越前」も「おくみの」も消えていました。この夜行半泊の弾丸旅行は、その最後の姿を見届けるために決行したのかも知れません。
インターネットなど無かった時代に、今よりはるかに情報ツウで行動派だった自分がいたという事実はちょっと考えさせられるものがあります。模型作ってるだけじゃ進歩ねーぞ、と言い聞かせました。なんか昔の写真を出すたびに同じこと言ってるかも・・・。