これは割と最近買ったものなので、そう開封を急ぐ必要もないのですが、西武E851との絡みがあるので開封・整備していこうと思います。KATOのクモハ40(1-422)で、パワトラから両軸駆動に変更された再生産ロットのものです。
今回はこれを下河原線運用時の姿に仕立てます。下河原線は、中央本線国分寺駅から東京競馬場前駅間5.6kmを結んでいた中央本線の支線で、1973年(昭和48年)3月31日付でその役割を新たに開通する武蔵野線に譲って廃止されました。途中の北府中駅から分岐して多摩川に接する下河原駅まで結ぶ貨物線もありましたが、それもほどなく廃止され、現在は全線のほとんどが緑道として整備されています。
KATOの完成品なのでほとんどレディ・トゥ・ランの状態ですが、手すりなどいくつかのパーツはユーザーが取り付けなければなりません。楽しく遊ぶための儀式みたいなものと諦め、相変わらず上達しないウデを嘆きつつパーツをピンピン飛ばしながら何とか仕上げました。旧型国電カッコイイ!!
同線は、閑散時にこのクモハ40が単行で、多客時に3~7両の101系が運行されていたとのこと。晩年は武蔵小金井電車区(西ムコ)に配置された40071と40074が運行に当たっていたとの記録があるため、特に理由はありませんが40074にしました。付属のインレタには40071があるのでそのまま貼れば楽なのに、こういうところで天邪鬼な性格が出てしまいます。所属区名は「西トタ」しか付属しないので手持ちのインレタから「西ムコ」を貼りました。ちなみに40074は解体を免れ、現在は大宮の鉄道博物館で余生を送っています。
行先サボは「国分寺 東京競馬場前 間」という黄色のものが用いられていたようですが、これはしっかり付属シールに含まれていました。国分寺駅での101系との並びを再現。将来的にはここに西武E851が牽く貨物列車が加わる予定です・・・(超小声)。
さて、クモハ40の話はこれで終わりなのですが、下河原線を走ったとされる101系については謎に包まれた部分が多かったので色々調べてみました。その結果、意外な事実?も発見しましたので次の投稿でまとめてみたいと思います。場合によっては新たな“罪庫”が発生するかも??
今回はこれを下河原線運用時の姿に仕立てます。下河原線は、中央本線国分寺駅から東京競馬場前駅間5.6kmを結んでいた中央本線の支線で、1973年(昭和48年)3月31日付でその役割を新たに開通する武蔵野線に譲って廃止されました。途中の北府中駅から分岐して多摩川に接する下河原駅まで結ぶ貨物線もありましたが、それもほどなく廃止され、現在は全線のほとんどが緑道として整備されています。
KATOの完成品なのでほとんどレディ・トゥ・ランの状態ですが、手すりなどいくつかのパーツはユーザーが取り付けなければなりません。楽しく遊ぶための儀式みたいなものと諦め、相変わらず上達しないウデを嘆きつつパーツをピンピン飛ばしながら何とか仕上げました。旧型国電カッコイイ!!
同線は、閑散時にこのクモハ40が単行で、多客時に3~7両の101系が運行されていたとのこと。晩年は武蔵小金井電車区(西ムコ)に配置された40071と40074が運行に当たっていたとの記録があるため、特に理由はありませんが40074にしました。付属のインレタには40071があるのでそのまま貼れば楽なのに、こういうところで天邪鬼な性格が出てしまいます。所属区名は「西トタ」しか付属しないので手持ちのインレタから「西ムコ」を貼りました。ちなみに40074は解体を免れ、現在は大宮の鉄道博物館で余生を送っています。
行先サボは「国分寺 東京競馬場前 間」という黄色のものが用いられていたようですが、これはしっかり付属シールに含まれていました。国分寺駅での101系との並びを再現。将来的にはここに西武E851が牽く貨物列車が加わる予定です・・・(超小声)。
さて、クモハ40の話はこれで終わりなのですが、下河原線を走ったとされる101系については謎に包まれた部分が多かったので色々調べてみました。その結果、意外な事実?も発見しましたので次の投稿でまとめてみたいと思います。場合によっては新たな“罪庫”が発生するかも??