おはようございます。ヒューマン・ギルドの岩井俊憲です。
昨日(10月17日)は、ヒューマン・ギルドで9:30-17:30に「感情のコントロール法」のセミナーを開催しました。

参加者が女性ばかり、それに少人数であったため、私も討議をしっかり聞くことができました。
迫力ある女性たちの感情に関するホンネ・トーク。これはものすごく勉強になりました。「講師冥利に尽きる」と言ってもいいほどでした。今後の素材に生かせそう。
なお、この講座に関する受講者側からのご感想です。
ナガトーカオルさんが
「愛は恐れを“サバ折り”にする」
と題して「思いどおりにいかない日でも笑うセイカツ ~ワタクシ、ハタラクヒトの味方です~」のブログに書いておられます。
さて、『フロイト―視野の暗点』(ルイス・ブレガー著、後藤素規・弘田洋二監訳、大阪精神分析研究会訳、里文出版)をもとにフロイト派から見たアドラーについてお伝えする第6回目です。
このところアドラーを差し置いてフロイトとユングの話ばかりのようですが、フロイトとアドラーの破局に関して今後に大いに関係してきますので、ご期待ください。
フロイトに肩入れしていたフロイトは、1909年3月にユングを正式に「後継者であり皇太子(注:フロイトは自分を王に見立てていた)」と宣言し、彼をニュルンベルグの国際会議の議長に就任させようとしました。
このところをルイス・ブレガーは、次のように書いています。
ニュルンベルグ提議は、フロイトが完全な専制君主であることを明らかにした。フロイトは、自分の発明品と考えているものを長い間保護してきて、誰が自分のことを精神分析家と呼ぶことができ、誰がそう呼ぶことが許されないかを決めるのは彼自身だけであると幾度か公言し、精神分析運動の「旗じるし」と彼が呼んでいるものに従うように要求してきた。
フロイトはまた、世界を敵意に満ちた、すぐに彼のことを誤解したり攻撃したりするような場だと考えており、それに対抗する唯一の手段は、強力な指導者に率いられて武装した忠実な支持者を持つことだと考えていた。これが新しくできる国際学会についてフロイトが心に抱いていたイメージであった。
フロイトの計画に対しては、ウィーンの精神分析家たちから強い反対がでました。彼らは、フロイトがユングやスイス人を厚遇し、自分たちを無視していると苛立っていました。
最終的に妥協案が創り出され、ユングは終生会長ではなく、2年任期の会長となって、出版物に対する検閲の権限は持たず、新しくく創刊される雑誌の「精神分析中央雑誌」は、フロイトを顧問として、アドラーとシュテーケルを共同編集者とし、3人がそれぞれ出版の拒否権を持つことになりました。
しかし、今後に続くように、このような譲歩は一時的なものに過ぎませんでした。
<お目休めコーナー> チョウセンアサガオ

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