おはようございます。ヒューマン・ギルド の岩井俊憲です。
大学3年生の息子が就職活動のために企業説明会やOB訪問などに行くため、家では、どうしても企業の話題が多くなります。
息子に刺激されて、私は、会社員だった頃の思い出が蘇ります。
1976年、私が28歳だった9月上旬のことです。
私は、外資系のメーカーのセールス・マネジャーをしていました。
着任早々の社長は、管理者全員に社長宛のレポートを要求しました。
「この会社の変革のために何が必要か?」がテーマでした。
私は、経理部長の権限が強すぎ、ラインの権限が弱く、さながら会社は「スタッフ・エンパイア(スタッフ帝国)だ」と指摘し、ラインの権限の強化、健全なゼネラル・スタッフ部門の設置などの提言をしました。
社長秘書から「社長がお呼びです」と内線電話が入り、私は初めて社長室に入って行きました。
社長は私に椅子を勧めて、私のレポートを手にこうおっしゃいました。
「君のレポートは、実によく書けている。君には企画の仕事を担当してほしいと思っている。ついては、君に宿題を与えたい。会社をどう導いたらいいかの具体的なプランを考えておいてくれ」
10月の人事異動の時、私は総合企画室の課長に抜擢されました。
ただし、です。総合企画室長 兼 経理部長は、私が批判したMさんになったのです。
なお、この時の社長は戸田憲吾氏。後にデンソーの社長・会長を歴任された方です。
◎昨日(2月9日)ヒューマン・ギルドのホームページを更新しています。
トピックスの「過去の『巻頭言』から」に私の総合企画室時代のことを書いた「アーティスト・リバティー」という記事があります。
面白いですよ。お読みください。
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