おはようございます。アドラー心理に基づく勇気づけの研修(外部研修も)とカウンセリングを行う ヒューマン・ギルド の岩井俊憲です。
今日・明日(11月26日、27日)は珍しい連続オフの日です。
抱えている原稿執筆はありますが、ふだんできないことに取り組むつもりです。
7か月ぶりの「アドラー心理学豆知識」です。
今までの8回は、次のとおりです。
2016年2月16日 アドラー心理学豆知識:協力と競争(1)
2016年2月26日 アドラー心理学豆知識:協力と競争(2)
2016年2月28日 アドラー心理学豆知識:協力と競争(3)
2016年3月12日 アドラー心理学豆知識:パーソナリティの統一性
2016年3月23日 アドラー心理学豆知識:ライフスタイル形成の影響因と決定因
2016年4月4日 妬みと嫉妬
2016年4月6日 アドラー心理学豆知識:ダメ出し VS. ヨイ出し
2016年4月27日 アドラー心理学豆知識:気迫を伴う寛容さ
久しぶりに『現代アドラー心理学 上』(G・J・マナスター& R・J・コルシーニ、春秋社、絶版)をテキストにして書きます。
この第6章「創造的自己とその構造」に次に記述があります。
個人心理学(注:アドラー心理学のこと)は、すべての正常な個人は自分の行動に対して責任を負うものであると断固主張する。
なぜなら我々はすべて選択できるからである。
個人の選択は遺伝や社会によって一定程度まで限定されてはいるが、人々は一般的には自分自身の状況を創造するのであり、自分自身で決断をするものであり、それゆえ究極的には自分の行動に対して責任があるのである。
学問的な表現を用いるならば、このような概念は柔らかい決定論(原文は「ソフトな決定論」)として知られているーつまり、人間のパーソナリティや行動は、その人の外部の諸力によって何ほどか(ソフトに)決定されているだけというのである。
ここでのポイントは次のとおりです。
1.哲学的な意味での決定論/非決定論の区分で言うと、アドラー心理学は、決定論の範疇に入る。
個人の選択は遺伝や社会によって制限(限定)されると考えるのが決定論、そのような影響はないと捉えるのが非決定論。
2.ただし、個人の選択は遺伝や社会によって制限(限定)されるが、その影響を受けつつも自分自身で創造・決断し、自分の行動に責任を持つという意味において(ハードな)決定論でなく(ソフトな)決定論の立場に立つ。
3.人間のパーソナリティや行動は、その人の外部の諸力によって何ほどか(ソフトに)決定されていることを認めている。
この本の著者はさらに続けます。
この柔らかい決定論という概念は、アドラーが<創造力>と呼んだものに依存している。
その意味は、個人というものは人生のいかなる時点においても判断を下し、発明をし、決定を下す能力を持っているということである。
アドラーが<創造力>と呼んだものは、後継者たちによって「自己決定性」「創造的自己」「個人の主体性」などとも表現されています。
何だか理屈っぽいことを書きましたが、世間で「何でもかんでも目的論」が語られがちなことに対する警鐘として、アドラー心理学の原因論的要素を紹介したかったわけです。
今日もお元気で。
<お目休めコーナー>11月の花(20)
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