おはようございます。アドラー心理学に基づく勇気づけの研修(外部研修も)とカウンセリングを行う ヒューマン・ギルド の岩井俊憲です。
4月1日(日)の新報道2001(フジテレビ系列)に出演していた藤原正彦氏(数学者、『国家の品格』の著者)が下の立場の人間(官僚)は上の立ち場の人間(政治家)に「忖度(そんたく)」をするのは当然であるが、その代わりに上の立場の人間(政治家)は下の立場の人間(官僚)に対して「弱者に対する涙」に相当する惻隠(そくいん)の心を持っていなければならないのに、その心を持っていないことが現在の日本人の失ったものの1つである、というようなことを言っていました。
世間では、森友学園問題に端を発して財務官僚の忖度をさも悪いもののように叩く風潮がありますが、私は忖度そのものを頭から否定する立場ではありません。
忖度には共感に支えられた日本文化独特の美徳があるし、相手や場に対する関心の表れでもあり、忖度がなければ「おもてなし」や顧客満足が風化してしまう危険性があります。
ある中国人観光客が日本でフレンチ・レストランに入って、ウェイターの忖度で日本を大好きになったあるエピソードを思い出します。
4人でレストランに入って料理を注文してしばらくしたら、ナイフとフォークが自分の左側にそっと置かれたのです。
他の3人は右側でした。
その方は、左利きだったのをウェイターはそっと観察して対応していたのです。
中国ではありえないことでした。
ただ、望ましくない忖度もあるし、組織内で非建設的に働く忖度もあるだろうとは思います。
ここで、藤原正彦氏が使った「忖度」と「惻隠」を『広辞苑』で調べてみましょう。
忖度・・・・他人の心中をおしはかること
惻隠・・・・いたわしく思うこと
『ジーニアス和英辞典』で「相手の気持ちを忖度する」を引いてみたら”guess how the other person feels”(「他者がどう感じるかを推測する」の意)と出てきます。
このこと自体は、良いも悪いもないはずです。
「惻隠の情」は「人をいたわしく思う心」「あわれみの気持ち」と『広辞苑』で出てきます。
もし上層部と実践部隊が組織的に連携がうまくいっているとすると、実践部隊は上層部の意を汲んで行動に移すことになり、上層部は「よくやった」とねぎらうことをします。
しかし、ここで非建設的な忖度になると、
(1)上層部からの自分たちへの評価や惻隠を求めて、もっとも大事な顧客や利害関係者の意向やコンプライアンス(法令順守等)を考慮せずに行動してしまうこと
(2)言葉による合意がないので、忖度のつもりが大きな勘違いになり、ポリシーや思惑とかけ離れた状態になること
のリスクを伴うことがあります。
今日のポイントは、忖度そのものには本来望ましい/建設的な側面もあれば、望ましくない/非建設的な側面もあるという私なりの主張でした。
次回は、日本と外国(西洋や中国・韓国)との文化のギャップを「忖度」をキーワードに考えてみることにしましょう。
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