おはようございます。アドラー心理に基づく勇気づけの研修(外研修も)とカウンセリングを行う ヒューマン・ギルド の岩井俊憲です。
昨日(10月15日)の晩から新潟市に入っています。
昨日(月曜日)から日曜日までの7日間のうち金曜日を除く6日間を新潟市で過ごします。
来週は、月曜日からの5日間を島根県で過ごすことになり、ほとんど会社にはいないことになります。
さて、私には愛読する月刊誌があります。
「人間学を学ぶ月刊誌」『致知』(致知出版社)です。
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出版不況で、月刊誌が続々廃刊になる中で、一般書店での取り扱いがない中でも10万部を超える部数を続けているのは立派です。
このたび、創刊40周年を迎えたようですが、私自身はそのうち38年ほど『致知』愛読しています。
それだけでなく、取材を受けたり(「カウンセリングにも役立つアドラー心理学【実例篇】」)、投稿したこともあります。
その11月号で曽野綾子さんがインタビューで老い方の流儀を「自己丹誠こそ幸福への道 」として語っています。
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「87歳を迎えたいまなお精力的に創作活動を続けている。失明の危機や最愛の夫との別れなど、様々な試練を乗り越え、64年間、一つ事に打ち込む中で見えてきた「幸福論」とは—。」がポイントですが、インタビューで私が感動した箇所を抜き書きしておきます。
・加齢は人間に知恵を与えると思います。どんなにぼんやりしてても、日々の生活を営む中で何かの出来事に遭遇したり、何かの光景を見たり、いろんな経験を積むうちに少しは利口になるような気はします。
・(ある有名な小説家の言葉を受けて)運と鈍と根(注:いわゆる運鈍根)が3つ繋がっていない人間はダメだって。私もそう思います。自分に才能がなくてもあまり気にせず、何とかなるんじゃないかと思って、ひたすらやり続けるのがいいんですよ(笑)。
・死があるから生の味が深くなるんです。死は忌避(きひ)したいものですけど、死がなかったら恐らく私たちは生の意味を発見することができないでしょう。
私が決定的な言葉として心に染みたのは、
(記者)87年の人生を歩んでこられて、幸福に生きるためには何が大事だと思われますか?
曽野 いろいろありますけどね、やっぱり、できたら与えることだと思います。
私は昔から「くれない族」と定義していますけど、青年でも中年でも「~をしてくれない」と言い始めた時から、既に精神的な老化が進んでいる。それは危険な兆候だと思って、自分を戒めたほうがよろしいかもしれません。他人が「~をしてくれない」と嘆く前に、自分が人に何かしてあげられることはないかと考えるべきです。
からの10行後くらいに語られた次の言葉です。
・自分のしたいことを自分の力ですると同時に、他者のためにさせていただくという気がない人間は大人とは言えない。真に幸福な人生も生きられない。だから7割くらいは自分の楽しみ、3割は育てたいもののためにお金と時間を使う、年を取れば取るほど、そういう人間になれるといいですね。
そして、最後は次の言葉で結びます。
・人間はもちろん脇道に逸れる時間も必要ですけれども、やっぱり自分を鍛錬していくと同時に、自分も他者のために、少し手助けする気持ちを持つことが大切です。
私は、クリスチャンの曽野綾子さんからアドラー心理学の共同体感覚にも通じる仏教の「上求菩提・下化衆生」を教えてもらった気がします。
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