見もの・読みもの日記

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投票前に知るべきこと/「憲法改正」の真実(樋口陽一、小林節)

2016-07-03 02:19:34 | 読んだもの(書籍)
○樋口陽一、小林節『「憲法改正」の真実』(集英社新書) 集英社 2016.3

 自民党が日本国憲法の改正を党是としてきたことは知っているし、具体的な改正草案を公表していることも知っていた(2012年、第二次草案)。全く近代憲法の体をなしていないという冷笑を漏れ聞くばかりで、真面目に読んでみようと思ったことは一度もなかった。しかし、このたびの参議院選の結果によっては、憲法改正が現実化してしまうかもしれない。その前に、きちんと自民党草案を読んでおこうと思った。まず自民党憲法改正推進本部のホームページに行って、草案の全文(PDFファイル)を入手し、気分が悪くなるのをこらえながら一読した後、本書を読み始めた。

 著者のおふたり。私は、樋口陽一先生のお名前はむかしから認識していたと思う。小林節先生のお名前は、2015年6月の衆議院憲法審査会において安保法案を「違憲」と表明されたときの報道で初めて知った。「改憲派の小林先生が」と驚いている反応もあって、ああ、そういう立場の人なのか、と少し用心していたのだが、同氏のその後の活躍は語るまでもない。

 本書によれば、小林先生は、1980年代から自民党の勉強会(岸信介が率いる自主憲法制定国民会議)に呼ばれるようになった。憲法を時代に合わせて変えていくことは決してタブーではないが、自民党の勉強会に出席してきた主眼は「憲法は国民を縛るものではない。国家権力を管理するための最高法規である」という憲法の基本を自民党の議員に叩き込み、彼らを善導するつもりだった(小林先生、おもしろい)。しかし、彼らは近代憲法の基本が全く理解できなかった。

 また興味深いのは、2009年の衆議院選挙(自民党の大敗で政権交代が起きた)によって、勉強熱心な叩き上げの議員が多く落選し、沈みゆく自民党を自ら去る議員も出た(自民党の第一次改憲案を起草した舛添要一氏も)。その結果、自民党には、政策知性が伴わなくても選挙に勝てる世襲議員ばかりが残った。そうか~あの選挙が、自民党の「変質」の分水嶺だったのか。

 続いて、自民党の改正草案を見て行く。二人が一致して「まずい」と思っているのは、日本国憲法十三条「すべて国民は、個人として尊重される」が「人として尊重される」に修正されていること。ああ~自民党の皆さんは「個人」という概念が嫌いなんだなあ。でもこれを消したら「近代」がまるごとなかったことになるんじゃないか。そして、自民党の「日本国憲法改正草案Q&A」の十三条の解説には「西欧由来の天賦人権説は改める必要がある」という趣旨のことが書かれていて、ちょっと正気を疑う。

 私が自民党の改正草案を読んで、いちばん辟易するのは前文である。長い歴史と固有の文化、国と郷土を守る誇りと気概、和を尊び、家族や社会全体の助け合い、美しい国土…。いやちょっと待て。法と道徳の混同は、前近代的で非知性的で気持ち悪い。気持ち悪いだけでなく、不用意に憲法に持ち込まれた(たとえ前文でも)道徳は、私たちの生活を縛る規範になり得るという。それは大変恐ろしい。

 さらにこの復古的で道徳的な前文を読んでいくと、唐突に「活力ある経済成長を通じて国を成長させる」とある。「美しい日本の社会基盤を称えながら、その社会基盤を壊さないとできない経済成長を国家の最大目標に置いている」と小林先生が唸っておられるが、こんな開発独裁国家みたいな日本は、私は嫌だ。

 少し憲法を勉強した人は、こうした自民党案批判に対して、いろいろ言いたいこともあるだろうが、本書は、それら擁護論についても丁寧な解説をしている。たとえば、スイスの憲法は、権力を縛るものというより、国家と国民が協力して国を運営していくことという体裁になっている。これは「ポスト近代」の憲法というふれこみだが、直接民主制の伝統のあるスイスだからこそ活かせるもので、日本に持ち込むのは危険である。

 緊急事態条項については、フランスで、2015年11月のパリの同時多発テロに際して1955年の法律(憲法ではない)に基づき、緊急事態が宣言されたが、かえってその問題性が露呈しており、憲法条文化の見通しは大きくないという。このへんは、聞きかじりの知識が補正できて、とてもよかった。

 樋口先生は明治憲法について、19世紀後半の基準で見れば立派な憲法だったと評価し、明治の政治家やジャーナリストの憲法観、国会観が現代にも通用するものであったことを紹介している。それに比べれば、自民党の改正草案は、明治どころか「慶安の御触書」(17世紀)に戻ろうとするものだという。だいたい古いものは大好きな私だが、これだけは阻止したいと思う。
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