見もの・読みもの日記

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神とともに生きる人々/となりのイスラム(内藤正典)

2016-07-28 23:12:56 | 読んだもの(書籍)
○内藤正典『となりのイスラム:世界の3人に1人がイスラム教徒になる時代』 ミシマ社 2016.7

 いまや世界の人口の四分の一がイスラム教徒で、近い将来、三人に一人がイスラム教徒になるのだそうだ。けれども、この数年、イスラム過激派によるテロのニュースに頻繁に接することで、イスラムは怖い、かかわりたくない、と考える人が急速に増えているらしい。「らしい」というのは、私自身にあまりその自覚がないからだ。昨年から、外国人の多いつくば市に住むようになって、スカーフをつけた女性をよく見るようになったが、特に悪い印象はない。ほかに私が知っているイスラム教徒といえば、マレーシアや中国の西域など、アジア旅行で出会った人々ばかりだが、楽しく懐かしい思い出しかないのだ。

 しかし実際に「イスラムは怖い」「かかわりたくない」と考える日本人は増えているのだろう。著者は、イスラム地域研究の経験をもとに、イスラムの社会とイスラム教徒の人間像について語り、私たちが「となりのイスラム教徒」と仲良くしていく方法を探っている。

 イスラムの価値観について、いいなと思ったのは、彼らが「線を引かない」人々であり、分け合うこと、弱者を助けることを当然と考えている、という説明。映画『アラビアのロレンス』には、ロレンスと旅の案内人の男がある井戸で水を飲んだあと、井戸の持ち主の部族長がやってきて、案内人を撃ち殺す描写があるという。しかし「俺の所有物である貴重な水を飲んだヤツは殺してもいい」というのは西洋人の誤解であり、本来のイスラム教徒は「貴重な水だからこそ、分け合わないと、みんなが生きていけない」と考えるという。

 また、人は「善行」を積むことで天国に近づくことができるという考え方もある。もし困っている人に出会ったら、神から善行を積むチャンスを与えてもらったと考える。逆に施しを受けた物乞いも、相手を天国に近づけてやったくらいに思っているから「ありがとう」なんて言わない。何だか、お互いサッパリしていていいなあ。私はこういう考え方が好きだ。著者によれば、和辻哲郎が『風土』に描いた、砂漠と岩山の厳しい環境がイスラムを生んだという説も誤解だという。イスラムは砂漠の宗教でも遊牧民の宗教でもなく、「都市で生まれた商売人の宗教」なのだという。この一点を学んだだけでも、本書を読んだ価値はあると思った。

 著者は非常に注意深く、日本人が理解しにくい(であろう)イスラム教徒の本質について解説している。近代以降の西欧社会は、神から離れることで人間は自由を得ると考えて来た。しかし、イスラムは神とともにあることで自由を得ると考える。神の領分を犯してはならない。起きたことは「定め」として受け入れる。…でも、こうした考え方は、そんなに奇妙だろうか。私は、仏教もキリスト教も、だいたい同じような生き方を示してきたと思うのだが。

 ちなみに2015年のパリで起きた「シャルリー・エブド」襲撃事件について、イスラムの偉い学者を諷刺しようと、アラブの王様を攻撃しようとイスラム教徒は怒らない、しかし予言者ムハマンドを侮辱されることは、イスラム教徒にとって、自分の父母を侮辱されることを同じなのだ、という説明には、とても納得が行った。フランス人は、千四百年以上も前の歴史上の人物をからかって何が悪い、と思ったのだろうけど、そこは残念ながら、世俗に生きる人々と信仰に生きる人々の考え方の違いなんだなあ。

 ではなぜ、「ほんとはやさしいイスラム教徒」から「イスラム国」のような凶悪なテロ組織が出てきたか。それを考えるには、面倒だけど、少なくとも百年にわたる中東の歴史をきちんと知らなくてはならない。そうか、今年2016年は、1916年のサイクス=ピコ協定(オスマン帝国領の分割を約した秘密協定)から、ちょうど百年目に当たるのか。この百年、中東のイスラム教徒たちは、安全・安心な生活から遠ざけられ、次第に過激な組織に期待するようになっている。そして、難民が殺到したヨーロッパでは、リベラルな人たちが「イスラム教徒とつきあわない自由」を主張する傾向が表れ始めているという。困った。世界はどこに行くんだろう。

 なお本書の冒頭には「(シリア内戦を止めて)世界を救える国はどこか?」という設問があって、著者は「可能性はトルコ」と答えている。「周囲の国とくらべると民主化も進んでいる」「エルドアン大統領の政権については言論弾圧や汚職など、いろいろ問題がありますが、それを差し引いても、イスラムの両派に物申すことができる国、仲介に入ることができる国はトルコしか残っていないのです」とあるが、まさに7月15日のクーデター失敗とその後の混乱のニュースを聞きながら、この箇所を読んでいた。特に前半部分(民主化も進んでいる云々)、今も著者は同じように書くだろうか、と考えてしまった。
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