○奈良国立博物館 當麻曼荼羅完成1250年記念 特別展『當麻寺(たいまでら)-極楽浄土へのあこがれ-』(2013年4月6日~6月2日)
最後に当麻寺を拝観したのはずいぶん前だったなあ、と思って自分のブログに検索をかけたら、2004年の記事が出てきた。このときは連れが一緒で、その前の師走に来たときは一人だったように思う。記事にも書いているとおり、私は同寺の四天王像が大好きなので、展覧会の会場に入って、最初に持国天立像がいるのを見たときは、にやにやしてしまった。みうらじゅん氏が「勝新太郎に似ている」と発言していなかったけな。膝を抱いて小さく丸まった邪鬼も憎めない。室町時代の絵巻『当麻寺縁起』(初見か?)に「役行者が四天王を百済から勧請する」という場面があって、なるほど、こわもてぶりが大陸or半島人らしいな、と妙に納得した。
第1会場は、平安時代(9~12世紀)の仏像が多数出ていて、ゆったり眺められるつくりになっていたのはありがたかった。確か現地では、暗いお堂の須弥壇に窮屈そうに肩を寄せ合っていた印象があって、四天王以外はよく覚えていないのだ。板光背を並べた展示も面白かった。
第2会場(西新館)に移ると、待っていたのは当麻寺中之坊の中将姫像(鎌倉時代)。白い頭巾を被っているが、展示図録に頭巾を外した写真があって、ふっくらした頬が若い女性らしい。女性の肖像彫刻って、珍しいのではないかしら。『当麻曼荼羅絵巻』は、原本(鎌倉・光明寺蔵)+摸本で、久しぶりに全ストーリーを確認する。
それから、極楽への憧れに焦点をあて、絵画・彫刻、「迎講」で用いられた菩薩面などを展示。30センチくらいの小さな二十五菩薩が、思い思いのポーズを取る群像図(江戸時代)は、むかし当麻寺で見たとき、やりすぎだろうと思って引いてしまったが、開き直って、フィギュアっぽく並べた展示は面白かった。確か、このセクションで、当麻寺には「人が中に入れる阿弥陀如来像」があると知って、ものすごく驚いた。着ぐるみじゃあるまいし。図録を見ると、出品リストには該当がなくて、巻頭の写真集にある「阿弥陀如来立像 本堂」がそれらしい。会場ではパネルだけだったのかしら。忘れた。
そして『綴織当麻曼荼羅』(根本曼荼羅)そのものも見ることができた。ちょうど原本の展示期間(4/6-14,4/23-5/6)に当たっていたのだが、よかったかどうか。肉眼では、図様はほとんど見えない状態なのだ。初めて当麻寺に行ったとき「こちらが当麻曼荼羅です」と案内されても、自分が見ているのは、ただの板扉だと思って「ふだんは出していないんですか?」とお聞きしてしまった記憶がある。室町時代の模写「文亀本」(4/16-21,/21-6/2)なら、もう少し図様が分かるのではないか。会場には、原寸大のパネル上で、部分を拡大映写しながら、曼荼羅の見かた(ストーリー展開)を説明する方法がとられていて、ありがたかった。出品リストを見ると、原本って「中国・唐または奈良時代」ということになっているんだな。
さらに途中のコーナーにあったパソコンでは、原本画像の任意の箇所を拡大し、クリックすると、対応する「文亀本」の画像、あるいは、より明晰な「貞享本」の画像を切替表示するシステムが操作できた。奈良博と国立情報学研究所との共同開発。子供だましではなく、研究に活用できるレベルであることに感心した。時間が遅かったせいか、誰も触っていなかったのが残念。もっと宣伝すればいいのに。
後世に伝わった様々な転写曼荼羅も見ることができた。私は、日本的な浄土曼荼羅の重要ポイントは、蓮池の中央に描かれる「童子たち」ではないかと思う。敦煌などの浄土変相図だと、必ずしも童子がいなくて(あるいは隅に追いやられていて)、中心では琵琶を持った天女が舞っていたりする。
当麻曼荼羅を格納する厨子の扉も展示されていて、内側がこんなにきれいだとは思わなかった(蓮池の蒔絵文様)。結縁者の中に源頼朝の名前があるのも、もちろん見逃さなかった。
※補記。私がお堂で見て、図様が確認できない…と思ったのが文亀本だったかもしれない、と思い始めた。すでに曖昧な記憶だが、このままにしておく。
※補記その2。会場にあった無料配布の二色刷のリーフレットを貰ってきたので、開けてみたら、マンガふうのイラストで当麻曼荼羅の見かたが掲載されていた。作者は、2009年の『聖地寧波展』のこどもガイドブック「寧波虎の巻」のイラストを描かれた方だと思う。品があって、かわいいし、分かりやすい。でも中折リーフレットの表面には、それほど可愛いイラストがないので、開けてくれないんじゃないかと思う。惜しい!もったいない!
最後に当麻寺を拝観したのはずいぶん前だったなあ、と思って自分のブログに検索をかけたら、2004年の記事が出てきた。このときは連れが一緒で、その前の師走に来たときは一人だったように思う。記事にも書いているとおり、私は同寺の四天王像が大好きなので、展覧会の会場に入って、最初に持国天立像がいるのを見たときは、にやにやしてしまった。みうらじゅん氏が「勝新太郎に似ている」と発言していなかったけな。膝を抱いて小さく丸まった邪鬼も憎めない。室町時代の絵巻『当麻寺縁起』(初見か?)に「役行者が四天王を百済から勧請する」という場面があって、なるほど、こわもてぶりが大陸or半島人らしいな、と妙に納得した。
第1会場は、平安時代(9~12世紀)の仏像が多数出ていて、ゆったり眺められるつくりになっていたのはありがたかった。確か現地では、暗いお堂の須弥壇に窮屈そうに肩を寄せ合っていた印象があって、四天王以外はよく覚えていないのだ。板光背を並べた展示も面白かった。
第2会場(西新館)に移ると、待っていたのは当麻寺中之坊の中将姫像(鎌倉時代)。白い頭巾を被っているが、展示図録に頭巾を外した写真があって、ふっくらした頬が若い女性らしい。女性の肖像彫刻って、珍しいのではないかしら。『当麻曼荼羅絵巻』は、原本(鎌倉・光明寺蔵)+摸本で、久しぶりに全ストーリーを確認する。
それから、極楽への憧れに焦点をあて、絵画・彫刻、「迎講」で用いられた菩薩面などを展示。30センチくらいの小さな二十五菩薩が、思い思いのポーズを取る群像図(江戸時代)は、むかし当麻寺で見たとき、やりすぎだろうと思って引いてしまったが、開き直って、フィギュアっぽく並べた展示は面白かった。確か、このセクションで、当麻寺には「人が中に入れる阿弥陀如来像」があると知って、ものすごく驚いた。着ぐるみじゃあるまいし。図録を見ると、出品リストには該当がなくて、巻頭の写真集にある「阿弥陀如来立像 本堂」がそれらしい。会場ではパネルだけだったのかしら。忘れた。
そして『綴織当麻曼荼羅』(根本曼荼羅)そのものも見ることができた。ちょうど原本の展示期間(4/6-14,4/23-5/6)に当たっていたのだが、よかったかどうか。肉眼では、図様はほとんど見えない状態なのだ。初めて当麻寺に行ったとき「こちらが当麻曼荼羅です」と案内されても、自分が見ているのは、ただの板扉だと思って「ふだんは出していないんですか?」とお聞きしてしまった記憶がある。室町時代の模写「文亀本」(4/16-21,/21-6/2)なら、もう少し図様が分かるのではないか。会場には、原寸大のパネル上で、部分を拡大映写しながら、曼荼羅の見かた(ストーリー展開)を説明する方法がとられていて、ありがたかった。出品リストを見ると、原本って「中国・唐または奈良時代」ということになっているんだな。
さらに途中のコーナーにあったパソコンでは、原本画像の任意の箇所を拡大し、クリックすると、対応する「文亀本」の画像、あるいは、より明晰な「貞享本」の画像を切替表示するシステムが操作できた。奈良博と国立情報学研究所との共同開発。子供だましではなく、研究に活用できるレベルであることに感心した。時間が遅かったせいか、誰も触っていなかったのが残念。もっと宣伝すればいいのに。
後世に伝わった様々な転写曼荼羅も見ることができた。私は、日本的な浄土曼荼羅の重要ポイントは、蓮池の中央に描かれる「童子たち」ではないかと思う。敦煌などの浄土変相図だと、必ずしも童子がいなくて(あるいは隅に追いやられていて)、中心では琵琶を持った天女が舞っていたりする。
当麻曼荼羅を格納する厨子の扉も展示されていて、内側がこんなにきれいだとは思わなかった(蓮池の蒔絵文様)。結縁者の中に源頼朝の名前があるのも、もちろん見逃さなかった。
※補記。私がお堂で見て、図様が確認できない…と思ったのが文亀本だったかもしれない、と思い始めた。すでに曖昧な記憶だが、このままにしておく。
※補記その2。会場にあった無料配布の二色刷のリーフレットを貰ってきたので、開けてみたら、マンガふうのイラストで当麻曼荼羅の見かたが掲載されていた。作者は、2009年の『聖地寧波展』のこどもガイドブック「寧波虎の巻」のイラストを描かれた方だと思う。品があって、かわいいし、分かりやすい。でも中折リーフレットの表面には、それほど可愛いイラストがないので、開けてくれないんじゃないかと思う。惜しい!もったいない!