昨夜は通夜だった。従妹の嫁ぎ先のお父さんで、せがれも同じ会社の同級生、家も近い。元気のいいおやじさんで、話しだすと止まらない。現役を引退したうちの親父を訪ねて来ては、大声で気合いをかけたりする、近所では名物オヤジだった。
ここでも「がん」が出てくる。肺がんで入院生活も長かったが、積極的に治療を受けていたと聞いていたし、お盆の頃までは「落ち着いている」と聞いていたが、突然の訃報。2日前までは食事も口にしていたというから、ごく近い家族でしか見送れなかったとか。
「いい先生(医者)に出会えて、前向きに治療を受けた。最期、その先生が来てくれなかったのは心残り」と、悲痛なる家族の声。一緒に通夜に列席した妻は、実はその病院の看護師をしており、そんな声を聞くのも切なかっただろう。
亡くなったのが、土曜の深夜だったこともあり、24時間、365日、主治医を拘束できないし、医師の過重労働は地方の病院とて同じだからねー。
病院に限らず、ホスピス、高齢者の介護施設などは、単に人の死と向き合う場所というだけでなく、亡くなる本人の魂や、複雑な思いで看取る家族の思いが複雑に入り乱れる、正に人間模様の最前線(もしかして最後尾?)となる。
「南無阿弥陀仏」の願いは、家族をはじめ、多くの残された人たちを浄土に導くものであってほしいが、割り切れないのも残された者が生きている証拠。今後「なもなも」する時間が浄土に近づけてくれるんでしょうかねー。