副題は「実録 中国踏査記」。
昔、上海に東亜同文書院(とうあどうぶんしょいん)という大学がありました。明治34年に設立された日本人学校で、敗戦によって解体されてしまい、引き上げた教師や学生たちが集まって作ったのが豊橋の愛知大学となるわけですが、そこの日本人学生は卒業旅行として中国大陸を旅行するのが常だったそうです。
卒業旅行と言っても単なる物見遊山ではなく、帰還後は報告書を大学に提出するのが前提で、そのため「スパイ養成学校」と疑われたこともあったのだとか。そりゃあ、5人ほどの学生グループが中国大陸の奥深くまでメモ取りながら移動してたら、そう思うよね。
その戦火を逃れて日本へ送られたレポートのうちから何回分かを抜粋してまとめたのが本書。おざなりな見聞録でもなければ、取り繕った報告書でなく、学生たちが生身で中国を体験した記録です。収録されているのは「普蒙隊旅行記」(上海-天津-内蒙古 1908)、「入蜀紀行」(上海-武漢-成都 1911)、「香港より北海」(上海-厦門-北海 1912)、「笛聲三万里」(上海-大連-ウラジオストック 1915)、「濱雲蜀水」(上海-香港-雲南-成都-南京 1920)、「青海行」(上海-西安-青海湖-包頭 1921)、「朔北より中原へ」(上海-漢口-包頭-天津 1925)、「北支那紀行」(上海-北京-黒竜江省-京城 1929)、「アムールの流れ」(上海-大連-満州里-黒竜江 1931)のおよそ20年分の一部。
旅行といっても明治・大正・昭和初期の大陸で、中央政府の権威は失墜していた時代です。しかも旅行先は大陸全土、シベリアからインドまで。卒業旅行と称して軍閥や馬賊が跳梁跋扈している大陸奥地や辺境に送り出す大学といい、平気で出かけていって銃弾にさらされたり濁流にもまれたりしながら何ヶ月もしてからふらりと帰ってくる学生といい、とんでもない時代です。今では無理な話でしょう。
どこそこで幾らで饅頭を買った、日本で学んだ中国人ほど日本人嫌いになっている、馬賊に襲われ銃弾をかいくぐって逃げた、青竜刀と火縄銃で武装した革命軍に包囲された、こちらでは四川軍が壊滅した、ロシアからの難民と遭遇した、日本人が滅多に訪れないような奥地にまでヨーロッパ人によって大きな教会などの建物が建てられている等々。単に資料の数字だけでは把握できない生きた記録がここに詰まっています。
旅先で医者のまねごとをしなければいけなくなって、正露丸と天狗目薬でなんとか切り抜けたとか、味の素は賄賂に有効だとか、総じて正露丸・天狗目薬・味の素を大陸旅行の三種の神器というのは、この本で知りました(役立たせる機会は絶対にありませんが)。(2008.8/29 2020/02/17改稿)
【大旅行記録】【実録 中国踏査記】【滬友会】【東亜同文書院】【卒業旅行】【馬賊】【軍閥】【味の素】【近衛篤麿】
昔、上海に東亜同文書院(とうあどうぶんしょいん)という大学がありました。明治34年に設立された日本人学校で、敗戦によって解体されてしまい、引き上げた教師や学生たちが集まって作ったのが豊橋の愛知大学となるわけですが、そこの日本人学生は卒業旅行として中国大陸を旅行するのが常だったそうです。
卒業旅行と言っても単なる物見遊山ではなく、帰還後は報告書を大学に提出するのが前提で、そのため「スパイ養成学校」と疑われたこともあったのだとか。そりゃあ、5人ほどの学生グループが中国大陸の奥深くまでメモ取りながら移動してたら、そう思うよね。
その戦火を逃れて日本へ送られたレポートのうちから何回分かを抜粋してまとめたのが本書。おざなりな見聞録でもなければ、取り繕った報告書でなく、学生たちが生身で中国を体験した記録です。収録されているのは「普蒙隊旅行記」(上海-天津-内蒙古 1908)、「入蜀紀行」(上海-武漢-成都 1911)、「香港より北海」(上海-厦門-北海 1912)、「笛聲三万里」(上海-大連-ウラジオストック 1915)、「濱雲蜀水」(上海-香港-雲南-成都-南京 1920)、「青海行」(上海-西安-青海湖-包頭 1921)、「朔北より中原へ」(上海-漢口-包頭-天津 1925)、「北支那紀行」(上海-北京-黒竜江省-京城 1929)、「アムールの流れ」(上海-大連-満州里-黒竜江 1931)のおよそ20年分の一部。
旅行といっても明治・大正・昭和初期の大陸で、中央政府の権威は失墜していた時代です。しかも旅行先は大陸全土、シベリアからインドまで。卒業旅行と称して軍閥や馬賊が跳梁跋扈している大陸奥地や辺境に送り出す大学といい、平気で出かけていって銃弾にさらされたり濁流にもまれたりしながら何ヶ月もしてからふらりと帰ってくる学生といい、とんでもない時代です。今では無理な話でしょう。
どこそこで幾らで饅頭を買った、日本で学んだ中国人ほど日本人嫌いになっている、馬賊に襲われ銃弾をかいくぐって逃げた、青竜刀と火縄銃で武装した革命軍に包囲された、こちらでは四川軍が壊滅した、ロシアからの難民と遭遇した、日本人が滅多に訪れないような奥地にまでヨーロッパ人によって大きな教会などの建物が建てられている等々。単に資料の数字だけでは把握できない生きた記録がここに詰まっています。
旅先で医者のまねごとをしなければいけなくなって、正露丸と天狗目薬でなんとか切り抜けたとか、味の素は賄賂に有効だとか、総じて正露丸・天狗目薬・味の素を大陸旅行の三種の神器というのは、この本で知りました(役立たせる機会は絶対にありませんが)。(2008.8/29 2020/02/17改稿)
【大旅行記録】【実録 中国踏査記】【滬友会】【東亜同文書院】【卒業旅行】【馬賊】【軍閥】【味の素】【近衛篤麿】