村上春樹 2004年・講談社文庫版(上・下巻)
はい、こないだっからの続きで、村上春樹。
順番に読み返してってみよーと思ってるんで、「ノルウェイの森」の次は、これ。
それにしても、どこ行っちゃったんだろーなー。
1988年に出た単行本、もちろん初版を、買って持ってたんだけど、見つからない。
結局、去年から探してんだけど、あるはずなのに、「パン屋再襲撃」(1986年)、「日出る国の工場」(1987年)、「ダンス・ダンス・ダンス」(1988年)の三つがない。
比較的時代が近接しているんで、その直後くらいに手放しちゃったことが考えられるが、私が本を売ったりしちゃう暴挙を始めたのは2001年の引っ越しの直前くらいからなんで、このへんの本については、そんなはずないなーと思う。
というのも、2001年ころに手元にあった本ってのは、1994年の引っ越しと1997年の引っ越しのあとに買って持って歩いてたものであって、それより前のこのあたりの本は実家の押し入れに放り込んだままのはずなんである。
(当然のことながら、うちの親は「あんたの本には、絶対に、触ってないからね」と言う。まあ、そうだろう。)
結局、想像できる結論としては、1989年から90年ころは、文学等について知識を共有することにえらく気前がよかったんで、誰かに貸しちゃったんぢゃないかってことになる。
ま、いいってば、いいんだけどね、それならそれで。(当時はいまより友達が多かった。)
文庫本は、世の標準に従って、単行本の3年後の1991年に出たらしいけど、今回買ったやつはぐっと新しい時代のものである。
ま、中身が変わるわけぢゃないから(変わってないんだろうな?)、いいんだけど、これもこれで。
で、ひさしぶりに読んでみたんだけど、もう全然、前に読んだときの記憶なんてなくて、それなりに面白く読めました。
「羊をめぐる冒険」までとは、ちょっと(実際だいぶ)違うし、最近の村上春樹作品に比べると、なんだか「羊をめぐる冒険」とかに近い感じで古いし(あたりまえだ)、ちょっと不思議。やっぱ年代順に読み返してったほうがいいのかもしれないと思った。
うーん、でも「羊~」で失ったり失われてしまったりした主人公の「僕」が、続編でこんなふうになるとはなー、悲しい終わり方のままでもよかったのに、って感じを今読んだらあらためて受けている。
まあ、私は「1Q84」も、2巻で終わりでよかったのにと思ってる読者なんで。
ちなみに、本書の舞台は1983年。いろんな固有名詞が懐かしかったりする。
昔の村上作品のように、ドーナツに対する愛も感じられるしね。それも、その時代っぽい。

※4月9日付記
どーでもいーけど、ものすごくひさしぶりに読んでみて思ったことは、インターネットによる検索なんていう手段がなくて、ものを調べに図書館に行ったりとか、ケータイがなくて、相手と好きな時に速やかに連絡がとることが今より難しかったりとかって、時代を感じるなーってことでした。
ほんのちょっと前のことなのに。
まるでシャーロック・ホームズが、連絡つけるのに電報打ったり、どこかへ急いで行くのに馬車に乗って行ったりするのを、読んでるかのような感じを受けちゃいました。
テクノロジーの進歩ってのは、文学にも影響するよね。人間の生き方を変えちゃうから。
はい、こないだっからの続きで、村上春樹。
順番に読み返してってみよーと思ってるんで、「ノルウェイの森」の次は、これ。
それにしても、どこ行っちゃったんだろーなー。
1988年に出た単行本、もちろん初版を、買って持ってたんだけど、見つからない。
結局、去年から探してんだけど、あるはずなのに、「パン屋再襲撃」(1986年)、「日出る国の工場」(1987年)、「ダンス・ダンス・ダンス」(1988年)の三つがない。
比較的時代が近接しているんで、その直後くらいに手放しちゃったことが考えられるが、私が本を売ったりしちゃう暴挙を始めたのは2001年の引っ越しの直前くらいからなんで、このへんの本については、そんなはずないなーと思う。
というのも、2001年ころに手元にあった本ってのは、1994年の引っ越しと1997年の引っ越しのあとに買って持って歩いてたものであって、それより前のこのあたりの本は実家の押し入れに放り込んだままのはずなんである。
(当然のことながら、うちの親は「あんたの本には、絶対に、触ってないからね」と言う。まあ、そうだろう。)
結局、想像できる結論としては、1989年から90年ころは、文学等について知識を共有することにえらく気前がよかったんで、誰かに貸しちゃったんぢゃないかってことになる。
ま、いいってば、いいんだけどね、それならそれで。(当時はいまより友達が多かった。)
文庫本は、世の標準に従って、単行本の3年後の1991年に出たらしいけど、今回買ったやつはぐっと新しい時代のものである。
ま、中身が変わるわけぢゃないから(変わってないんだろうな?)、いいんだけど、これもこれで。
で、ひさしぶりに読んでみたんだけど、もう全然、前に読んだときの記憶なんてなくて、それなりに面白く読めました。
「羊をめぐる冒険」までとは、ちょっと(実際だいぶ)違うし、最近の村上春樹作品に比べると、なんだか「羊をめぐる冒険」とかに近い感じで古いし(あたりまえだ)、ちょっと不思議。やっぱ年代順に読み返してったほうがいいのかもしれないと思った。
うーん、でも「羊~」で失ったり失われてしまったりした主人公の「僕」が、続編でこんなふうになるとはなー、悲しい終わり方のままでもよかったのに、って感じを今読んだらあらためて受けている。
まあ、私は「1Q84」も、2巻で終わりでよかったのにと思ってる読者なんで。
ちなみに、本書の舞台は1983年。いろんな固有名詞が懐かしかったりする。
昔の村上作品のように、ドーナツに対する愛も感じられるしね。それも、その時代っぽい。

※4月9日付記
どーでもいーけど、ものすごくひさしぶりに読んでみて思ったことは、インターネットによる検索なんていう手段がなくて、ものを調べに図書館に行ったりとか、ケータイがなくて、相手と好きな時に速やかに連絡がとることが今より難しかったりとかって、時代を感じるなーってことでした。
ほんのちょっと前のことなのに。
まるでシャーロック・ホームズが、連絡つけるのに電報打ったり、どこかへ急いで行くのに馬車に乗って行ったりするのを、読んでるかのような感じを受けちゃいました。
テクノロジーの進歩ってのは、文学にも影響するよね。人間の生き方を変えちゃうから。