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好きな本とかについて、ちょこちょこっと書く場所です。蔵書整理の見通しないまま、特にきっかけもなく08年12月ブログ開始。

意味がなければスイングはない

2013-05-29 21:39:55 | 村上春樹
村上春樹 2005年 文藝春秋
ジャンルを問わず順番に読み返してってる村上春樹、つぎはこれの番。
初出が「ステレオサウンド」誌(読んだことない)の2003年から2005年、村上さんが音楽について、好きなだけ語ったのを集めた本。
タイトルは、“デューク・エリントンの名作「スイングがなければ意味はない」”からきてるらしいけど、私はその曲知らない。“これ以上速いテンポでは演奏できないような猛スピードに設定されている”曲らしいけど。
まあ、それ以外にも、出てくるミュージシャンや曲の多くを、私は知らない。
時代が違うせいなのか、好みが違うせいなのか、とも思うけど、やっぱ村上さんは音楽を職業にしたくてジャズ喫茶始めたひとだから、私なんかとは音楽に対する思いも姿勢も全然ちがうんでしょう。
それでも、いいこと言うなあと思わされたフレーズをいくつか。
クラシック音楽を聴く喜びは、「自分だけの引き出し」をもつこと。世間の評価がどうこうぢゃなくて、自分のすきな曲・演奏をみつけて、それを体験すること。そういう体験が、自分のなかに貴重な温かい記憶をつくる。
>もし記憶のぬくもりというものがなかったとしたら、太陽系第三惑星上における我々の人生はおそらく、耐え難いまでに寒々しいものになっているはずだ。だからこそおそらく僕らは恋をするのだし、ときとして、まるで恋をするように音楽を聴くのだ。(p.77)
『世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド』で、ダニーボーイのメロディーを思い出し、やがて彼女の記憶をみつけるとこ、浮かんできましたねえ、これ読んで。
もうひとつは、そんな詩的表現ぢゃなくて、音楽論みたいなもんだけど、プーランクの曲をプーランク自身が演奏しているのを聴いても、なんか物足りないことについて、
>テキストと解釈というのは、やはりべつのレベルで成立するものなのだということが、この演奏を聴いていると実感できる(p.228)
と言ってるとこ。
なんだかよくわかんないけど、同時代のミュージック・シーンを聴くと、自分の持ち歌しかやってないわけで、そうぢゃなくて、他のひとが演奏してみて、それに耐えうるもの、それが新しい解釈というか展開をみせるものぢゃなきゃ、ほんとの音楽ぢゃないんぢゃないかな、って思わされたもんだから。
あと、同じプーランクの章で、CDぢゃなくて、LPをターンテーブルに載せて音楽を聴く日曜日の朝があることなんかについて、「人生のとってのひとつの至福」と言ってる。
>それは、たとえほんのささやかなものであれ、世界のどこかに必ずなくてはならない種類の至福であるはずだと、僕は考える(p.241)
ってとこ、例の「小確幸」の思想につながってるよね。
不思議なことに、読み返してみても、あいかわらず、私は村上さんの書いたものを読んで、その音楽を聴いてみようという気にならない。
なんでだろうな? プロフェッショナルすぎて、私には遠い世界だ、って感じちゃうからかもね。
コンテンツは以下のとおり。
・シダー・ウォルトン 強靭な文体を持ったマイナー・ポエト
・ブライアン・ウィルソン 南カリフォルニア神話の喪失と再生
・シューベルト「ピアノ・ソナタ第十七番ニ長調」D850 ソフトな混沌の今日性
・スタン・ゲッツの闇の時代1953-54
・ブルース・スプリングスティーンと彼のアメリカ
・ゼルキンとルービンシュタイン 二人のピアニスト
・ウィントン・マルサリスの音楽はなぜ(どのように)退屈なのか?
・スガシカオの柔らかなカオス
・日曜日の朝のフランシス・プーランク
・国民詩人としてのウディー・ガスリー
コメント
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