many books 参考文献

好きな本とかについて、ちょこちょこっと書く場所です。蔵書整理の見通しないまま、特にきっかけもなく08年12月ブログ開始。

かっこいいスキヤキ

2010-12-20 16:00:51 | マンガ
泉昌之 1998年 扶桑社文庫版
きのうのつづき、泉昌之の短編集。
泉昌之は、読めばおもしろいんだが、単行本を買うまでいってなくて。
長いこと『ダンドリくん』くらいしか持ってなかったんだけど、かの有名な『夜行』が入ってるんで、この文庫を買ったんだったかな。持ってるのは2000年の第2刷。
『夜行』は、夜行列車のなかで、ハードボイルド風をきどる男が、駅弁を食べるっつーだけの話。
おかずとご飯のバランスとか、細っかいことにこだわりながら、ひとり真剣に弁当を食う。
何の役にも立たないことを大げさかつ大マジメに描かれてんのを、「そうだ」とか「ある、ある」とか喜べるひとには、面白く読めるんぢゃないかと思いますが。
コンテンツは、以下のとおり。
ちなみに「最後の晩餐」ってのが、本のタイトルにあるスキヤキに関する話。同じ鍋を囲んでる同士のなかで、いかに肉ばっか狙ってるかのように見せずに、それでいてちゃんと肉食うかって、またしょうもないこだわりを描いたもの。
「夜行」
「ロボット」
「花粉」
「スーパーウルトラジャイアントキングG」
「ARM JOE」
「最後の晩餐」
「POSE」
「THE APARTMENT HOUSE vol1 MIDNIGHT DANCING 4 1/2」
「THE APARTMENT HOUSE vol2 蚊が来る」
「THE APARTMENT HOUSE vol3 大形平次捕物帳」
「THE APARTMENT HOUSE vol4 ゴージャスの人」
「THE APARTMENT HOUSE vol5 だってアトミックLOVE」
「ウルトラLOVE」
「耳掘り」
「プロレスの鬼」
「パチンコ」
「ズミラマ館」
「すもも太郎」
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孤独のグルメ

2010-12-19 23:01:08 | マンガ
原作・久住昌之×作画・谷口ジロー 2000年 扶桑社文庫版
こないだ『マンガの教養』を読んだとき、そこに紹介されてる100篇のなかでも、「お!これ読みたい!」って思って、すぐ買ったマンガ。
泉昌之は前からけっこう好きなんで。
ちなみに泉昌之ってのは、泉晴紀と久住昌之という二人のコンビ名ではあるけど。
で、この本は久住昌之が原作で、例によって、食べることにこだわってるマンガなんだけど、それを泉晴紀ぢゃなくて谷口ジローの絵でってとこが、なんとも魅力的である。
グルメって名はついてるけど、有名な高級店行ったりとか、食材に関するウンチク並べたりとかってんぢゃない。
よくある街角の定食屋とか、ときにデパートの屋上でとか、そういうとこで、「腹減ったぁ、うーん何食おう」って感じで、飛び込んでみて当たりの店だったらラッキーってノリで、いろんなものを食べるんである。
最近B級グルメとか称して、妙に持ち上げられてたりするもんもあったりするけど、そこまでヘンに力が入ってはいないとこが、丁度いい味だしてるマンガだと思う。
主人公は輸入雑貨の貿易商を個人でやっているという井之頭五郎って男性なんだが、酒は飲めなくて、白い飯が好きってキャラ。
以下のように、コンテンツを並べてみれば、なんか妙に細かいこだわりが分かるんぢゃないかと思います。
第1話 東京都台東区山谷のぶた肉いためライス
第2話 東京都武蔵野市吉祥寺の廻転寿司
第3話 東京都台東区浅草の豆かん
第4話 東京都北区赤羽の鰻丼
第5話 群馬県高崎市の焼きまんじゅう
第6話 東京発新幹線ひかり55号のシュウマイ
第7話 大阪府大阪市北区中津のたこ焼き
第8話 京浜工業地帯を経て川崎セメント通りの焼き肉
第9話 神奈川県藤沢市江ノ島の江ノ島丼
第10話 東京都杉並区西荻窪のおまかせ定食
第11話 東京都練馬区石神井公園のカレー丼とおでん
第12話 東京都板橋区大山町のハンバーグ・ランチ
第13話 東京都渋谷区神宮球場のウィンナー・カレー
第14話 東京都中央区銀座のハヤシライス(の消滅)とビーフステーキ
第15話 東京都内某所の深夜のコンビニ・フーズ
第16話 東京都豊島区池袋のデパート屋上のさぬきうどん
第17話 東京都千代田区秋葉原のカツサンド
第18話 東京都渋谷区渋谷百軒店の大盛り焼きそばと餃子
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読みにくい名前はなぜ増えたか

2010-12-17 21:01:59 | 読んだ本
佐藤稔 2007年 吉川弘文館・歴史文化ライブラリー
おとといの『日本人はなぜキツネにだまされなくなったのか』と同じように、ホリイ氏の本(こちらは『落語の国からのぞいてみれば』から)の参考文献としてあげられてるなかから、読んでみたもの。
著者は秋田大学教育文化学部教授だそうです。
冒頭で、例として、地方紙に紹介されている新生児の名前=2006年7月の一カ月分176人を紹介して、近年の名前の読みにくさを問題提起するところからはじまってます。
で、本のタイトルは「~なぜ増えたか」ってなってますけど、その理由についてハッキリと結論づけてるものではないです。
今後もよく分析してみる必要があるけれど、このままぢゃ日本語・漢字表記のシステムが壊れてっちゃう危険性がありますよ、という問題提起、このことに関心を寄せてほしいという意図で書かれてます。
第一章の「『名づけ』と『名前』」では、あるモノに名をつけるのは、そのものの存在を認識して明らかにすることだっていう、そもそもの話から始まります。
だから「他のひととは違う」って主張する、特色ある名前をつけたいってのはわかる。でも、よい名前ってのは、(1)よい意味を持っている(2)やさしい文字を選ぶ(3)やさしい読み方を持っている ってことが大事で、つけた名前がちゃんと正確に読んでもらえないのは不幸でしょ、って指摘してます。
第二章の「名の用語と由来」は、姓・氏・苗字の解説から、幼名・実名・呼び名といった日本人にはひとりにいろんな名前があったこと、歴史のなかでどんな名前があったのかなど、いろいろ名前に関する学術的内容が記されていて、たいそう勉強になります。
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新・UFO入門

2010-12-16 20:34:31 | 読んだ本
唐沢俊一 2007年 幻冬舎新書
きのうのつづき。
っていうのは、副題が「日本人は、なぜUFOを見なくなったのか」で、きのうの「日本人はなぜキツネにだまされなくなったのか」と雰囲気似てるでしょ。
で、この副題こそが本書のテーマなんだと思います。
海外や日本でのUFO史(って言っていいのか?)が、いろいろ採りあげられてて、なんで人はUFOを見るんだろうねってことを考察してる。
(どうでもいいけど、「UFOを見る」って、ヘンな言葉の響きだ。ぎりぎりセーフだけど。
 まあ、もっとひどくなると「疑いなくUFOと認められた」とかヘンな言い方もあるけど。
 UFOは宇宙人の乗ってる円盤って意味ぢゃなく、未確認なものだってこと、ときどき忘れられるときがあるみたい。)
アイデンティティを確立できてなくて、自分の存在を不安に思う人が、空をあおいだとき、そこにUFOを見るとか。
やっぱ現実が苦しくて、まだ見ぬ未来、明るく希望に満ちた未知なるものを夢みようとするとき、空に宇宙人の乗った円盤を見つけようとするんだろう、ってのが一つの結論ではあります。
UFOは、「心の逃げ場」だ、って、いきなり言われたら、それこそ、UFOを見たいと思ってる人たちは、認めないと思いますけど。そんなにはずれてはないような気がします。
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日本人はなぜキツネにだまされなくなったのか

2010-12-15 21:33:21 | 読んだ本
内山節 2007年 講談社現代新書
堀井憲一郎の『江戸の気分』に、落語に出てくる江戸時代の登場人物たちはキツネ・タヌキにだまされるって章があるんだけど、そこに参考文献として挙げられていたんで、読んでみた。
著者は哲学者で、釣りが趣味でよく山里へ行くんだけど、日本のあちこちで当たり前のように「キツネにだまされた」という話をよく聞いたもんだと。
ところが、どこの地域でも、最近は聞かない。(聞かないよな、そりゃ。)
それが、注意してみると、1965年を境に、日本のどこでもパッタリと人はキツネにだまされなくなったんだと。
考えられることはいくつかあって、経済成長のなかで非経済的(?)な感覚を人が失ったとか、科学万能的な時代になって非科学的な感覚を人が失ったとか、テレビ・電話の普及で情報の伝達が変わったとか、進学率のアップで合理的な考え方が支配的になったとか、都市が広がって村が衰弱したとか、いろいろ。
でも、著者は単純な時代の変化ってだけぢゃなくて、人間にとっての「歴史」とは何かってことを深く考察してます。
「知性によってとらえられた歴史」「身体によって受け継がれてきた歴史」「生命によって引き継がれてきた歴史」が人にはあって、一番うさんくさい(だって権力が教科書を好きなように作ったりするぢゃない?)知性による歴史ばっか強くなって、あとの二つが弱くなってきちゃったあたりに問題があるってことになるのかな。
実際の動物としてのキツネがどうこうぢゃなくて、自然と人間との関わり合いの問題。キツネに姿を託した何か、神様でもいいし超自然的な力でもいいけど、そういうものが見えなくなっちゃった感じられなくなっちゃった、そのことを考えましょうってことですね。自然をちゃんと認識して生きてますか?って。
んー、歴史哲学とかいうと、話がむずかしそうだけど、“キツネが人をだますのは、物語が生まれること”とか“キツネにだまされるには、能力・資質が必要”とか言われると、ドキッとして面白い。
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