米長邦雄 平成元年 祥伝社
サブタイトルは『「運」と「努力」と「才能」の関係』
前回の先ちゃんの師匠、故米長邦雄先生の書いた本。
将棋以外の、いわば勝負哲学(人生論?)に関する著書という点では、私にとっては『人間における勝負の研究』(昭和57年)に次ぐ二冊目ということになる。
勝つためにはどうしたらいいのか、人生の岐路ともいうべき場面でどういう選択をすべきか、ってのが具体的な事例をあげて並べられてるんで、(自分で実行できるかどうかはおいといて)面白いし役に立つ。
ハタチまでに成功する人間ってえのは百パーセント親の力によるものだ、親が運をもたらしてるに違いない、って主義の著者は、第一章で、史上最年少の21歳で名人位についた谷川浩司の親に、仕事にかこつけて自宅に押しかけて、会いに行く。
そのときに、タイトル戦の挑戦者に決まった直後の弟弟子をつれていく。「稽古の予定がある」というのをキャンセルさせる。
稽古というのは一部のひとのための仕事、タイトル挑戦者に決まったからには全国のファンとメディアを相手にするんだから、そんなことにこだわるなと言って、強引につれていく。
もちろん、ただドタキャンしたら申し訳ないので、代わりに師匠を行かせるというところが勝負術。自分の代わりに弟子(いないけど)を行かせたら失礼だが、師匠が行くぶんにはかまわんだろというのが独特の道理。
で、そんなこんなで若き名人の親に面会することに成功するんだが、その父親というのが六十になるけど生涯一度も怒ったことがないという人物(ちなみに僧侶)で、「家の空気が丸い」ということを感じ取るという収穫をえたりする。
次章では、九歳のときの先崎学との出会いから、内弟子にとるまでのいきさつが語られている。
それと同時に、勝負師になる者にとっての親の重要性、“子に対する思い”が子の人生を左右するという考察が述べられている。
第三章では、羽生・森下といった(当時の)若手の名をあげて、研鑽してやまない姿勢、その根本にある危機感のようなものを紹介し、同時に情熱がある者たちにとって、そういう意志のない者の存在は「空気が濁る」耐えがたいものであるということを主張している。
ほかにも、自身の幼少期のことや、相場や勝負や運には波があることや、スランプ脱出法などについても書かれているが、就職の世話を頼まれたときに、「いま母親が入ってほしいと思うような会社は30年後は危うい」とか「2社のどっちでも入れそうだから推薦してくれというのは謙虚さがない」とか、そういう事例を一蹴しているとこなんかはわかりやすくていい。
そのへんは、次の著作にもつながる、勝負の女神に好かれるのにはどうしたらいいのか、ってのにもつながってるし。
ああ、そうそう、修行時代に、故郷の甲府から東京までキセルをしたけど、やがてしなくなったって話もいいやね。
>キセルをして金を浮かすと、浮かした分だけ必ずどこかで損をするに相違ない。たぶん運気を損ねる(略)一度キセルをすればそれに見合う運気を損なうはずだ。私は、キセルをするような人間がトップに立つとしたら、その世界はたぶんロクなものじゃないだろう、と考えた。
という箇所だ。親が戦中の国策に従って財産を失ったことを「ウチは日本国に貸しがある=いつか借りは返ってくる」ととらえるのと同様の価値観、自分はこの世界のトップになるんだという気概、そういうものがあれば、せこいことはしない、って生き方、かっこいいっす。
第1章 空気の丸い家 ―二十一歳で名人になった谷川浩司が育った環境
第2章 勝負師にとっての親とは ―同日に四段になった二人の弟子の修行時代
第3章 若手急成長の秘密 ―濁った空気を排除するシステムの重要性
第4章 勝負師を育てた土壌 ―私の人生を決定した恩人の一言
第5章 勝負と相場と日本経済 ―空前の大繁栄に向かう経済大国の株と為替の行方
第6章 スランプとの悪戦苦闘 ―いかにして運気の大底から脱出するか
第7章 人生の最善手、次善手 ―棋士の目に、企業および企業人はどう見えるか
第8章 大棋士・藤沢秀行の魅力
サブタイトルは『「運」と「努力」と「才能」の関係』
前回の先ちゃんの師匠、故米長邦雄先生の書いた本。
将棋以外の、いわば勝負哲学(人生論?)に関する著書という点では、私にとっては『人間における勝負の研究』(昭和57年)に次ぐ二冊目ということになる。
勝つためにはどうしたらいいのか、人生の岐路ともいうべき場面でどういう選択をすべきか、ってのが具体的な事例をあげて並べられてるんで、(自分で実行できるかどうかはおいといて)面白いし役に立つ。
ハタチまでに成功する人間ってえのは百パーセント親の力によるものだ、親が運をもたらしてるに違いない、って主義の著者は、第一章で、史上最年少の21歳で名人位についた谷川浩司の親に、仕事にかこつけて自宅に押しかけて、会いに行く。
そのときに、タイトル戦の挑戦者に決まった直後の弟弟子をつれていく。「稽古の予定がある」というのをキャンセルさせる。
稽古というのは一部のひとのための仕事、タイトル挑戦者に決まったからには全国のファンとメディアを相手にするんだから、そんなことにこだわるなと言って、強引につれていく。
もちろん、ただドタキャンしたら申し訳ないので、代わりに師匠を行かせるというところが勝負術。自分の代わりに弟子(いないけど)を行かせたら失礼だが、師匠が行くぶんにはかまわんだろというのが独特の道理。
で、そんなこんなで若き名人の親に面会することに成功するんだが、その父親というのが六十になるけど生涯一度も怒ったことがないという人物(ちなみに僧侶)で、「家の空気が丸い」ということを感じ取るという収穫をえたりする。
次章では、九歳のときの先崎学との出会いから、内弟子にとるまでのいきさつが語られている。
それと同時に、勝負師になる者にとっての親の重要性、“子に対する思い”が子の人生を左右するという考察が述べられている。
第三章では、羽生・森下といった(当時の)若手の名をあげて、研鑽してやまない姿勢、その根本にある危機感のようなものを紹介し、同時に情熱がある者たちにとって、そういう意志のない者の存在は「空気が濁る」耐えがたいものであるということを主張している。
ほかにも、自身の幼少期のことや、相場や勝負や運には波があることや、スランプ脱出法などについても書かれているが、就職の世話を頼まれたときに、「いま母親が入ってほしいと思うような会社は30年後は危うい」とか「2社のどっちでも入れそうだから推薦してくれというのは謙虚さがない」とか、そういう事例を一蹴しているとこなんかはわかりやすくていい。
そのへんは、次の著作にもつながる、勝負の女神に好かれるのにはどうしたらいいのか、ってのにもつながってるし。
ああ、そうそう、修行時代に、故郷の甲府から東京までキセルをしたけど、やがてしなくなったって話もいいやね。
>キセルをして金を浮かすと、浮かした分だけ必ずどこかで損をするに相違ない。たぶん運気を損ねる(略)一度キセルをすればそれに見合う運気を損なうはずだ。私は、キセルをするような人間がトップに立つとしたら、その世界はたぶんロクなものじゃないだろう、と考えた。
という箇所だ。親が戦中の国策に従って財産を失ったことを「ウチは日本国に貸しがある=いつか借りは返ってくる」ととらえるのと同様の価値観、自分はこの世界のトップになるんだという気概、そういうものがあれば、せこいことはしない、って生き方、かっこいいっす。
第1章 空気の丸い家 ―二十一歳で名人になった谷川浩司が育った環境
第2章 勝負師にとっての親とは ―同日に四段になった二人の弟子の修行時代
第3章 若手急成長の秘密 ―濁った空気を排除するシステムの重要性
第4章 勝負師を育てた土壌 ―私の人生を決定した恩人の一言
第5章 勝負と相場と日本経済 ―空前の大繁栄に向かう経済大国の株と為替の行方
第6章 スランプとの悪戦苦闘 ―いかにして運気の大底から脱出するか
第7章 人生の最善手、次善手 ―棋士の目に、企業および企業人はどう見えるか
第8章 大棋士・藤沢秀行の魅力
