村上春樹 2001年 文藝春秋
オリンピック招致がそろそろヤマ場だから、というわけでもなく、順番に読み返してる村上春樹の著作の次がこれというだけだったんだが。
2000年のシドニーオリンピックに、雑誌(ナンバー?)取材という名目で、全日程観戦に行ったときの村上さんの書いたもの。
雑誌連載したらしいんだけど、雑誌読まない私はリアルタイムでは全然知らず、単行本が書店に積まれたとたんに、何だこれは!?と意表を突かれつつ速攻手にとったんだったと思う。
だって、オリンピック取材とかしそうにない作家ぢゃない? 走るのは好きだろうけど。
で、読んでみれば、やっぱり御本人もオリンピックなんかそんな(というのは世間一般の日本人みたいにというレベルでだろうけど)好きぢゃないってことは隠してないわけで。
なんせ始まる前から、聖火リレーが通るんで街の人がざわざわしてんのに、
>僕はもうおととい聖火を見ているので、どうでもいい。二回見てもしょうがない。ただの炎だ。
とシレッと言ってのけてたりします。
出版社の手配で、当時の日本円でチケットが十万円もする、開会式のスタジアムにも入れたんだけど、
>この世の中に退屈なものはけっこうたくさんあるけれど、オリンピックの開会式は間違いなくそのトップテン・リストに入るだろう
とか
>十万円! 僕ならそのお金で新しいiMacを買うだろう
とか容赦ない。国名のABC順に入場してくるうちの、デンマークのとこで飽きて、会場を出ちゃったくらい。
でも、競技をみて、それに対する考察をつづる、その観察眼と表現力は確かなもの。
著者自身が造詣が深い、トライアスロンとかマラソンの観戦記については言うまでもない。
たまたま見ただけ(?)のハンドボールの決勝、スウェーデン対ロシア戦の、ゴールキーパーの動きと性格(?)の観察を中心にした観戦記は、非常に興味深い。
ろくに興味もないはずのハンドボールなのに、片方はとにかくこまめに(「舞踏病のミズスマシ」みたいに!)よく動く、もう片方は動きが目立たず(「年季の入ったビル荒らし」みたいに!)動くときもこそこそっとしてる、でも後者に一日の長があるようだ、とか見抜いてる箇所は、ほんと面白い。
でも、いちばん盛り上がってるのは、この本のピークみたいなのは、キャシー・フリーマン(アボリジニで聖火の最終ランナーもつとめた)が勝った女子400メートルの決勝のところだと思う。
そんな昔のことでもないけど、私はテレビで見たかどうかすら定かぢゃないくらい、記憶がない。ゴールしたあと、彼女は倒れこんで、シューズを脱いだんだっけ? そのシーンはまったくおぼえてない。
いずれにしても、そこの章は名文です。読んで感動すらおぼえる。
本の成り立ちかたとしては、“インタビュー集”(『夢を見るために毎朝僕は目覚めるのです』)によれば、
>ほとんどまんまで書いてた
>毎日その日のうちに完成稿を三十枚ずつ書いていこうって決めた
って勢いで書いてたものらしいから、想像力をはたらかせて狙って書いたって感じぢゃないのかもしれないけど。
そのへんの実況しながら執筆してる具合は、本書にも随所にあって、野球場(屋外の普通の野球場、おそらく昔の神宮球場に雰囲気似てるんだろうな)が気に入って、そこで野球を見ながら原稿を書いてる様がリアルに記されてはいる。
ただ、同じインタビューで、作業としては大変だったことは認めながらも、
>そのときに思ったのは、テクニック的に言って、書きたいと思うことはもうだいたい全部書けるようになったな
>『シドニー!』で、とにかく書きたいことはだいたい書けるという手応えを得ることができた
なんて凄いことも言ってたりする。書きたいことは書けるって、スゴイよ。
書きたいことかどうか知らんけど、ただ目の前で起きた事象を記述するんぢゃなくて、独特のユーモアにあふれてるから、この本は読んでておもしろい。
オリンピックの競技のことでいえば、陸上の走り高跳びと砲丸投げを並行してやってるのを見て、
>あまりにも対照的である。(略)海彦山彦みたいにそれぞれの競技を交換させたら、かなりえらいことになるだろうな
なんて感想をもらすとことか、旅行先でのスケッチとして、レストランに入って生牡蠣を食べたときの、
>新鮮で、フレンドリーな潮の香りがする。耳を寄せると、タスマニアの波の音が聞こえる(嘘だ)
なんて表現をするとことかは、おかしくて吹き出した。
ちなみに、オリンピック招致に関していえば、シドニーでの村上さんの体験として、
>この大会の観客輸送にはかなり問題がある。普通はいいんだけど、人が移動するピークになったら手も足も出ない。(略)もし列車の運行にトラブルでも起きたら(略)陸の孤島みたいなところに何十万という数の人が取り残されてしまうことになる
なんて書いてあるとこ読むと、東京の主張する“コンパクトな会場”とか、治安の良さと同様、日本人としては当たり前な交通事情=主として鉄道の正確さみたいなこととかの、セールスポイントたることがわかるような気がする。
でも、村上さん自身の提案としては、
>競技種目を今の半分に減らし、会場をアテネ一カ所に固定してしまう
という方向なんだけどね。
プロがあるスポーツは外しちゃえば、大会運営の費用とか巨大なスポンサー料とか「醜い誘致合戦」とか無くて済むでしょ、って主張。
>アスリートはみんなアテネを目指すことになる。高校野球だって毎年甲子園でやっているけど、何か問題がありますか?
うん、それはそれで一理(大きな一理)あるでしょう。
オリンピック招致がそろそろヤマ場だから、というわけでもなく、順番に読み返してる村上春樹の著作の次がこれというだけだったんだが。
2000年のシドニーオリンピックに、雑誌(ナンバー?)取材という名目で、全日程観戦に行ったときの村上さんの書いたもの。
雑誌連載したらしいんだけど、雑誌読まない私はリアルタイムでは全然知らず、単行本が書店に積まれたとたんに、何だこれは!?と意表を突かれつつ速攻手にとったんだったと思う。
だって、オリンピック取材とかしそうにない作家ぢゃない? 走るのは好きだろうけど。
で、読んでみれば、やっぱり御本人もオリンピックなんかそんな(というのは世間一般の日本人みたいにというレベルでだろうけど)好きぢゃないってことは隠してないわけで。
なんせ始まる前から、聖火リレーが通るんで街の人がざわざわしてんのに、
>僕はもうおととい聖火を見ているので、どうでもいい。二回見てもしょうがない。ただの炎だ。
とシレッと言ってのけてたりします。
出版社の手配で、当時の日本円でチケットが十万円もする、開会式のスタジアムにも入れたんだけど、
>この世の中に退屈なものはけっこうたくさんあるけれど、オリンピックの開会式は間違いなくそのトップテン・リストに入るだろう
とか
>十万円! 僕ならそのお金で新しいiMacを買うだろう
とか容赦ない。国名のABC順に入場してくるうちの、デンマークのとこで飽きて、会場を出ちゃったくらい。
でも、競技をみて、それに対する考察をつづる、その観察眼と表現力は確かなもの。
著者自身が造詣が深い、トライアスロンとかマラソンの観戦記については言うまでもない。
たまたま見ただけ(?)のハンドボールの決勝、スウェーデン対ロシア戦の、ゴールキーパーの動きと性格(?)の観察を中心にした観戦記は、非常に興味深い。
ろくに興味もないはずのハンドボールなのに、片方はとにかくこまめに(「舞踏病のミズスマシ」みたいに!)よく動く、もう片方は動きが目立たず(「年季の入ったビル荒らし」みたいに!)動くときもこそこそっとしてる、でも後者に一日の長があるようだ、とか見抜いてる箇所は、ほんと面白い。
でも、いちばん盛り上がってるのは、この本のピークみたいなのは、キャシー・フリーマン(アボリジニで聖火の最終ランナーもつとめた)が勝った女子400メートルの決勝のところだと思う。
そんな昔のことでもないけど、私はテレビで見たかどうかすら定かぢゃないくらい、記憶がない。ゴールしたあと、彼女は倒れこんで、シューズを脱いだんだっけ? そのシーンはまったくおぼえてない。
いずれにしても、そこの章は名文です。読んで感動すらおぼえる。
本の成り立ちかたとしては、“インタビュー集”(『夢を見るために毎朝僕は目覚めるのです』)によれば、
>ほとんどまんまで書いてた
>毎日その日のうちに完成稿を三十枚ずつ書いていこうって決めた
って勢いで書いてたものらしいから、想像力をはたらかせて狙って書いたって感じぢゃないのかもしれないけど。
そのへんの実況しながら執筆してる具合は、本書にも随所にあって、野球場(屋外の普通の野球場、おそらく昔の神宮球場に雰囲気似てるんだろうな)が気に入って、そこで野球を見ながら原稿を書いてる様がリアルに記されてはいる。
ただ、同じインタビューで、作業としては大変だったことは認めながらも、
>そのときに思ったのは、テクニック的に言って、書きたいと思うことはもうだいたい全部書けるようになったな
>『シドニー!』で、とにかく書きたいことはだいたい書けるという手応えを得ることができた
なんて凄いことも言ってたりする。書きたいことは書けるって、スゴイよ。
書きたいことかどうか知らんけど、ただ目の前で起きた事象を記述するんぢゃなくて、独特のユーモアにあふれてるから、この本は読んでておもしろい。
オリンピックの競技のことでいえば、陸上の走り高跳びと砲丸投げを並行してやってるのを見て、
>あまりにも対照的である。(略)海彦山彦みたいにそれぞれの競技を交換させたら、かなりえらいことになるだろうな
なんて感想をもらすとことか、旅行先でのスケッチとして、レストランに入って生牡蠣を食べたときの、
>新鮮で、フレンドリーな潮の香りがする。耳を寄せると、タスマニアの波の音が聞こえる(嘘だ)
なんて表現をするとことかは、おかしくて吹き出した。
ちなみに、オリンピック招致に関していえば、シドニーでの村上さんの体験として、
>この大会の観客輸送にはかなり問題がある。普通はいいんだけど、人が移動するピークになったら手も足も出ない。(略)もし列車の運行にトラブルでも起きたら(略)陸の孤島みたいなところに何十万という数の人が取り残されてしまうことになる
なんて書いてあるとこ読むと、東京の主張する“コンパクトな会場”とか、治安の良さと同様、日本人としては当たり前な交通事情=主として鉄道の正確さみたいなこととかの、セールスポイントたることがわかるような気がする。
でも、村上さん自身の提案としては、
>競技種目を今の半分に減らし、会場をアテネ一カ所に固定してしまう
という方向なんだけどね。
プロがあるスポーツは外しちゃえば、大会運営の費用とか巨大なスポンサー料とか「醜い誘致合戦」とか無くて済むでしょ、って主張。
>アスリートはみんなアテネを目指すことになる。高校野球だって毎年甲子園でやっているけど、何か問題がありますか?
うん、それはそれで一理(大きな一理)あるでしょう。
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