many books 参考文献

好きな本とかについて、ちょこちょこっと書く場所です。蔵書整理の見通しないまま、特にきっかけもなく08年12月ブログ開始。

フィジカル・グラフィティ

2015-03-05 21:40:40 | CD・DVD・ビデオ
レッド・ツェッペリン オリジナルは1975年 スワンソング・レコード
ツェッペリンの6番目のアルバム。
今回買ったCDは、2012年ワーナーミュージック・ジャパンの。
いやー、先日、ずっと前に録画しといた、某衛星放送でやってた「Celebration Day/祭典の日」っていう、2007年にロンドンで行った一夜限りの再結成ライブ、18,000枚のチケットに全世界から2千万人以上が応募したってライブの番組を見たんだけど。
思ったより、よくて。
(ってのは、失礼ながら私が、年寄りが集まって再結成しても指がもつれちゃってダメなんぢゃないの、って勝手に想像してたわけだが。)
もー、なんだかツェッペリンが聴きたくなってしまった。
私がツェッペリンを聴いてたのは、とっくに解散しちゃった後の時代のことだけど、まあ貸しレコード屋で順番に借りてはカセットテープに録音してという形だった。
ということで手元にないんだよね、聴けるものが。
でも高校生のころとちがって、衝動的にCDとか買えるだけのおこづかいを持ってるトシなので、さっさと買うことにした。
かといってボックスでドカンと買うとかしないけど。
(正直、むかしも、そーんなに好きではなくて。いいのはいいんだけど、むずかしいのは複雑でむずかしいぢゃない?)
とりあえず、今回は、「IN MY TIME OF DYING」が聴きたくて、これ『フィジカル・グラフィティ』にした。
いい。とても、いい。
特になんといってもジミー・ペイジのギター。リフ考える天才だよ。(たぶん「考え」てはいないような気がするが。)
しばらくハマっちゃいそうな気がしている、ツェッペリン。
実はもう一枚同時に買ったんだけど、あらためて全部そろえちゃうかも。
この2枚組の収録曲は以下のとおり。
70年代は、律儀に「邦題」なんてものがあって、けっこうおもしろい。誰が考えるんだろうね。
(80年代も半ばくらいまでかなあ、そういうの。)
1.CUSTARD PIE カスタード・パイ
2.THE ROVER 流浪の民
3.IN MY TIME OF DYING 死にかけて
4.HOUSES OF THE HOLY 聖なる館
5.TRAMPLED UNDER FOOT トランプルド・アンダー・フット
6.KASHMIR カシミール
1.IN THE LIGHT イン・ザ・ライト
2.BRON-YR-AUR ブロン・イ・アー
3.DOWN BY THE SEASIDE ダウン・バイ・ザ・シーサイド
4.TEN YEARS GONE テン・イヤーズ・ゴーン
5.NIGHT FLIGHT 夜間飛行
6.THE WANTON SONG ワントン・ソング
7.BOOGIE WITH STU ブギー・ウィズ・ステュー
8.BLACK COUNTRY WOMAN 黒い田舎の女
9.SICK AGAIN シック・アゲイン
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この闇と光

2015-03-03 19:46:13 | 読んだ本
服部まゆみ 平成13年発行・平成26年改版 角川文庫版
最近読んだ本。
たしか昨年末くらいに買ったと思うんだが、つい先週ようやく読んだ。
どうにも他の人の評を聞いたりして手にとった本というのは、そのへんのスピードが鈍ることが多い。
帯に「幻の傑作」ってあるんだが、どうも長いこと版が絶えてたらしく、今般改版が出たってことで、ちょっと話題を呼んでるらしいってのを、私も耳にしたんだけどね。
さてさて、
>父はよく私を「光の娘」と呼んだ。
で始まる物語。でも、その直後に出てくる、
>ダフネから最初に言われた言葉は「死にたいの?」だった。
という一行のほうが印象的だな。
物語が始まったとき、その「私」、レイアって名前の子どもは、五歳になるちょっと前ぐらい。
三歳のときに視力を失って、父である王といっしょに別荘に幽閉されている。
父はやさしく、いろんなことを教えてくれるんだが、食事を運んだり着替えをさせたりしてくれるダフネってのは、おとぎ話の魔法使いのおばあさんみたいに怖い。
っつーことで、帯にあるとおりに、どんでん返しが待ってる話なんだが。
なんか私には、ぜんぜん楽しめなかったな。よう意味がわからん。
まあ、ネタバレ禁止、とか前もって言われて、そこをハナっから期待して本読むってのは、あまりよくない態度なのかもしれない。

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動中の静、を求める?

2015-03-02 19:13:58 | 馬が好き
乗馬にいく。
きょうの馬は、サイバーシチー。去年2回ほど乗ったはず。

忘れてんで、過去記事検索してみる。
ふーん、そうか、リンゴ食わないんだったな。
馬装してさっさと馬場へ。きょうもウインドブレーカーなんか着ない、シャツの袖まくりあげてく。手袋もしない。(手袋は、暑いとか寒いとかって理由ぢゃないけど。)

部班の人馬がそろうまで、ウォーミングアップする。
前出るのはだいじょうぶだと思う、ブレーキ効くかなあ、そっち心配。
頭頚の伸展のマネゴトする、あまりうまくいかない。
全員集合したところで、それぢゃ、今日は姿勢というか乗りかたというかの、集中特訓講座的ことやりますよ、ってなことになる。望むところであります。
まずは常歩で元気よく歩かせる。
運動始めたばかりの馬が動けるように。人も身体の各パーツが動くか確かめる。
ギューっと圧迫するような脚の使い方をしてはいけない。それだと馬は動けない。ポンポンと合図して、前に出ていくのをじゃましない。
では、さっそく、動く馬のうえで、重要基本チェック。
第一に、視線を落とさない。
うつむいて下を見ると、アタマが前に落ちたぶん、人の下半身はうしろにいき、馬の動きと逆行する。
馬の背中の動きは後ろから前へ以外ありえない、それを邪魔して押しとどめるようなことはしてはいけない。
もうひとつ、手綱を手の先で持たない。
手の力だけでは馬に対抗できない。
肘まで手綱がつながっているイメージで、肘の付け根で手綱を持ったような気になって、馬の動きにあわせる。
常歩の一歩一歩で馬と同じように腰を出しているつもりでやっていると、「自分の体をもっと長く大きく動かして」と指摘される。「チョコチョコした動きになっている」と。
馬の歩きに合わせてるだけのつもりだったんだけど、こんどは自分で大股で歩いてるときのようなイメージで身体を前に運んでくようにする。
すると、あーら不思議、馬の一歩一歩がさっきより大きくなってきた気がする。
(この感覚は、きょう繰り返し思い知ることになる。)

んぢゃ、速歩スタート、ゆっくり、自分が乗っていられるスピードでいいんで、正反撞、馬を急がせる必要はない。
腕は胴体に沿ってあるが、腕と胴体でべつのことができるように。
速歩の反撞についていけないでいると、「もうすこし姿勢をまっすぐに」と指摘される。
反撞が自分の体を通り抜けていくように。
馬に突き上げられる衝撃を、前かがみになったり反り返ったりして、どっかへ逃がそうとしてはいけない。まっすぐ乗っていれば反撞は人の身体を伝わって自分の胸の前にやってくる。
やってるうちに、馬がまるくなってくる。
重心が一致し、馬の動きを邪魔しない結果、馬のカラダはやわらかくなるし、動けるようになるし、歩いてく姿勢がよくなってくる。
馬の反抗をとろうと手であれこれ(屈撓を求めたり)するよりも、鞍上が馬にあわせた動きをすることによって、馬が自然にまるくなるのが大事。
これ、目からうろこダダ落ち。馬のジャマしないと、馬キモチよさそうに動く。
ではでは、さらなる馬の動きに一致する高みを求めて、アブミあげ。
アブミあげた状態では、ダラッと完全に力を抜いてしまうのではなく、骨盤を意識する。
馬はよく前に動くんだけど、ときどき速くなりすぎるような気がして、手綱を握っては、反応があったみたいだったら、すぐかえすように意識する。
でも、今日の主眼はそうぢゃなくて、そこは人間の動きでコントロールしていく。
さっきの常歩同様、人がゆっくり長く大きな幅で動くことで、馬はそれにあわせて動かせる、はず、はず。
輪乗りで延々とやるんだけど、輪乗りの手前を替えるときに、内方姿勢の明確で丁寧な入れ替えを意識する。
私自身のここんとこのテーマは内方姿勢。(永遠のテーマではという己のなかの声もあるが。)
だって、馬に内方姿勢を求める、みたいなナマイキなことやってたんだけど、人間が正しい内方姿勢とれてなかったんだもん。股関節から外の脚ひく、これでひけてるのか、自分でわからんのだけれど。
ぢゃあアブミを履いたら、こんどは軽速歩で、蹄跡を大きくまわる。
もうすこし肘を開閉するように、って言われちゃうんだけど、私は、馬が元気でドンドン速くなって前の馬に追いついちゃいそうな勢いなんで、少し抑えようとしているだけなんです、先生。
すると、「手を前においているのはいいが、上体が前に倒れるようになって、人の身体(腰から下)の動きが遅れている」と指摘される。「もっと拳と身体を近く」
速くなるのをおさえようとしていたのだが、手で引っ張ってるうちに、腰が曲がってしまうのは、まったくすること逆。身体を起こして腰を張って、体の近くに拳があるようにすれば効く。まったくもって基本を忘れてる。
そうしたら、なんとか抑えることができたんで、すぐかえす。
駈歩のときは、馬から離れてとか、身体起こしてとか、常に意識できてるほうなんだけど、速歩だとときどきグダグダになる。で、人が安定していないから、馬とのコンタクトがおかしくなる。
んなことやってると、「手をもうすこし下、馬の近くにあるように」とも指摘される。手を前に出せばいいのに、上に上げちゃうんだからバカである。
それにしても、アブミあげのあと、アブミ踏んでる感がいつも以上にある。爪先を前に向けなきゃと思うと向けられるもん、いつもより。
それと、ふだんのアブミあげよりも、人が動くこと意識してやったせいか、鞍への密着感がこれまたいつも以上にある。
私の場合は、速歩で馬が上がってくるときより、馬が沈むときに背中にぴったりついていけてる感として、それを意識することになる。
駈歩で鞍の前へすべってくように意識するのと一緒かな、速歩でこれはいままでなかった気がする。

しばし休憩してから、また輪乗りで正反撞と軽速歩。
きょう繰り返し言われたことには、人間が馬の上で動いていかなくてはいけないんだけど、身体が遅れているようであれば、「おへそがあしを追い抜くように」意識していくこと。イスに座るようにして、体が後ろに遅れてはいけない。
動のなかの静、馬の上で動かないでいることはありえない、じっとしようとしてはいけない。
前に動いていく馬のうえで、人が静かに見えるとしたら、それは動いている結果で馬と同じになっている。
拳だって、身体が動いていく結果として、位置が動かない。拳だけジッと固定させようとしたら、押したり引っ張ったりすることになってしまう。
輪乗りで速歩してると、また速くなりそうな気がするんで、つい腕の力を使おうとしちゃうんだけど、「手綱を引いておさえようとしない。シートでゆっくりした動きにする」と指摘される。
いままで、馬の動きについてくのが大事だと思ってたんだけど、シーソーというかブランコというか、ああいうもの動かすときのように、自分で動くスピード、リズムを決めてくもんだと、きょうつくづく痛感した。
また姿勢がインチキになってきたらしい。「脚をもうすこしうしろ。鐙を地面だと思って、そこにつけてる足を後ろへ。拇指に力を入れて踏むようにして、少しだけ後ろへ」
えー、今の場所から脚動かしたらバランス崩れそうな気がするんだけどー、とか思って、うまく動かせないでいたが、何回もいわれて、脚の位置を少し変えたら、馬がグンと前に出た。
「いま、馬が前に勢いよく出た。重心が一致した結果、勝手に動いた」と解説される。
ああ、いまの目からうろこダダ落ち、またまた。完全に私の感覚はまちがっていた。
いまの前に出た勢いって、引っ張り合いとか、人のバランスが後ろにかかったから、馬が反発して前に進んだんだとばっかり思ってた。イメージと逆。いまのが自然な前進とは。
カルチャーショックは、まだ続く。
輪乗り速歩で、馬のクビ下がっていく、速くなる。もうちょっと馬のアタマ持ち上げて、肩のうえにクビをのっけるようにしたいなあ、なんてアホなこと考えてると。
「いま、いい動きをしているので、そこで譲って!」
いわれて拳ひとつ前にすると、ストライドが伸びていく。え?えええ?
「馬の背中が大きく動いている、いい動き方ができるようになっている。重心が一致して、コンタクトがとれていると、馬はよく動く。ホメて!」
なんだかわかんないけど、私がいつもやりたいと思ってることが、できてしまっているので、内の手でほめる。
もう一度、手綱を持ち直して、歩度をつめて(引っ張るんぢゃなくてシートでつめろよ、俺)、そこからまたいい動きの兆候に譲って、歩度を伸ばしてって繰り返してみる、ホメる。
そういうことで、うまくできてうれしくなる以前に、いままで何やってたんだ感に包まれたところで、練習終了。
いやー、有意義でした。ケンタウロス的気分になった一瞬が、何度かあったもん(あくまで当社比)。
きょう何度も言われた教訓は次のもの。
馬の動きは人の動きに大きく影響される。自分が馬のうえで動けないで、馬が動かないとか重いというのは矛盾。

ありがと、サイバーシチー。リンゴ食えよ、食わないの? そっぽ向くこたぁないだろ。
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