many books 参考文献

好きな本とかについて、ちょこちょこっと書く場所です。蔵書整理の見通しないまま、特にきっかけもなく08年12月ブログ開始。

けだものと超けだもの

2016-02-15 19:40:45 | 読んだ本
サキ/和爾桃子訳 2016年1月 白水社
サキの短編集。
1月の休日にふだん行かない書店に入ったら、ふと見つけた。
犬も歩けば棒にあたるとはよく言ったもんだ。
へー、こんなのあるんだ、って後ろのほう見て日付確かめたら、新しい出版物だし。
『BEASTS AND SUPER-BEASTS』という1914年の短編集の完訳だそうだ。
目次みたら、読んだことある話もあるけど、知らないような話もいっぱいありそうだし。
即買い。
読んでみて気づいたけど、最近の訳なので、日本語も新しかったりする。(本のタイトルもそうだ。)
“超なんとか”とか、“なんちゃって何とか”とか、“ドヤ顔でしゃべった”なんて表現まで出て来る。
日本語はどうあれ、いずれにしても、本筋がおもしろくて、好きだね、サキは。
よく出てくる登場人物の特徴は、その場で口から出まかせの、だけど人を動かすくらいの力のある、ウソをつくこと。
>嘘つきの甲斐性は、甲斐ある嘘を活かすこと。クローヴィスの座右である。(p.187「禁断の鳥」)
なんて自覚あって堂々とウソつくんである、最高の連中。
収録作は以下のとおり。
女人狼 The She-Wolf
ローラ Laura
大豚と私 The Boar-Pig
荒ぶる愛馬 The Brogue
雌鶏 The Hen
開けっぱなしの窓 The Open Window
沈没船の秘宝 The Treasure-Ship
蜘蛛の巣 The Cobweb
休養にどうぞ The Lull
冷徹無比の手 The Unkindest Blow
出たとこ勝負 The Romancers
シャルツ‐メッテルクルーメ方式 The Schartz-Metterklume Method
七羽めの雌鶏 The Seventh Pullet
盲点 The Blind Spot
黄昏 Dusk
迫真の演出 The Touch of Realism
テリーザちゃん Cousin Teresa
ヤルカンド方式 The Yarkand Manner
ビザンチン風オムレツ The Byzantine Omelette
復讐(ネメシス)記念日 The Feast of Nemesis
夢みる人 The Dreamer
マルメロの木 The Quince Tree
禁断の鳥 The Forbidden Buzzards
賭け The Stake
クローヴィスの教育論 Clovis on Parental Responsibilities
休日の仕事 A Holiday Task
雄牛の家 The Stralled Ox
お話上手 The Story-teller
鉄壁の煙幕 A Defensive Diamond
ヘラジカ The Elk
「はい、ペンを置いて」 "Down Pens"
守護聖人日 The Name-Day
納戸部屋 The Lumber Room
毛皮 Fur
慈善志願者と満足した猫 The Philanthropist and the Happy Cat
お買い上げは自己責任で On Approval
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膝を打つ

2016-02-11 21:50:24 | 丸谷才一
「丸谷才一全集」編集部編 2015年 文春文庫
丸谷才一エッセイ傑作選2ということで、近年つくられた文庫。
半分くらいは対談集になってて、対談というのは丸谷才一の文章を読めるわけぢゃないからと、私はこれまで手を伸ばしてこなかったんだけど、それはそれでおもしろい。
どうも相手によって話すことの準備をしているそうで、それが展開にふくらみをもたせているんだろうし、オチまでちゃんと考えてるっぽいとこもえらい。
それはいいけど、司馬遼太郎との対談のなかで、古代からの和歌では天皇の恋歌が重要な位置を占めていたのに、
>(略)日本文学史のなかでは明治維新を境にして、天皇の恋歌という重要な形式は消えてしまっている。(p.228「日本文化史の謎」)
と指摘したりとか、日本の宮廷文化では散文が発達してこなかったことについて、司馬さんが、
>要するに、政治をやろうと思えば散文が成立するはずだと思います。(略)報告文が散文の基本だとしたら、京都にいる者がそれを読んで充分に把握できるような文章ができあがるはず。(略)
と言うのに答えて、
>つまり、必要がなかったから、発達しなかったんですね。公家なんかでも、自分の所領が危なくなってくれば、有力な女官のところへ行って話をつける。その場合に、歌をつくって哀願したほうがより効果があったわけですよ。(p.246)
という見解を提示している。
こういうのを読んでると、いままで小説にしかほとんど興味なかったんだけど、著者の文学史論も改めて勉強したい気になってきた。
エッセイ部門のほうでも、読者からの、「である」と「です」を混ぜて書いてはいけないと学校で教わったが丸谷さんは混ぜていてそれが自然にみえる、という質問を受けて、
>一体に日本語は、文末に名詞や代名詞が来ませんから、文末が単調になりがちです。(略)評論類ででよく見かけることですが、「である」「である」「である」と一本調子になつて、どうも具合が悪いのはそのためです。「です」「です」「です」とつづくのも妙なものだ。
>調子を変へるためには、「だ、である」調と「です、ます」調をまぜたらいい、なーにかまふもんか、とわたしは考へました。これは、佐藤春夫、石川淳などといふ名手がときどきやつてゐて、非常に効果をあげてますので、真似をしたわけです。(p.65「「日本語相談」より」)
と明かしている。
これなんか読んでるうちに、やっぱこれまで敬遠してた日本語論とか文章読本みたいなやつにも興味わいてきたりした。
でも、なんだかんだいって、いちばん気楽に読めて楽しいのは、食いものに関するやつとかであるのは相変わらず。
語彙が豊富だったりするのに感心するけど。
たとえば鰻について、
>さて、この蒲焼だが、まことにおだやかな円満な味で、間然するところがない。わたしはまづ温柔といふ言葉を思ひ出し、次いで、それだけではこの蒲焼の、とろりと舌をとろけさす高度に官能的な趣、芥川さんの台詞を借りて言へば「上塩梅」を形容するに足りないなと思ひ直してゐるうちに、探せばやはりあるものですね、つひに、嬌柔といふぴつたりの言葉が心に浮んだ。(p.15「利根の川風ウナギの匂ひ」)
なんてね。「きょうじゅう」変換されないよ。
I 食
II 読
III 考
IV 閑談
V 歓談
VI 清談
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輝く日の宮

2016-02-09 20:24:37 | 丸谷才一
丸谷才一 2003年 講談社
すでに持ってる丸谷才一のものは、ここにもうぜんぶ並べたもんだと思って、自分にとって目新しそうな文庫とかをあさりはじめたりしてたんだけど、まだこんな大物が残ってたのには、自分でもちょっとおどろいたというか整理する能力のないのにがっかり。
おもしろいんだよねえ、これ、長編小説。
主人公は、1988年に三十歳になった女性で、そのころ昭和から平成にかけての時代の話。
父は日本史学者、兄は日銀に勤めてて、本人は「19世紀文学研究グループ」というのに所属してて、大学の講師とかしてる。
で、それが妙なことから、専門外であるはずの源氏物語にまつわる論争に巻き込まれたりして。
タイトルの「輝く日の宮」は、現存する源氏物語の、巻一である「桐壷」と巻二の「帚木」のあいだに、元はあったんではないかと推測される章の名前。
ま、そのへんの文学史、研究をめぐる話もおもしろいけど、当世の御当人の恋愛事情やそのへんを描くときの表現のうまさが、あいかわらず感心させられる。
>これきりにしませう。深入りするのが怖い
という出会いがあったんだが、薄情なつもりで言ってんぢゃないってことを、
>冥加に余る思ひです
なんて言い方するんだけど、いやボキャブラリーが豊富だなと思う。私が聞いたら、意味わかんないよ。
書き方がうまいと思わされるなかには、その相手ってのが水を取り扱う会社で仕事をしてるんだけど、それに関連づけて、なんかっていうと、
>(略)詰まらぬ情報のかずかずが、勾配に沿つて帯水層を流れる地下水のやうに流れた。
とか、
>(略)もう一度、同じ表情を、ただし硬水と軟水との違ひくらゐ差をつけてしてから(略)
とかって水をつかった言い表しかたするとこが、憎いくらいうまい。
そんな凝った技巧以外にも、物語の終盤で、
>右に折れて、細い道をゆく。右が狭い小川といふか、むしろ溝で、左側がすこし広めの溝。その二つにはさまれた平らな道を連れ立つてぶらぶら歩いてゆく。両側の水に、枯れたのや青いのや白い裏葉や、たくさんの落ち葉。その隙間に青と白の空がじつに無意味な感じで映つてゐる。歩いてゐるうちに右側の狭い水が急に広い池に変つて、人口の小島が二つ三つ。その島の一つに朱いろの紅葉(もみぢ)の樹。(p.411)
なんて淡々とした周囲の描写があるんだけど、これなんか古文の教科書にのってるような名文みたいにうまいなあと私は思う。
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馬を緊張させないように乗りましょう

2016-02-08 19:00:06 | 馬が好き
先週、月曜日は仕事だったんで、乗馬休んだ。
2週も馬の顔見ないではいられないので、今日は乗馬することにした。
思ったときに乗馬できるのは、天下泰平な証拠である、ありがたいありがたい。

きょうの馬はゼンパルことゼンノパルテノン。2回目、私なんかが乗るような馬ぢゃない気がする。
前回の日記を検索して、あーそーか、障害やったなーと思い出す。
初めて乗った馬で、その日に障害飛ぶ、ってスゴイことになったなと思ってたんだけど、まさか試合の本番でも同じこと(ゴルパンことゴールドパンサーにテン乗り)になるとはそのときは思ってなかった。

そしたら二人掛かりでさっさと馬装できてしまったので、少しだけ早く馬場に入れちゃう。
手綱伸ばしたまんまズンズン歩いてもらう、いい勢いだ。
今日私の後に乗るもう一人は、よくこの馬乗ってるらしく、「緊張しいだけど」と言う、ふむふむ、貴重なご意見承っておきましょう。
ぢゃあ、常歩してるあいだにうまいこと4番手につけたとこで、部班スタート。
ドンと脚つかうと、キューっと馬の耳がしぼられる。
そうだそうだ、思い出した、前に出る勢い満々なのに耳しぼる反応するから、爆走でもしそうで怖いんだよね、この馬、爆走したり悪いことは一切しないんだけど。
そうか、これが緊張してるってことなのか、怒ってるんぢゃないのね、妙に納得。

ぢゃあプレッシャーかけないようにしよう、ラクにするとこどんどん作ってやろう、前回の障害やったときの教訓からあまり引っ張らないようにしよう、なんて思ってユルユルと乗ってくんだけど、どうもうまくないね。
「手綱短く持つ! コンタクトを保ったまま歩度を伸ばす!」と言われる、緩すぎたか。
だいぶ運動も進んできたところで、アタマ上げさせないで、もっとはたらきかけて、と先生。
それぢゃウリャ!ってやるんだけど、「前に出しながら! まず前に出して! 拳使ったからって前の馬との距離が空かないように!」と。
幸い前に動いてくれる勢いは依然としていいので、そのなかで馬の口をこっちもってくるように、丸くしてみようと試してみる。
拳つかうのは丸くするきっかけであって、屈服させようとすんぢゃない、ってのは近ごろ意識してることだが、その程度のつもりでやってたら、今日に限っては先生から「もっと、もっとはたらきかけて」と言われる。
そんぢゃウリャウリャ!って、かなり腕に力入れて腰も張って耐える、すると、あるところでついに馬が折れるように妥協してくれる。
そこだそこそこ、これ以上力を入れ続けてはいけない、かえしてやる。
アタマあげそうになったら、やりとり繰り返す。丸くなったら内の手でポンポンしてホメる。なるべく何にもしない時間帯を多くしてやりたい。緊張しいだからね。

んぢゃ、小さい輪乗りで駈歩、輪乗り小さいぶん失速しないように、攻めてくかな。
そしたら、発進したときにパッツン跳ねそうになる。
「カカト当てるからそういう反応になる、なるべくふくらはぎで」と言われて、次からジワッと使うことにする。
駈歩でも動き出したら同じように馬を丸くしようとする。
うん、駈歩のほうが乗りやすいぞ、動いてから抑えがきく。
蹄跡で歩度伸ばしたり詰めたり。楽しい駈歩だ、ポーンポーンと飛んでく感じがある。
あと、速歩でも駈歩でもそうだけど、なんか柔らかいんだよね、乗ってて気持ちいい。
サスペンションがいいと私は言っちゃうんだけど、柔らかいのは背中なのか脚部なのか、筋肉の問題なのか関節の問題なのか、正確なメカニズムは知らない。
前回と同様、右手前のほうが内に倒れてきちゃいそうなので、左の手綱にぶつけるように右脚を押すようにがんばる。

はい、練習おしまい。いやー今日は腕力使っちゃったけど、それなりの反応がかえってきたので、よかった、収穫あった、あそこまでやっていいんだというポイントつかめたような気もするし。
二鞍目を見てると、やっぱり耳がシューッと後ろ向きに頭に張り付いてるときある、よかった私だけがプレッシャーかけてたんぢゃないのね。
練習終わったら、まだまだ寒いしサッサと手入れして、馬房入れてやってから、リンゴ。あっという間にバクバク食べた、かわいいもんだ。
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損したくないニッポン人

2016-02-06 17:04:14 | 読んだ本
橋秀実 2015年 講談社現代新書
昨年末に古本でヒデミネさんの「トラウマの国ニッポン」を読んで、またなんかヒデミネさんの本を読みたくなって、新しいのを書店でみかけたまま買ってきた。読んだの年明けだけど。
またまたニッポン人論なんだけど、今回は経済がテーマ。
儲けるとか得するとかいうより、損をしたくないって意識が強いんぢゃないかという視点で、いろんなことを取り扱ってる。
マジメな経済学の勉強もしてみるが、
>いかにももっともらしいが、もっともらしいだけで何を解説しているのかよくわからない。
>もしや「経済」とは、わかりきったことを表現の重複によってわかりにくくする技ではないかと邪推したくなるくらいなのである。(p.68)
と手厳しい。
で、例によって、本人たちは大マジメなんだけど、一歩ひいたとこから冷静に見るとちょっと困ってしまうような人たちに、果敢に取材をする。
やたらポイントを集めるひととか、電気消して節約するひととか、情報交換しあってまとめ買いに皆ででかけてく母親仲間とか。
そういうなかで、やはり身も蓋もない証言を引き出してしまうとこが、毎度おもしろいんだけど、今回は、日本で最も住みやすいというリサーチ結果の出てる富山県で、地元のひとに「住みやすいですけど、魅力はありません、活気はありません」と言わせてしまったりする。
第1章 知っていると損をする
第2章 俺の公道経済学
第3章 家電デモクラシー
第4章 経済の真意
第5章 「得」と「徳」
第6章 定価のゆくえ
第7章 エイヤっと不動産
第8章 ドメドメなリスクヘッジ
第9章 貨幣に溺れる
第10章 地獄の住み心地
第11章 しあわせ勘定
第12章 玉手箱の中身
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