かねやんの亜細亜探訪

さすらうサラリーマンが、亜細亜のこと、ロックのこと、その他いろいろ書いてみたいと思ってますが、どうなることやら。

春日大社・若宮の式年造替とおん祭

2022年06月16日 | Nara ( Japan )


今晩は、丸キャリTraelさんのセミナー。
以前は、なかなか当たらなかったが、ハイブリッド開催になり、Webで視聴できるようになった。
Webのメリットは、スクリーンを、気軽に撮影できること。
リアルの場合、禁止になっていたり、気兼ねして取りにくかったりする。
レジュメが配られていればいいのだが。
アーカイブ配信があれば、期間限定だが、時間差でも視聴できる。
オンラインイベントが増えたのは、新型コロナの大きなメリット。
主催者側のそろばん勘定はわからないが。

今回のテーマは、春日大社。
第一部は、元奈良国立博物館館長の西山厚さんの「春日大社・若宮の式年造替をおん祭」。
西山さんの話は、リアルイベントでもお聞きしたことがあるが、ひじょうにわかりやすく、面白い。
奈良国立博物館で永年企画をされていただろうから、観客の側に立った、話ができるのだろう。
京大を出た後、奈良に単身赴任後、通勤が面倒くさくなって、奈良に住んで、30年になるという。
隅から隅までご存じで、かつそこに住んでいるからこその情報をたくさんお持ち。

まずは、奈良の街。
ここまでは、私も知っている。
もう20回近く行っただろうか。
結構歩いた。



そして、通常の人は、見れない春日大社に祀られている神々の説明。
中門まで入ったことはあるが、そこから先は、関係者しか入れない。
西山さんも、数度しか入れたことがない。
右の2神は、鹿島、香取の神で、左の2神は、この前お参りした枚岡の神。
そしてその2神から生まれたのが若宮で、何と平安時代!



777年に、藤原氏の氏神として創建された。



しかし創建前の地図に、神地として、春日大社の場所が記載されている。
藤原氏が創建した前から、何か聖なるものがあったことがこの地図からわかる。



若宮が生まれたのは、1003年。
ところてんのようにして生まれたとされる。



そして、飢饉等災難が続き、神々を喜ばせようと、おん祭が始まったのが、12世紀。
平安時代末期になる。
887年も続いている。



春日大社は、今は、神社だが、江戸時代までは、神仏習合の寺で、それぞれの神に仏が当てられていた。
若宮には、文殊菩薩が当てられていた。



上の絵を拡大すると、数珠を手に、拝んでいる人がいるのがわかる。



春日大社は、遷宮は行わないが、若さを保つため、20年毎に、造替(ぞうたい)が行われている。
立て替えではなくて、リノベになるが、20年毎といところがポイントだという。
10年毎だとちょっと忙しすぎるが、30年毎だと、伝統の継承が難しい。
20年毎だと、前回、前々回の造替の経験者が残っており、着実に、技術が継承できる。
前回は、2015年から201t6年に行われた。
確か奈良博で特別展も開催されたと記憶する。
行けなくて残念だった。



若宮様をお旅所(おたびしょ)に移すところから始まるが、その最初の儀式がこの磐座からスタートする。
この磐座自体が、一つの神社という。



お旅所は、三条通りと、東大寺南大門の南の角ぐらいにあるそうだが、全然知らなかった。
というのも、この時期のみ御旅所が作られそこで、いろんな行事が行われるのが、おん祭。
普段は、ただの原っぱ(お旅所のところが少し高くなっている)だ。



様々な舞が、お旅所の若宮様に向かって披露される。
20年に一度の機会であり、行けたら必見だ。



最後に、また春日大社の本殿の話。
西山さんは、この矢印の所に、あるものを発見したという。
この神域に入れるのは、寛容な神主さんの時の特別の機会のみという。



ここは写真撮影できないが、スケッチは、これ。
白い山のような造形物だという。
西山さんは、これが、春日神社創建前の神地だった時代の磐座の名残と考えている。
ここは、神地中の神地で、それ以上の調査をすることは、難しいのだろうが。
ということで、ひじょうに有意義だった第一部が終了。



第二部は、奈良生まれで、奈良観光大使でもある矢嶋智人さんとのトークイベント。
第一部より、ぐっと砕けた感じ。
まず驚くのは、矢嶋さんと、奈良との関わり。
東大寺の近くに高校時代まで住んでおり、まさに、幼少期、奈良と共に成長した。
親も、よく神社仏閣に連れていってくれた。



ボーイスカウトの写真は、春日大社。
奈良女子大学付属小学校・中学校を出られたということで、私が、幼少時代、鎌倉で過ごしたことと同様、その地の匂いを感じながら、成長されたのだろう。
西山さんのお嬢様は、後輩という。
面白かったのは、璉珹寺(れんじょうじ)の女人裸形の話。
裸の阿弥陀仏だそうで、毎年5月に公開される。
元々裸形だが、西山さんによれば、鎌倉時代のもので、女性の寄進によるものが多いとのこと。
これは、知っている人は少ないだろう。
その他、地元のあるある話多数。

早朝でなければ、見れない景色、経験などの紹介もあり、是非泊まって観光をという宣伝。
ホテルもずいぶん増えて来て、食の文化も育ってきており(かき氷が有名)、是非是非ということだった。

ということで、今年も是非訪れたい(奈良国立博物館だけはすでに行ったが)。
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大安寺のすべて

2022年05月12日 | Nara ( Japan )


今日は、ついでがあって、奈良国立博物館に行って来た。
生憎の雨だが、人が少なくてゆったり見れる。
久しぶりに、ビスタカー(今もそう呼ぶのか?)。



平城京に新たな門が再建されている。



この時期、鹿の出産シーズンらしくて、6月は、小鹿を有料で、公開しているようだ。



大安寺(だいあんじ)には、一度行ったが、交通が不便で、歩かされて、暑い中、へとへとになった記憶がある。
歴史は、あるが、今は、小さくなってしまったという印象だった。

本展では、秘仏が間近に見れるのが、味噌。

全仏像が出展されているが(一仏後期展示で見れず)、やはり傷みが激しく、手や頭部が、後補のものが多く、元の姿は、胴体から想像するしかない仏様も多い。
寺が、全焼してしまったにもかかわらず、これだけの仏像が残されただけでもすごいが、残された部分が、やや少ない。

それよりも、お寺の歴史に関する文書や、周辺のお寺に移動したものや、発掘物に興味深いものが多かった。

例えば、西大寺に残された舎利容器。
逸品だ。
二光寺で発掘されたという多尊傳仏は、敦煌の仏様を思い起こさせる。
薬師寺に伝わった神像も素晴らしかった。
松尾大社に伝わった神像と並べて見たい。

大安寺に限らず、飛鳥から奈良、中世に向けての歴史に興味のある人向けか。
見る価値はある。

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奈良で学ぶ寺院建築入門

2022年04月02日 | Nara ( Japan )
今日は、いい天気ながら、やや涼しめ。
庭仕事等。
ブログ引っ越し情報を取り始めたが、アップしないと引っ越せないようなので、書き溜めた記事も、今後どんどんアップしていく予定。



本書は、まだ出たばかり。
どこまで理解できたかわからないが、ひじょうに面白かった。
何度も、行っている奈良だが、仏像や、正倉院御物などは、一生懸命見るが、寺院建築については、美しいなとか、大きいなとかの感動はあるが、それを建築した時の苦労とか、工法とかは、考えたことがなかった。

本書は、木造建築の基本を説明した後、それこそ何回も行っている、唐招提寺、薬師寺、興福寺、東大寺を取り上げ、その中にある諸建築の工法、見どころ、特徴などをわかりやすく説明してくれる。

建物が柱と梁から、組み立てられるということは何となく知ってはいるが、そこから先、特に屋根の張り出しを作る工法については、歴代苦労を重ねて、今につながっていることを知った。

建物については、やはり雨が天敵で、その雨から建物、特に柱の下方の基礎になる部分をどう守るかが、課題。
ただ、屋根を張り出すには、その重たい屋根を支える工法が必要で、苦労を重ねてきた。
それでも、だんだんゆがんできてしまうので、支えたり、解体修理したりして、今につながっている。

著者は、建築学専門だから、その辺の技術に詳しく、当時の木造建築は、素晴らしいというのは、必ずしも正しくなく、その後の修復等を行うことにより、今に残されたと考えるべきという。

それにしても、確かにあれだけ巨大な木造建築が、1,000年以上の時を経て、この時代に残されたというのは、やはり凄いことと言わざるを得ない。
法隆寺などは、世界最古の木造建築とも言われている。
しかも、高音多湿で、木は、当時は豊富にあったかもしれないが、それを今に伝えた技術は、称賛に値する。
胸を張っていいのではないか。

金沢城の再建された建物内部を見学させていただいた時に、もうこの木は、調達できないかもと説明された。
屋根を支える部分は、見事だったが。
先日訪れた、木造再建の、叶・驍烽サうだった。

唐招提寺の五重塔の解体修理や諸堂の再建、興福寺の諸堂の再建などの際も、相当な苦労があったそうで、世界中から木を探している。

一方小さいが、歴史上、建築上重要な建物も紹介されており、次回行った時は、注目したいと思う。
今は、鐘堂だが、昔は、礼拝の対象だったり、その20トンもあろうかという鐘を吊るす部材、構造なども、考えてみれば凄い話。

京都に行くと、大きな木造建築は、応仁の乱の辺りで、かなり焼失してしまっているから、なおさら奈良の寺院建築は、重要になる。

また奈良に行く楽しみが増えた。
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當麻寺の世界

2022年02月23日 | Nara ( Japan )
この前紹介したばかりの、Gary Brookerさんが亡くなられたという。
ご冥福を.お祈りする。

今日は、予定があったのだが、キャンセルになり、1日、雑務。
どれだけ、進むか。
いい天気だが、まだ寒い。
明後日から、春の陽気になるそうだ。



昨夜は、日経さんと、JRさん主催の當麻寺の世界。



オンラインセミナー。
リアルを申し込んだが、はずれて、オンラインになった。
座席を見るとまばらだったので、コロナで、相当来場人数を絞ったのかもしれない。



最初は、佛教大学教授の大西先生の話。
當麻寺は、2回行っているのだが、奈良中心部からちょっと離れているため、意外と知られていないことも多い。
2回目ゲストの、中川政七商店マネージャーの井上さんも行ったことがないというから、奈良市民でも、寺社に興味のない人は、あまり行かないのだろう。
知らなかった話がほとんどで大変面白かった。
もう一度行きたくなった。

ちなみに、"まほろば"は、"ええとこ"という意味だそうだ。



伽藍は、こんな感じで、3つのお堂の共通拝観券で入ったと思う。
東塔、西塔も有名。
当初は、下側の東塔と西塔の間が参道だったという。
確かに、お堂の配置がおかしいと思っていた。



意外に、當麻寺の文献に残された歴史は浅い。
しかし、創建は、白鳳時代であることは、確か。



竹内街道が日本で一番古い街道だったという話。
先日、聖徳太子所縁の地を周った時にも、歩いた。
博物館もあった。
このまま堺に抜けるが、大阪と奈良を結ぶ街道だった。



この曼荼羅は、何度も、再現されてきた。



これが、2013年に奈良博物館で展示されたオリジナル曼荼羅。
ちなみに曼荼羅は、密教でいう曼荼羅ではなく、当時、仏教画のことを一般に曼荼羅と呼んでいた。



浄土変の変は、アニメのようなものと考えればいいとのこと。
敦煌で見た元祖浄土変がベースになっている。



絹製のつづれ織りだが、通常40本の縦糸のスペースに、60本の縦糸が使われているとのこと。
綴れ織りは、表から見ても、裏から見ても同じ図柄になるという。
ほんの小さなスペースにこれだけ、細かい図柄が織り込まれており、脅威の技法だ。



今拝める文亀本。
お堂内は暗くてよく見えなかったが。



曼荼羅の話が一番面白かっただろうか。
2013年に、奈良博物館で、公開された。
ただ、かなり傷みが激しかったとのこと。
当初は、ぶら下げる形で、祀られていたが、傷みが激しく、板に貼ったが、さらに傷んだため、紙に水を浸してはがしたという。
そのため、貼っていた板と、傷んだ現物と、はがす時に使った紙と、3つの曼荼羅が残ったという。



中将姫の実在性は不明ながら、伝承が本当であれば、あの恵美押勝の姪になる。



薄幸で、仏門に入り、ひたすら写経し、ひたすら祈った。
その際、この曼荼羅を織り上げたと伝えられる。



浄土信仰の象徴的な存在になった。



こんなにもお宝が。
須弥壇は、確か頼朝が寄進したと聞いた。



津村家も本寺の出身で、バスクリンも、當麻寺と関連する。



當麻寺駅近くのよもぎ飯は、私もいただいた。



第2部は、トークショー。
バービーさんが、コロナで欠席。
その代わり同じ事務所の土佐兄弟が登壇。
知らなかったが、片割れは、日曜ドラマでブレイク中?



メインは、中川政七商店のマネージャーの井上さんの町おこしの話し。
井上さんは、普通に東京で、サラリーマンをやっていたが、今の職に身を投じ、会社のためというか、奈良の発展のために、尽くされている。



中川政七商店は、全国各地に展開し、私も時々、使わせていただいているが、元は、絹織物屋で、武士の着物などを作っていた。
絹織物が、他の繊維に代わられる中で、現在の業種になった。
奈良にこだわらず、全国の埋もれた郷土品を現在の好みにマッチさせて、楽しい商品に生まれ変わらせている。
特に、こけし関連グッズを中心にゲットさせていただいた。



奈良町に新しい本社を作られたとのことで、今度寄ってみよう。



町が小さく、物価も安く、小さな起業がしやすい環境になっている。
これは、オリジナルカレーの菩薩カレー。



他にも、アートの催しや、地場ビールなども。

コンパクトに濃縮されたセミナーで、有意義だった。
奈良博では、本曼荼羅に因んだ企画展も予定されているとのことで、是非訪れたい。


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正倉院宝物

2022年02月02日 | Nara ( Japan )


今日は、正倉院宝物展に行った。
会場は、サントリー美術館。
昨日紹介した近代建築ベスト50にも選ばれている隈さんの作品だ。



ただ、美術館の中は、撮影禁止なので、その周り。
このビルと一体なので、全体が隈さんの設計なのか。



木が生かされており、言われて見ると美しい。
吹き抜けの建物は、多くあるので、今まで、特別に意識したことはなかったが。



入り口。
ここは、まさに美術館の一部で、木の香りが生かされている。



さて、この宝物展。
本物ではなく、全て再現模造。
正倉院展でも、少しづつ展示されてきたものだが、今回、正倉院に収められている様々な分野の再現模造品が一同に会した。
見たことがあるものも多いのだが、本展の特色は、その模造がいつ誰によって、どのようになされたかも説明されているところだ。

例えば、絹織物に使う生糸だが、通常流通されている生糸は、当時の生糸より、太く強くなっているそうで、当時の生糸は、皇居で、上皇后様が育てられていたそうだ。
茜色を出す植物の根も、皇居内でわずかに育てられていて、3年かけて、必要分量を準備したという。

当時の製法が、途絶えてしまっているものがほとんどで、再現をするためには、まず製法を検討することから始める。
材料も当時のものをそろえるのは、至難の業。
今は、輸入禁止されてしまっているものもある。
そういうものは、国内に残っているものを使う。
原品が完全に残っていないものも多く、これは、当時の類似品から推測し、再現する。
単なる模造というよりは、新たな創造と言ってもいいだろう。

この模造プロジェクトが、廃仏毀釈の反省から、明治の初めから始められており、今も一品に何年もかけて、丹念に続けられている。
当初のものは、誰が模造したかすら忘れられている。
模造自体も、長い歴史を刻んできた。

正倉院御物の当時の姿が再現されているだけでなく、その製作法、材料等も展示されており、通常の正倉院展と違った意味で、興味深い展覧会だった。
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