かねやんの亜細亜探訪

さすらうサラリーマンが、亜細亜のこと、ロックのこと、その他いろいろ書いてみたいと思ってますが、どうなることやら。

日本の古代とは何か

2025年01月28日 | Books
今日は、ゴルフ。
午前中、コンディション最高で、スコアもまずまず。
ところが、午後から強風が吹き出し、直接は関係ないのだが、大叩きホールも出してしまい、平凡なスコアに終わった。
残念。
現在、関西に移動中。



本書は、本屋で見つけた。
比較的若い研究者が、日本の古代(奈良~平安)の諸テーマについて、最新の研究を解説、議論。
新書の割には、かなり専門的で、難しかったが、現在のNHK大河ドラマに描かれている世界でもあり、興味深く読めた。

驚かされるのは、私が、初めて日本史を習った頃の考えは、かなり覆されているということだ。
覆されるというとちょっと言い過ぎかもしれないが、かなりステレオタイプ的な歴史観を持っていたのが、そんな単純なものではない、もっと複雑曖昧なものだという議論になっている。
例えば、藤原氏は摂関政治の中で、権力を維持し続けたと思われているが、実際、道長は、摂政・関白だった期間は短く、それでも、20年権力を持ち続けた。
これは、摂関政治の時代だったから、権力を持ち続けたという以外の要因が大きかったことを意味する。

唐風文化から国風文化の流れは、遣唐使廃止がきっかけとされるが、実際は、遣唐使は、廃止されておらず、国風文化が芽生えた後も、唐風文化>国風文化という時代は続いたという。
ただ、国風文化が少しづづ育っていたというのも事実で、徐々に染み入るように変わっていった様子がわかって来たのだという。

受領は、悪代官イメージだが、この考え方も大きく変わっている。
確かに、悪い人もいたのだろうが、大方は、責任感を持って、地方統治を行おうとしており、その中での勢力争いがあったと考える。
今と変わらない?
逆に負担が大きく、成り手が減ってきてほどだという。

国をまとめようとして、中国の制度を導入したが、その理想と現実のギャップを埋めきれず、試行錯誤したというのが、日本の古代という結論?
コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 古墳 | トップ | ディラン初日本公演チラシ »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。