いよいよ登山開始。いろいろ見所があるのだが、主なもののみコメント。
これは、姥堂という。中には、気持ちの悪い(失礼!)姥(奪衣婆と呼ばれているらしい)と思われる像がある。元々は、三途の川で、着物を奪い取るお婆さんらしい。
このお堂より下が現世で、上が極楽という設定で、かつては、心身を清めた後、ここで、古い着物を奉納し、新しい着物に着替えたらしい。
これがせみ塚だが、蝉が葬られているのではなく、芭蕉さんの句にちなんで、江戸時代の俳人が、芭蕉さんの句を書いた短冊を埋めて、塚を建てたものという。正面には、芭蕉翁と刻まれている。まさに、この辺りで、詠まれたのだろうか。
曾良の書留には『山寺や石にしみつく蝉の声』と記されており、その後、『さびしさや岩にしみ込む蝉のこゑ』となり、『閑かさや岩にしみいる蝉の声』になったという。ぱっと思いついたものではなく、推敲を重ねた結果できた傑作だ。
蝉の鳴いている季節に来れてよかった。
その先には、弥陀堂と呼ばれているスペースがある。全体の岩のえぐられた形状が、阿弥陀様に似ているところからの命名のようだが、岩肌には、多くの岩塔婆(板碑型の供養碑)が刻まれている。また、下に卒塔婆が並んでいるのが見えるが、それぞれの上に、小さな車がついており、後生車(念仏車)と呼ばれている。念仏を唱えながら車を回して、仏の供養をするという。日本版、マニ車と言えるかもしれない。
これは、姥堂という。中には、気持ちの悪い(失礼!)姥(奪衣婆と呼ばれているらしい)と思われる像がある。元々は、三途の川で、着物を奪い取るお婆さんらしい。
このお堂より下が現世で、上が極楽という設定で、かつては、心身を清めた後、ここで、古い着物を奉納し、新しい着物に着替えたらしい。
これがせみ塚だが、蝉が葬られているのではなく、芭蕉さんの句にちなんで、江戸時代の俳人が、芭蕉さんの句を書いた短冊を埋めて、塚を建てたものという。正面には、芭蕉翁と刻まれている。まさに、この辺りで、詠まれたのだろうか。
曾良の書留には『山寺や石にしみつく蝉の声』と記されており、その後、『さびしさや岩にしみ込む蝉のこゑ』となり、『閑かさや岩にしみいる蝉の声』になったという。ぱっと思いついたものではなく、推敲を重ねた結果できた傑作だ。
蝉の鳴いている季節に来れてよかった。
その先には、弥陀堂と呼ばれているスペースがある。全体の岩のえぐられた形状が、阿弥陀様に似ているところからの命名のようだが、岩肌には、多くの岩塔婆(板碑型の供養碑)が刻まれている。また、下に卒塔婆が並んでいるのが見えるが、それぞれの上に、小さな車がついており、後生車(念仏車)と呼ばれている。念仏を唱えながら車を回して、仏の供養をするという。日本版、マニ車と言えるかもしれない。