かねやんの亜細亜探訪

さすらうサラリーマンが、亜細亜のこと、ロックのこと、その他いろいろ書いてみたいと思ってますが、どうなることやら。

ならでぶら 明日香編その13 亀形石造物と酒船石

2009年04月18日 | Nara ( Japan )



まだまだ明日香の一日は、続く。
亀形石造物も、今回の明日香訪問の目玉だ。
2000年にこれが出てきた時は、大ニュースになった。
今(有料だが)、そのままの姿で展示されている。

ボランティアの方の説明によると、今は、道路を挟んだ反対側にある奈良県立万葉文化館のための駐車場を建設するため、念のため、地中に何にもないことを確認していたら、石垣が出てきて、8mも掘り進んだ最後の最後にこの亀形石造物が出てきたのだそうだ。
亀形石造物と、石槽は、本物にプラスティックコーティングを施してそのまま展示しているという。上の樋は、もちろん複製。その上の部分も本物は埋め戻して、複製とのことだった。でも、こういった形で、発掘された時に近い形で、見れるのは、嬉しい。



説明板にはこうある。

”酒船石(さかふねいし)遺跡は『日本書紀』斉明天皇二年の条に記載のある「宮の東の山の石垣」にあたる遺跡である。平成12年に行った発掘調査で、亀形石槽を中心とした導水施設をはじめ石敷き・石垣・石段が発見された。湧水施設から流れ出た水は木樋を伝って舟形石槽(小判形石造物)の水槽に溜まり、さらに小穴から流れ出た少量の水が亀の鼻に入り、背中の水槽に溜まる構造になっている。これらの遺構は谷底の深い場所にあり、周囲を石垣や石敷で閉ざされた空間であることや、水の流れを見て楽しむ構造でないことから、天皇祭祀にかかわる場所であったと推定される。”



そこから丘に登ると、これは、昔から有名な酒船石遺跡がある。こちらは、無料。亀形石造物も(無料で)ちらっと見える。
何とも不思議なデザインだ。カンボジアファンの私などからは、ヒンドゥ教のヨニではないかとも思ってしまうのだが、ミステリアスかつ宇宙的でもある。これまた、松本清張さんの”火の路”に、詳細な説明がある。



竹林の中に忽然とあるが、亀形石造物を見下ろす位置だ。

説明書きは以下の通り。

”この石造物は、現状では長さ5.5m、幅2.3m、厚さ約1mで花崗岩で出来ている。北側及び南側の一部は欠損しており、近世にどこかに運びだされたと考えられて、石割りの工具跡がのこっている。石の上面に、円や楕円の浅いくぼみを造って、これを細い溝で結んでいる。酒をしぼる槽とも、あるいは油や薬を作るための道具ともいわれている。しかし、この石の東40mのやや高いところで、ここへ水を引くための土管や石樋が見つかっていることから庭園の施設という説もある。”

ということで、やっぱりまだ何も分かっていないのだ。



これらの謎の石造物から、道を挟んだ反対側に万葉文化館がある。すごい立派な建物なのだが、正直、展示は万葉集からインスピレーションを得た現代画や、当時の庶民の様子を人形で再現した展示などで面白くない。



見どころの一つはここから見た景色。



そして、ダントツの見どころはこれだ。富本銭の作られた炉の跡だ。
この文化館を作る時に見つかったもので、和同開珎よりも古い貨幣として、これまた有名になった。
本物の遺構は埋め戻してあり、これは、復原だそうだが、当時ここで、中国から得た最新技術で、貨幣を一生懸命作っていた人々の姿を想像するだけで、ワクワクする。



説明書きにはこうある。

”この復原遺構は、工房跡の一部について発掘調査時の状態を実物大で復原しています。実物の遺構面は、(往時の人達が日々の仕事をしていた地面は、この復原遺構の直下の約4メートルのところに保存されています。
こ復原遺構は、炉群や水溜などがある火と扱う工房跡です。この場所で富本銭の鋳型など、富本銭鋳造に関わる遺物がまとめて埋められていた土坑も見つかっています。並んだ柱列は工房を区画していた塀の柱跡の位置を示しています。”

飛鳥は、ここに確かにあったのだ。1400年も前だけど。

明日から、日本脱出でしばらくお休み。m(__)m

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする