かねやんの亜細亜探訪

さすらうサラリーマンが、亜細亜のこと、ロックのこと、その他いろいろ書いてみたいと思ってますが、どうなることやら。

清張通史5 壬申の乱

2014年07月16日 | Books


これは、清張さんによる、本格的な歴史書だ。
壬申の乱という題名だが、天智天皇の極端な性格と、それに立ち向かった天武天皇、そして、それを引き継いだ、持統天皇という、3人の天皇の物語と言っていい。
この3人の個性を、その行動から、見事に浮き上がらせている。そして、そこに至るまでの、天皇家を巡る争いを俯瞰している。

この頃の資料は、まだ限られるから、古事記、日本書記の裏の裏をかいた推理が必要だ。
壬申の乱は、天智天皇の極端な権力欲から逃れていた天武天皇の権力奪回の戦いと位置付ける。天智が天皇だった時の都である近江朝の記録が抹殺されていることが、逆の証拠になるという。額田王を巡る三角関係の話など、極端な脚色に過ぎない。
このころの話は、飛鳥、奈良あたりが、舞台かと思いきや、近江朝のあった琵琶湖周辺が舞台であり、壬申の乱の大きな戦いがあったのは、関ケ原近辺という。古代から、このあたりが、ちょうど東と西のぶつかる場所だった。

天智の死を待ち、その息子である大友の代になったところを、吉野に逃げていた天武天皇が、政権奪回をしたということだが、大友皇子が、天皇に一旦なったのかについての議論もあるし、そもそもこの戦いが、謀反であれば、天皇家にとって都合の悪いものであったため、戦前の教科書では、それが抹消されていたのだそうだ。
それにしても、天武に対する筆は、鋭い。大化の改新自体、藤原鎌足の影響は、ほとんどなく、政権を握っていた蘇我氏を悪者にして、政権を撮った天智をさらに悪者にして、超独裁体制を作り上げたのが、天武であるというストーリー。歴史もそのために書き換えられた。ちなみに藤原鎌足の出自については、徹底的に疑っている。

伊勢神宮のことについても、触れている。何故、天皇家の始まりであるアマテラスが、大和に祀られず、伊勢に祀られたか。大和に先住信仰(出雲系)があったから、大和に祀れなかったと考えるのが自然ではないか。
ちなみに、天武の後を継いだ、夫人の持統は、旅行好きで、伊勢にも何度も訪れたが、海鮮類を求めたためではないかと推理する。大和は、内陸のため、新鮮な魚介類は、入手できなかった。

北一輝が、天智天皇が大化の改新で、公地公民制により、歴史上最初の民主主義革命と唱えていたそうで、とんでもない妄想であると断じる。
ちなみに大化の改新は、実質天皇であった蘇我氏から、天皇家が権力を奪い返しただけの話とするとすべて話が通る。
蘇我氏と物部氏との戦いも、宗教戦争のような書き方をしているが、旧勢力と、新勢力の権力争いに、理屈をつけただけ。
蘇我氏の成果を、聖徳太子というただの皇太子の成果にし、蘇我氏を撃つことを正当化した。
すべてがつながってしまう。どうだろうか?




コメント
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