夏の、パリの写真がまだ整理できてないので、その前に、先週末の、能登の旅を、さくっとご紹介。
最初に訪れたのが、能登の入口のような位置にある、喜多家。
あの武士の家計簿のロケに使われた旧家ということで訪れたのだが、単なる古民家ではなく、とてつもない機能を担っていた家だった。
喜多家の子孫の方に、直々に説明していただいた。
門構えからして、違う。
重要文化財に指定されている。
税金はかからないのだが、一切造作してはいけないそうで、相当のお金持ちでないと維持できない。
敷地だけで、7000坪と言うから驚いてしまう。
享保年間の建物というが、しっかりしていて、全く年代を感じさせない。
加賀藩十村役とあるが、大庄屋で、10の村を組織の頂点に立つ役職という。
代官的な役回りで、徴税もしたという。
また、前田のお殿様ご来訪時には、村を代表してお迎えする立場であった。
この十村役は、なかなかたいへんな仕事で、首になる十村役が多く、喜多家は、幕末には、200箇所以上の村を治めていたという。
十村役がいなければ、前田の殿様も、加賀百万石を治めることはできなかった訳である。
家の土地が、掘り下げたような場所にあるのだが、建物が立派なことが外からわからないように、掘り下げてあるのだという。徳川家に、にらまれたら、たいへんなのだ。
この建物の右側が、平民の入口、一番右が前田の殿様が籠をつける入口になる。
床の高さも違っていて、右の部屋の敷居は高い!
この襖の向こうがお役人様の部屋で、手前が待合室。
心を落ち着かせるため、壁が緑になっている。
ここは、庭に向いている部屋だが、窓の向こうがいわゆるお白洲。
ここで、人を裁いたり、陳情を受け付けたりしていたらしい。
外からは、この格子で、中が見えにくくなっている。
殿様の部屋に繋がる部屋。
畳の真ん中が、殿様の通る道になる。
こちらが殿様の部屋。江戸から睨まれないように、質素にしてあるが、お茶がたてられるようになっている。
滞在期間は、お茶ぐらいしかやることがなかったらしい。
裏には、警護のお侍が控える部屋があり、掛け軸の裏が、回るようになっていたという。
3人が、寝ずの番をしていたそうだ。
脇には、大きな米倉を改造した(重文指定前だったという)宝物館があり、来訪者が置いていったり、納められたりしたお宝が丁寧に展示されている。
特に、色鮮やかな浮世絵群にはびっくり。
もう少し暗い部屋で展示した方がいいのでは?
今は無料になったのと里山海道の米出インターよりすぐなので、車で能登を訪れる方は、是非立ち寄って欲しい。
江戸がそのまま残っている。