かねやんの亜細亜探訪

さすらうサラリーマンが、亜細亜のこと、ロックのこと、その他いろいろ書いてみたいと思ってますが、どうなることやら。

星加ルミ子さんトークショー

2019年11月24日 | The Beatles

今日は、朝方雨だったが、途中から雨もやみ、気温も急上昇。
なかなか体調管理が難しい季節だ。



大忙しの日曜日。
最初は、大嘗宮。
14日の儀式を終え、解体される前に一般公開されている。
伝統的な建物で、古代が現代に現れたような錯覚に陥る。

宗教の自由の問題、コストの問題等いろいろあるが、日本という国家を語る上で、天皇家は外せない中、一代に1回の儀式。
いいのではと思うのだが。これを否定してしまうと、宮内庁自体どうなんだという話にもつながってしまう。
まだ訪れてない方は、東京のど真ん中であり、是非ご自分の目で確かめてみて欲しい。



そして、下北沢のBREATHでの星加ルミ子さんのトークショー。
聞き手は、藤本さん。と言っても、星加さんが、喋りまくるから、ほとんど出番なし?
もう10回近く星加さんのトークショーは、来ているが、毎回楽しい。
今回は、特に、総集編とも言えるもので、星加さんと、ビートルズの接点を網羅した内容だった。
何度聞いても、奇跡的な話が多く、びっくり。
最初の面談は、まさに博打だが、大成功。
来日時、その後のアメリカ公演随行も何度か聞いたが、NYでのJL仁王立ち事件、リンゴとの朝食事件、シェアスタジアムでの飛び降り事件等、今ではありえない事件のオンパレード。
フールオンザヒルのレコーディングで、リコーダーが、沢山出てきた話は、前も聞いたが、リコーダーが、イギリス以北の伝統的な楽器なのでそうだ。
そうでなければ、すぐ、リコーダーが沢山出てくるはずもない。

1968年のアップルでのクリスマスパーテイでYOと初めて会った話は、聞いていたが、同行のカメラマンのコーさんが、YOのことを、インド人と言っていたと前回は、言っていたが、今回中国人に変わっていて、藤本さんが確認したら、インドネシア人かもしれないとのこと。
50年以上前の話で、関係者の記憶も定かではない。
1967年のクリスマスパーティー(忘年会)に、ジャッキーロマックスがいた話は、初めて聞いた。
その時のJLとYOの長谷部さんの話も貴重。

ルーフトップコンサートの時、居間で途切れ途切れの音を聞いていた話も。
長谷部さんがいたら、無理にでも、屋上に行っていただろうとのこと。
映画にも出られたかもしれない。
ここは、残念。

1978年に日本で、JLとYOにあった話は初めて聞いた。
アメリカに戻る前のフェアウェルパーティだったという。
最初大勢招待されていたが、残っていたら、数人になって、YOが夜中になって、高級うな重を注文し、みなが満喫したという。
当時のJLは、YOのいいなりでテーブルセットから、お茶入から、全部やっていたという。
割り箸の割り方や、使い方も堂にいったものだったという。
樹木希林さんが、甲斐甲斐しく動いていたのが印象的だったという。
相当痩せていたといい、本当に主夫をやっていたのだろう。
樹木希林さんが、前に言っていた、無理やり裕也さんに付き合わされた会の話だったのかもしれない。
これが、4人との最後の出会いになった。

JLが暗殺された話も、報道の前に聞いていたそうで、信じられなかったので、ニュースは9時まで見なかったという。
私は、7時のニュースでいきなりだったように記憶するが定かではない。

今は、仕事でない限り、会いたくはないと言う。
お互い、歳とったねぐらいしか、話すことが思いつかないとのこと。



最後に、コーさんの写真展。
前に、新宿での写真展に行ったことがあったので、新鮮味はなかったが、大賑わいで、人気の高さを知った。
世界的に、見ても、当時のロックスターをこれだけ撮った写真家はいないだろう。
これも1965年のミュージックライフのビートルズの取材がきっかけなのだから、人生何が起こるかわからない。
今となっては、貴重すぎる写真ばかりだった。
3万円で、最後の写真集を出すそうだ。
ちょっと高いけど。

ということで、あまりにも充実の一日だった。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする