かねやんの亜細亜探訪

さすらうサラリーマンが、亜細亜のこと、ロックのこと、その他いろいろ書いてみたいと思ってますが、どうなることやら。

ポーランドその2 サスキ公園

2008年10月20日 | Europe・Middle East・Africa



ワルシャワで、今回泊ったのは、Westin だった。市内の南西方向にあり、文化宮殿も近い。



近くに、名もない教会があったが、それなりの規模を誇っている。後ろに、霧に霞む文化宮殿が見える。



たぶんヨハネパウロ二世の像だろう。多くの蝋燭が灯されていた。ポーランドが誇る英雄?である。



そこから、少し先に行くと、サスキ公園があった。大きな公園で、紅葉が綺麗だった。秋真っ盛りの最高のシーズンに訪れたということらしい。





公園の東の入口には、無名戦士の墓があり、衛兵が2名、微動だにせず墓を護っていた。常に、戦争の中にあったポーランドだけに、そこら中に、戦争に絡むモニュメントがある。



これは、何かの博物館だと思うのだが.....



こんな古びたビルも、ワルシャワらしくていいでしょっ。

ということで、何の説明もない、町歩きの記録。
とにかくまだまだ情報が少ないのだ。

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ポーランドその1 文化宮殿

2008年10月19日 | Europe・Middle East・Africa



ポーランドの首都ワルシャワには、歴史的建築物が少ない。ドイツ、ロシアに、徹底的に破壊されてしまったからだ。その中で、偉容を誇っているのが、この文化宮殿だ。この虹をバックにした姿は、確かに美しい。ロシア(旧ソ連)にあったスターリン型建築だ。

ところが、ポーランド人に聞くと、あまりありがたくない建物らしい。ソ連支配時代、設計図のみソ連から来て、実際の建設は、ポーランド人がさせられたそうだ。対外的には、ロシアからの贈り物とされている。



そうは言っても、近くには、ワルシャワ中央駅や、大きな新しいショッピングセンターがある。新ワルシャワの中心ということなのだろう。



もちろん?ハードロックカフェもある。



ライトアップも、美しい。ちなみに、この時計は、後から付けられたものらしいが。

ということで、ワルシャワの街歩きはスタートした。

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ポーランドとブルガリア

2008年10月18日 | Europe・Middle East・Africa





しばらくご無沙汰だった。今回は、ポーランドとブルガリアに行って来た。

両国ともに、たいへんな労苦に満ちた歴史を歩んできた国だ。

ポーランドは、10世紀に王朝が成立し、16世紀に最大となるが、17世紀から周辺国の影響を受けるようになり、18世紀に入り、ロシア、プロイセン、オーストリアに分割され、国が消滅。20世紀に入り、一旦独立を回復したものの、第二次世界大戦で、ナチスドイツに侵攻され、ソ連軍にも侵攻され、大規模な破壊を受けた。第二次世界大戦で、ドイツが負けたため、新たに共産主義政権が誕生。そして、ソ連崩壊に伴い、現体制に移行した。

ブルガリアの歴史はもっと古く、トラキア文明が紀元前3000年に存在していた。第一次ブルガリア帝国ができたのが、7世紀。しかし、11世紀に一旦ビザンチン帝国に滅ぼされた。その後第二次ブルガリア帝国ができるが、今度は、14世紀にオスマントルコに滅ぼされる。19世紀末に、第三次ブルガリア帝国ができるが、第一次、二次世界大戦とも、ドイツ側につき、敗北。戦後、共産主義体制に移行したが、ベルリンの壁崩壊とともに、無血体制変換を果たし、現在、民主主義、市場経済化の道を歩み始めたところである。

ちょっと、ややこしくなったが、両国とも、まじめにこつこつ市場経済化を進め、今は、EUにも加盟し、明るい未来が開けているような印象を受けた。

写真は、世界遺産にも指定されているワルシャワ(ポーランド)旧市街と、ソフィア(ブルガリア)のアレクサンダル・ネブスキー寺院。

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マカオその6 モンテの砦

2008年10月11日 | China・Mongolia

竹内まりあさんのExpressionsが売れているようだ。どのような世代に売れているのかわからないが、リアルタイム世代の我々にとっては、応えられない内容。彼女がザベスト10に出ていた当時の歌はすっかり聴く機会がなくなっていたし、最近の歌は、TVドラマのテーマソングなどでしか聴かなかくなっていたので(そういえば、10月から始まった朝の連ドラのテーマソングもまりあさんの歌だ)、それらが3枚のCDにいい具合に収められている。個人的には、"マージービートで唄わせて"とか、"家に帰ろう(マイ・スィート・ホーム)"などが好きなのだが(結局中期の歌か!)、人それぞれ、たぶん好きな歌があるのではないか。おまけのCDは、カラオケ用なのだが、すっかり行かなくなっているので、あまり利用価値はない。歌詞の出るDVDカラオケにしていただくと、カラオケご無沙汰組にもフレンドリーだと思うのだが。



明日から、またまた日本を留守にすることになったので、しばらくお休みさせていただく(すんまへん)。その前に、前回の旅のご報告も終えることとしたいので、今日で、急遽マカオも最終回。

上の写真は、⑥ナーチャ廟。子供の神を祀るもので、道教関連の施設。疫病が蔓延した時の厄払いのために建てられた。セントポール教会跡のすぐ隣にあるのが、ユニークだ。日本の、神社とお寺のようなものだ。



その横にあるのが、⑦旧城壁。ナーチャ廟の隣に残っている。16世紀にポルトガル人が築いたが、明朝にたびたび破壊されたという。様式は、西洋だが、製法は、東洋的なのだそうだ。



そのちょっと東にあるのが、⑧モンテの砦で、マカオの防衛の要であった。17世紀に造られたもので、2年間の攻撃に耐えられるように設計されている。



標高53mの小山にあり、眺めがよい。ここから見ると、大砲がグランド・リスボアを狙っているようだ。



これは、北の方向を臨んだところ。左奥に見えるのは、中国本土。中国本土とは橋でつながっているが、中国人が、マカオに入るのには、ビザが必要とのことである。



ポストも、それぞれのお国柄が出て面白い。



そこから北にとぼとぼ歩いていくと、⑨聖アンソニー教会があった。この教会は、戦後再建されたもので、外観に歴史的風格は、感じられない。元は、16世紀に造られた由緒あるものだ。



教会の前には、1638年の年号を刻んだ十字架があった。ちょっと変わった形をしているが。



その隣にカモンエス公園があるが、脇に、⑩プロテスタント墓地がある。静かなところである。カトリックが主流のマカオに、英国東インド会社が、19世紀に造った墓地。イギリス人や、アメリカ人が眠っている。



カモンエス公園の中の⑪カモンエス広場も世界遺産に指定されている。ただの公園で、のんびりしたところ。



早歩きで、マカオの旧市街を堪能?した後(数ある世界遺産の内、11/30制覇)、香港新国際空港直行の船が出る港に向かった。港の横には、マカオグランプリの観覧席がある。そういえば、シンガポールのグランプリは、(TVでは)大成功だったように見えた。ただ、この経済状況だと、来年以降がちょっと心配。何せ、お金のかかるスポーツだから。



YAOHANは、クローズしていた。悲しい。シカゴのYAOHANもすぐつぶれたが、今はどうなっているのだろう。



カジノに”はしたない”という言葉はない。派手であればあるほどいいのだ。



近くには、ラズベガス資本の、サンズ・マカオ・ホテルがある。火山、中国、チベット、イタリアなどをテーマにしたアトラクションがあるようだ。タイパ島のカジノ群も、シンガポールに建設中の二つのカジノのうち一つも、サンズ・グループによるものだ。



これが、マカオ港の遠景。香港とマカオを結ぶメインストリートだ。



港の向こうには、タイパ島を結ぶ橋が見える。香港からのヘリコプターツアーも人気。数万円かかるようだったが。



これは、香港新国際空港の先端の方にあるフェリー発着所。ここから、セキュリティを抜けると、香港新国際空港にダイレクトに入れる。荷物は、マカオの港でチェックイン済みだから、身軽で、極めて快適であった。

ということで、東洋と西洋の狭間で、数奇な運命をたどってきたマカオは、これからも、カジノをキーワードに、特異な発展を続けていくのだろう。

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マカオその5 セントポール天主堂跡

2008年10月10日 | China・Mongolia



マカオの世界遺産の中で、象徴的なのは、この⑤セントポール天主堂跡だろう。セナド広場から、小道を抜けたところにある。今は、荒れ果て、ファザード(正面の壁)と、地下への階段を残すだけである。19世紀半ばの火事で、建物本体は焼け落ちた。元は、17世紀に建てられたもので、日本から追放されたキリシタンもその建設に参加している。



正面の浮き彫り群も見事なものである。他の部分が崩壊しているだけに、感慨深い。規模も相当大きなものであったことがわかる。



地下の部分は、博物館として展示されている。埋められていた人骨の納骨堂もある。



当時、日本で禁制となったキリスト教信者たちも、ここの建設に貢献した。そのままここで、亡くなられた方々も納骨されている。17世紀の話だ。

ということで、セナド広場と、このセントポール天主堂跡は、マカオの世界遺産の中では、必見だろう。

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