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ダイバーシティの効用

2014-10-11 01:00:00 | 14期生のブログリレー

プロコン塾14期生の長田真由美です。

昨今、企業経営にもダイバーシティが重要だとよく言われます。

性別・年齢・国籍等、色々な観点でのダイバーシティがありますが、会社で仕事をする中で、「ダイバーシティってやはり重要!」と実感する機会は、案外少ないのではないでしょうか。通常は、自分の業務環境でダイバーシティのレベルがとつぜん劇的に変わることはないからです。

私がダイバーシティの効用を実感したのは、ベルギーでの勤務時でした。 

海外赴任時はまず誰もが「日本とは違う」という観点で世界のダイバーシティを実感しますが、例えばイタリア赴任時などは周りがイタリア人ばかりで、イタリア人か日本人かという軸での相違に収斂していくことが大半だと思います。

最初は相手を理解し受け入れようとするのですが、毎日仕事をするうち、価値観の相違が際立ってきて、日本人からイタリア人に対して「会議の時間が押してるのに、どうしてジョークばかり言ってるんだろう!?」とムッとしたり、逆にイタリア人の方では「どうして日本人っていうのはこうも四角四面でお堅いんだ??」と思ったりして。

そして互いに、「イタリア人っていうのは効率が悪い」とか「日本人は話が分からない奴らだ」などと一般化してしまい、以後はそのステレオタイプに当てはめられてしまいがちです。

ところが私のベルギー勤務時は、ベルギー人vs日本人でなく、200人くらいの同僚の国籍が25カ国以上に分かれるルツボのような職場でした。

そして、女性の割合も結構高かった。

すると、イタリア人といっても何人かの男性・何人かの女性がいるし、フランス人も何人かずつ男性・女性が、ドイツ人もスペイン人もイギリス人もベルギー人もオランダ人も日本人も少しずつ複数いることになります。

ベルギー人でもアラブ系だったり、フランス人だけどベトナム系とか。アフリカ出身の同僚も、ケニア人だけどインド系とか、モーリシャス人だけど中国系で母語はフランス語とか。

そうなると、「一般的にイタリア人は・・・」とか「一般的に日本人は・・・」等、行動・思考の傾向はあるものの、同じイタリア人でもジュゼッペは饒舌だけどエンツォは物静かとか、ドイツ人でもシュテファンは論理的だけどアンドレアスは自由奔放、日本人でもマサトは婉曲的だけどマユミはストレートな物言い、とか個人の違いが分かってきます。

そして、それら個々人に対する評価は何人から見ても結構共通しているのです。ジュゼッペは日本人だけでなくイタリア人やフランス人から見ても饒舌だし、マユミはドイツ人・イギリス人・日本人の誰から見てもストレートな物言いという評価。そして、様々な国籍の同僚が集まっては、「ジュゼッペはほんとにおしゃべりだよなー」と意見が合致して笑いあったりして。

例えちょっと迷惑な行為があっても、「日本人はまったく!」とかでなく、「マユミはまったく!」となりますし、あまりに色々な国の色々な個性の人がいると、相手が自分と異なる点についていちいち「あの人はまったく!」などと言ってられないので、「それぞれそういうものなんだ」と思うようになり、皆をそのまま受け入れられるようになってきます。

こういう感覚が普通になると、意見の相違があっても2大グループの対立のような構図にはならないし、異なる人種・国籍・性別・年齢の同僚に対してもそれぞれの考え方・生き方として尊重しあい、誰の意見も排除せず「なるほどねー そういう考え方もありか」と聞くようになり、建設的な議論・関係が構築できるようになりました。

そのような基本的な信頼関係があるため、フランス人がドイツ人の同僚に 「そういう頭の固さを続けてるとWorld War IIIも負けちゃうぞ~」などと気軽にジョークで言えて、ドイツ人も「フランス人のように軟派な人たちに負けるなんてあり得ないよ~」と軽口をたたいていました。近代になってからずっと戦ってきた2つの国が、いまや恩讐を超えてお互いの国民性をジョークで揶揄でき笑いあえる関係を築き上げているのです。EUの統合はまだまだ道半ばと言われますが、彼らが過去50-60年の間に成し遂げた統合・国境の開放・壁の崩壊には深い感動を覚えます。

プロコン塾は、14期生同士はもちろん講師陣・事務局の皆さまも含め、年齢・性別・バックグラウンド等ダイバーシティに満ちていて、お互いを尊重しあう素晴らしい関係が築けているのが財産と思っています。

一方、仕事場ではなかなかそんな多様性に満ちた環境がなく、知らず知らずのうちに「やっぱり20代ってものは・・・」とか「女ってものは・・・」なんて先入観でカテゴリー分けして、壁を作ってしまっていないでしょうか? (そもそも自分自身の「海外では」とか「やっぱり日本は」てな発想に反省しきり・・・)

カテゴリーでなく一人ひとりを独立した個人として見ることで、新たな視点が得られ、新たな議論が出来、新たなアイデアにつながる可能性が広がっていくのだと思います。

 

コメント (4)
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