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日本のいちばん長い日

2015-08-19 11:07:33 | 15期生のブログリレー
戦後70年を迎えて、多くの書籍が出ています。

私は、半藤一利氏の「日本のいちばん長い日 決定版」を読み、映画も鑑賞しました。
本書は、ポツダム宣言が出されて以降、日本が敗戦を受け入れるに至る経緯を、昭和天皇、内閣、陸軍を中心に描いています。

時の首相、鈴木貫太郎は、群馬県前橋市で幼少を過ごし、前橋中学(現、群馬県立前橋高校)の卒業生です。
私も、前橋市で生まれ育ち、同じく前橋高校の卒業です。

もっとも、敗戦時の首相というくらいの知識しかありませんでした。
今回、本書を読み、鈴木貫太郎が終戦において多大な役割を果たしたことを認識しました。

鈴木は、海軍で連合国軍司令長官まで務めたバリバリの軍人ですが、侍従長をしていた頃から天皇の信任が厚く、天皇の希望を受けて昭和20年4月に首相に就任しました。
戦況は敗戦濃厚であり、鈴木内閣の役割は戦争を終結させることでした。

陸軍は、沖縄での敗戦を受けても、本土決戦を主張し続けていました。
その陸軍を抑えるにあたっては、誰を陸軍大臣に起用するかが重要です。
鈴木は、阿南惟幾を陸軍大臣に任命しました。

阿南は戦争継続を主張し続けます。
しかし、大臣は辞任せず(陸軍大臣がいなければ内閣は総辞職)、部下を押しとどめて決起を抑えます。
最後は終戦詔書に署名し、終戦の日に自刃します。

組織に負けを認めさせることは至難の業と思います。
阿南は、鈴木に対して深い敬意を抱いていました。
そういう人物を陸軍大臣に置くことができたのも、鈴木の人徳なのでしょう。

あのまま本土決戦に突入していれば、内戦のぼっ発、アメリカとソ連の分割統治になっていたかもしれません。
ぎりぎりのところで日本を終戦に導いた点は、鈴木の功績と認めてもよいと思われます。

郷土の先輩を知るよい機会が得られました。



















コメント (5)
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