こんばんは、16期生の八木原です。
2回目のブログ投稿となります。
今日のテーマは、傾聴することの効用です。
皆さんは20年間会わなかった友人と再会する時、どんな事を思いますか?
私は、先日あるセミナーでコーチングのレクチャーを受け、短時間ながらも模擬練習をした中で、
不思議な落ち着きと信頼感を覚えた体験から、古い友人との再会の中で、それを試みました。
第三回目の講義があった日の夜、フランスに住む友人が一時帰国したので、久しぶりに渋谷で
食事をしました。約20年ぶりの再会とあって、友人も山ほど話したいことありそうで、傾聴に徹す
ることは容易でした。
彼は、デザイナーのアイデアを造形し立体的な洋服にするパタンナーと呼ばれる職人で、フランス
ではモデリストと呼ばれ尊重されています。私個人はパタンナーを技能や感性が如実に出る仕事
として重視していましたが、日本では何故か、あまり評価されてはいませんでした。
そんなこともあってか、彼は39歳の時一念発起して身寄りのないパリに単身で乗り込み、語学学校
を経て、プレタポルテから最上級のオートクチュールの学校へ通い、企業での修行を積んだ後、現在
は小さなメゾンを開き活躍しています。
先日のカフェ襲撃テロがあった場所の近くに住んでいること、支払いがいい加減なフランス人が多く嫌
な思いをしていること、個人事業主は毎年かならず利益を増やし続けないとビザの更新ができないこと
、サルコジ前大統領時代から外国人労働者に対して規制が格段に厳しくなっている事、話はあちこちに
飛んでゆきましたが、何かを必死に訴えたいことは彼の声の変化や表情、落ち着きのない仕草などから
感じ取ることができました。
本当は何が言いたいのか、彼自身も整理がつかないようで酒量だけが増え続けました。話のベクトルを
彼自身に向け続けなければならなかったのですが、残念ながら上手く引き出せないもどかしさを感じる一
方で、相手の話を自分の経験したアナロジーに置き換えで理解したような気になる自分の癖を自覚しました。
最後に、生まれ故郷に残した認知症の母親の話になり、本来は兄弟で面倒をみるところが兄夫婦と母親
の関係が悪いがため彼に全てふりかかってきていること。昨年亡くなった父親の苦労だらけの人生を涙な
がらに話し始め、思わずこちらももらい泣きです。
ここで初めて、かの地で築き上げててきた地位を失いたくないという思いと、両親に対する思いの狭間で揺
れ惑い、辛い思いをしているという、苛立ちの正体がようやく掴めたように思います。
こうして文章にすると何だかすんなりまとまりますが、実際に結論にたどり着くまで“傾聴に徹する”ことは容易
ではなく、エネルギーのいるセッションでした。ハイボールを何杯おかわりしても全く酔うことができません。
帰りの道すがら、彼から“気持ちが晴れ元気が出た”とのお礼メールをもらい、少しは役に立てたのかなと一
安心です。生半可ではあっても、じっくり傾聴し続け、相手を承認し続けることは、信頼感を生み、人間同士の
距離を縮める空気を生むものだなと実感しました。
コーチングでは、相手の話に共感や同調してならず、相手の鏡役に徹する冷徹さが求められています。友人
ではなく、感情的な割り切りの利くビジネスの世界で試みた方が良さそうですね。