稼プロ!18期生の佐々木(晋)です。こんにちは。今年のJリーグは先週末のJ1昇格プレーオフで幕を閉じました。東京Vが久方ぶりにJ1復帰か!?と期待しましたが、最後は力尽きましたね。勝ったジュビロの名波監督は同い年なので、来期も監督続投が決まりホッとしました。私は味の素スタジアムに隣接する市に住んでいるので、FC東京のファンです。自分もサッカー経験者ですが、今は息子がプレーしていますので家族のサッカー熱が高く、今年も4試合見に行きました。本年最後の観戦は11/24の川崎フロンターレ戦、通称多摩川クラシコでした。川崎フロンターレは既にリーグ優勝を決めていましたが、多摩川対岸のライバルチームとの一戦は絶対に負けられない試合でした。
実は、クラシコは今回が初めてです。スタジアムは37,000人ぐらいの観客が集まり、ホームの東京サポーターは大いに盛り上がりましたが、アウェイの川崎サポーターも同じぐらい勢いがありました。通常、アウェイの応援はホームに比べて劣勢になるものです。中村憲剛選手とサポータの一体感は感動的に強く、試合は2-0で川崎が勝ちました。川崎フロンターレと言えば、”名物広報”天野春果さんの地域密着クラブ作りが有名ですね。恐るべし超地域密着と思って調べてみると、2015年4月まで社長を務められた武田信平さんの記事(日本経済新聞)を見つけました。
今でこそ地域密着で有名な川崎フロンターレですが、Jリーグ参入当初は親会社のイメージが強く、地元に全く根付いていなかったそうです。2000年に社長に就任した武田さんは、Jリーグの”地域密着””スポーツでもっと豊かな国へ”という理念とかけ離れたこの状況に危機感を感じました。そこでまず、親会社の出資比率を落として地元から出資を募り、運営会社の名前も親会社の冠を外して“川崎フロンターレ”に変えます。地元の会合には市議会議員のように常に顔を出し、”お願いします”と頭を下げることを何年も続けたそうです。そうすることで地元事業者や行政と強いパイプができ、川崎という市を活性化することを重要なミッションとして、フロンターレのプロモーションを次々と展開しました。あの有名な算数ドリル(フロンターレの選手が登場して問題のネタになっている)も、このような流れの中で生まれたのですね。
私も診断士として、いずれは生まれ育った地元に貢献したいと思っています。当たり前ですが、地域密着は泥くさく粘り強い努力が必要だということを、改めて実感しました。私もできるところから、地元コミュニティへの足がかりを築いて行こうと思います。