歌舞伎「松竹大歌舞伎」(7月21日・岐阜・可児市文化創造センター・宇宙のホール)
最近は音楽関係で見たいライヴ公演がほとんど無く、それでは身がもたない(仕事をやる気が起こらない)と、歌舞伎のチケットばっかり買っている。先日も見たばかりだが、今度は巡業東コース。岐阜県可児市の「可児市文化創造センター(通称:アーラ<ala>)」へ。最近文化庁の「特別支援劇場音楽堂」にも選出されたという文化事業の発信に熱心な会場で、劇場設備のみならず、稽古場として使える設備を備えた”やる気”のある会場だ。この日も関連企画として、所有する「地歌舞伎」の衣装を展示していた(写真下・チラシ)。地歌舞伎の活動も行っているとのこと。
駐車場に車を停め、緑眩しい芝生が広くとられた贅沢な設備の会場へ。前日にハーフプライス・チケット(この会場は売れ残ったチケットを前日に半額放出することがある)が出ていたので心配したが、1回のみの公演とあってか客の入りは上々。
まずはスーツ姿の染五郎が「ご挨拶」。挨拶がてら簡単に本日の演目の筋書きを教えてくれる(ちなみに歌舞伎の場合、話の筋は全部知った上で観るのが普通)。もっと崩しても面白いだろうが、真面目な染五郎らしい丁寧なしゃべり。そして壱太郎(かずたろう)の「晒三番叟」。衣装の早変わりが楽しめ、しとやかな踊りから、身元がばれ、一転して勇壮な踊りに変わるところがなかなか素敵。
二幕目はメインの芝居「松浦の太鼓」。外は猛暑の亜熱帯(34℃!)といった気候だが、赤穂浪士の討ち入り前夜のしんしんとした雪景色の書き割りで、一気に舞台が冬の寒さの真っ只中に。歌舞伎の書き割りってつるんとした無機質な感じで写実的ではないのに、とても情緒を感じさせるのが不思議。初めて見る演目だったが、染五郎が初役で演じる人間味溢れる殿様(本来はすでに隠居)がとても無邪気で、何だか志村けんのバカ殿様を連想させて面白おかしい。それでも当時の、死を覚悟して行動するという武士の人生の虚しさ(もちろん当人は虚しいなどと思っていない)が胸を打つ。こういう精神のあり方は現代人にとってなかなか難しい心理だけど、現在世界で頻発する宗教がらみのテロとの類似性についても何となく考えさせられる。
打ち出しは染五郎と壱太郎の「粟餅」。常盤津連中を従えた踊りで、息の合った踊りを見せる。途中で客席に手ぬぐいを投げる場面があるのだが、あれ、欲しかったナ…(全く届かない場所だったけど)。歌舞伎役者は、芝居はもちろん、踊りもやり、ほとんどの場合約1ヵ月公演してまた違う演目に変わる。つまりひとつの公演をやりつつ、次の公演の稽古をしていくエンドレスな芸能だ。その間に取材、テレビ出演を含む他の仕事をこなしていく。もちろん演りながら完成させていく面もあるし、どの程度プライベートな時間が確保されているのかは知らないが、凄い人達だなァ…。さ、まだ日が高いし、帰って仕事、仕事…(涙)。
< 演目 >
一、ご挨拶
市川 染五郎
二、晒三番叟(さらしさんばそう)
如月姫 中村 壱太郎
三、秀山十種の内 松浦の太鼓(まつうらのたいこ)
松浦鎮信 市川染五郎
大高源吾 中村歌昇
宝井其角 嵐橘三郎
お縫 市川高麗蔵
四、粟餅(あわもち)
杵造 市川染五郎
おうす 中村壱太郎