17日公開日に観ました。
そして、昨日(20日)に2回目を観ました。
午前9時50分という早い時間の開演でしたが、お客さん多かったです。
口コミで広がっているのでしょう。
封切館が少ないため遠方からも来られているのかもしれません。
なぜ、急いで2回も観たのでしょう。
簡単にいうと、よく理解できなかったからです。重要な映画なのに。
セリフが中心の映画です。まず話していく内容を理解しなくてはなりません。
その上、表情や行動のほかに風景、音響、音楽も把握しなくてなりません。
そんな複合的なことはできません。
単線のような頭です。
監督やスタッフそしてキャストが心込めて創った映画なのに一部しか理解できない。
これが現実です。
そして2回目。
やっと前に進むことができました。
なんのことはない。筋がわかった程度です。
映画は3つの短編からなります。
短編にするとテーマがシンプルになります。
以下ネタバレ?
1話.ふたりの女性(元カノと今カノ)とイケメンシャラ男の話。
元カノはシャラ男に言葉を駆使して対峙します。
男はまるでかないません。しかし男はなにも反省できない。
浮ついた言葉しか話せない男の今後はどうなるのか。
2話.再び出来の悪い男(学生)が登場。
家庭持ちの彼女にハニートラップ役をさせます。
彼女の教授へのトラップは失敗してしまうが、予想外のトラップがかかってしまう。
たぶん、彼女は家庭を失い教授も職を失った。
5年後、偶然出会った出来の悪い男と彼女。
男は自分に責任はないという。
彼女は彼にトラップを仕掛けるのか…。
3. 女性二人登場。もう男は登場しません。
見も知らぬ女性同士。お互いに旧友と勘違いする。
しばらくして思い違いだったことが判明する。
しかしこれからが真骨頂。
全く知らない二人が会話を続けていくことで新しい力が芽生えてくる。
ある説:人類はなぜ言語を獲得できたか?
それは女性のお喋りから。
案外当たっていると思っていますが、
この話を女性にすると反応が悪いです。
この映画でも、女性の活発な言語活動がなければ成立しないのにね。
以下は、18日に書いた内容です。
濱口竜介監督の映画鑑賞は、『スパイの妻』、『ドライブ・マイ・カー』に続いて3作となりました。
『スパイの妻』はミステリアスな社会派娯楽映画。
『ドライブ・マイ・カー』と『偶然と想像』は、連作といってもいいくらいです。
日常の風景が美しい映像、重要なアクセントのような音楽、音響。
そして、「整音」の重要性。
舞台に似て、会話が中心の映画です。
観客に映画の中の会話がきちんと聞こえなくてはなりません。整音の力が必要です。
キャストは、舞台のように全編のセリフを掌中に置かなくてはなりません。
たぶん、舞台稽古のような手順が必要だと思われます。
そのひとつのスタイルを『ドライブ・マイ・カー』で垣間見せています。
『ドライブ・マイ・カー』は村上春樹氏の短編集を1作に窒変しました。
監督はこの短編集を溺愛しているようです。
今回は自作の短編集です。
これからのライフワークになりそうだと言います。
とても興味深いです。
では、この『偶然と想像』の映画ながらの読後感はどうだったか。
とてもよかったですよ!
私は十分楽しむことができました。
新しい映画のカタチが提示されているようにも思えました。
それでいて、映画の愉しみである、「えっ」、「おいおい」、「なんで」、「そうくるか」と
画面から目が離せない要素が続きます。
濱口監督は、脚本を他者に任せられないようになりつつあります。
ぜひ、映画館に足を運んでくださいね。
お読みいただきありがとうございました。
※私の『偶然と想像』です。
17日、映画を観る前に、街角撮影と食事を済ませることにしていて、
シネマクレールでチケット購入(先着順自由席)。
城下からお城に向かおうとしていた時に、信号待ちで気になる高齢女性が目に入りました。
この寒空に行き先が定まらない様子。部屋着のままのような服装。
話しかけても「大丈夫」を繰り返される。
どうみても大丈夫ではありません。
なんとか交番に同行。家族から捜索願いが出ていました。
よかった。