この映画は、2005年に創られた。
今から12年前、日本の首相は小泉純一郎だった。
米国大統領はブッシュ・ジュニア。
イラクで戦争を始めた張本人だ。
しかし日本は現憲法下でイラク派兵はできない。
それをなんとか改憲なしで実施できないか。
小泉政権は四苦八苦して、なんとか米国のご機嫌をとった。
当時、小泉本人以下だれも改憲が現実的とは思っていなかった。
それから12年、安倍政権下でことは進んでしまった。
戦争を知らない世代がほとんどになり、戦争の悲惨さは後方に追いやられた。
私たちにとって歴史は財産であるはずである。
もちろん、この映画も財産だ。
その財産をしっかり観ておこう。
憲法9条についてインタビューを受けた人が答えている。
☆アジアの人にとって、憲法9条があることが安心感につながっている。
☆9条は、アジアの人々への償いでもある。
☆改憲は国内の問題だけではない。
☆私たちが希求する憲法を日本は持っている。変える必要がどこにある。
以下は、映画 「日本国憲法」のホームページからの転載です。
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戦後60年目を迎えた2005年、自衛隊のイラク派兵をきっかけに憲法についての踏み込んだ議論がはじまりました。国内のあまりに性急な改憲への動きを、世界に視野を広げて見つめ直す、それがこの映画の出発点でした。憲法とは誰のためのものか、戦争の放棄を誓った前文や第9条をどう考えるのか。本作品は、憲法制定の経緯や平和憲法の意義について、世界的な知の巨人たちが語った貴重なインタビュー集です。 2005年度第79回キネマ旬報ベスト・テン「文化映画」部門第1位 2005年度日本映画ペンクラブ会員選出ベスト5「文化映画」部門第1位 山形国際ドキュメンタリー映画祭2005「ニュー・ドックス・ジャパン」部門正式出品
監督:ジャン・ユンカーマンの言葉
この映画の製作過程で私たちはいくつかの国を旅した。そして、とくに香港とソウルで、歴史が今なおいかにダイナミックに生き、流れ続けているかを知った。戦争は60年前に終わったかもしれない。しかし、人々の戦争体験は生き続けている。戦争の悲劇と、それを忘れない義務は、条約や時間によってケジメがつくものではないし、終わるものでもない。日本国憲法は、それが公布された時点では先駆的な文書であったし、私たちが今回の取材で再確認したように、今も世界中の人々が求めてやまない理想を示している。日本にとって、この時期にそれを捨てることは、歴史の潮流に逆らう行為だ。 私が初めて日本を訪れたのは1969年のことである。その頃、ベトナムのジャングルでは50万人以上のアメリカ兵が戦っていた。私は16歳だった。当時のアメリカには徴兵制があったから、いずれは自分も不当で無節操な戦争に参加しなければならないという不安を感じていた。日本の平和憲法は、アメリカにあふれ返る軍国主義と明確な対照を成す、悟りと知恵の極致のように思えた。そのことが、日本にいるといつもやすらぎを感じられた理由の一つであろうし、私が長い間、日本に住み、日本で子供たちを育てようと決めた大きな理由ともなっている。将来、私の子供たちが、平和憲法をもつ国で子供を育てる道を選択できなくなるかもしれないと考えると、恐ろしくてならない。 平和憲法と、それに守られている人権は、空気のようなものである。私たちはそれらを当然のものと感じ、ことさら考えてみることがない。現在の改憲論議は、私たちに憲法の意味をふたたび気づかせてくれる。日本に住み、日本で働き、日本で家族を育んでいるすべての人にとって、それがなぜ、どのようにして書かれたのか、そしてどうすればその精神を守り、広げていけるかを考えるよい契機となる。
ーーーーーー転載終わり
憲法9条が現実的に危なくなった。
2005年より情勢はより厳しくなった。
若者は憲法9条の大切さがわかっていない。
わかっているシニア世代がリードしなくてはならない。
50年前は学生がリードしたが、今は期待できない。
残念ながら。
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