皆さん、ご存知ですか?
松花堂弁当の由来を。
江戸時代の文化人 松花堂昭乗さんから始まったのです。
wikiをお読みください。
一部引用します。
「松花堂」の名は、江戸時代初期の石清水八幡宮(京都府八幡市)の社僧であった松花堂昭乗(1584年(天正12年) - 1639年(寛永16年))に因むものである。昭乗は、農家が種入れとして使っていた器をヒントにこの形の器を作り、絵具箱や煙草盆として使用していた。
昭乗さんは弁当箱として使っていたわけではありませんが、引用します。
その入れ物が松花堂弁当に発展したのは、それから数百年を経た昭和の初め、1933年頃とされる。貴志彌右衛門の大阪(桜宮)邸内の茶室「松花堂」で茶事が催された折、彌右衛門が後年日本屈指の名料亭「吉兆」の創始者となる湯木貞一に、この器で茶懐石の弁当をつくるようにと命じたのがはじまりである(昭和8年「西田幾多郎日記」 太田喜二郎「絵茶會記」より)。その後、毎日新聞が「吉兆前菜」として取り上げたことで話題となり、松花堂弁当の名が広まった。
なるほどよくわかりました。
では、松花堂昭乗さんてどんな方?
こちらからどうぞ。
では松花堂庭園について紹介します。
庭園に入ってすぐに目につくのは、吉井勇さんの案内看板です。
この近くに戦後の一時期住んでおられました。wikiです。歌人として有名ですね。
男山の山頂で撮影したと思われる。写真です。歴史的な方ばかりですね。
男山といえば竹ですね。エジソンがフィラメントに使用ことで有名です。こちらから
さながら竹の植物園です。
入口で鯉のえさを買いました。
馬酔木です。あまり見ませんね。
実はこの庭園には茶室が四つもあるのです。
竹を利用した垣の種類が豊富です。
もちろん茶室にも使われています。
竹を材料にした垣根がこんなにあるのですね。
日本家屋は、土と木と竹と草(屋根)でできていることが分かります。
落ち着きますね。
お読みいただきありがとうございました。
💛ウクライナに平和を💛