北の心の開拓記  [小松正明ブログ]

 日々の暮らしの中には、きらりと輝く希望の物語があるはず。生涯学習的生き方の実践のつもりです。

再びのアルテピアッツァ

2005-05-01 23:54:42 | Weblog
 5月を迎えたというのに北海道は気温が低く、札幌の天気は雨。まったく行楽地にしてみれば、恨みの雨でしょう。

 ただいま「掛川奮闘記」から「北の心の開拓記」ブログへの移行推進運動の始まりです。

 連休明けには「エンピツ」からブログへ一本化する予定です。気持ちも切り替えて、新しい時代を迎えましょう。

 
 さて今日は、
■再びのアルテピアッツァ
■情熱の原点 の2本です。

【再びのアルテピアッツァ】
 旭川から娘も帰ってきていて、連休中の予定を考え合わせると、家族で出かけられる日は今日しかない、という結論に達して、どこかへお出かけしようと言うことになる。

 ところが朝から小雨交じりのうっとうしい天気。半ばあきらめかけたところだったが、小やみになったようなので思い切って、先日公務で訪ねた美唄市のアルテピアッツァを再度見に行くことにした。

 アルテピアッツァはイタリア語で「芸術広場」と言う意味。その名の通り、美唄市出身の彫刻家安田侃(やすだかん)さんの大理石彫刻の数々を元小学校であった敷地の中に不思議な、それでいて落ち着きのある配置で

 安田侃さんは、美唄市出身で現在60歳。北海道教育大学岩見沢分校を卒業後、東京芸大に進んで彫刻の道を歩んだのだそうだ。



 炭坑のまちの故郷美唄が寂しくなっていくことを憂いて、自分の彫刻がなにか力になれないか、と思い立ち、栄小学校の体育館を利用したアトリエをさらに発展させて、かつての小学校の敷地全体の芸術広場として、自分の作品群を置き、何かを訴えようとしている。

 体育館の中におかれた作品群、そしてかつての小学校の校舎の教室におかれた作品たちをみて、何かを感じることは多いはずである。

 「僕は大理石の中にある形を面の連続として探し出しているんです。」、「良い彫刻と悪い彫刻は、子供でも分かります。ほんのちょっとした違いでしかないんだけど、はっきりと分かるんです」

 最初は具象から始めて、巨大な大理石から柔らかな曲面を探し当てるように削り出す安田さんの作品には、どこか暖かみがある。

 静岡にも伊東市の野間口幼稚園の敷地に一つ彼の作品が置かれているという。機会があったら掛川の皆さんも見てみてはいかが?

 この小学校跡の校舎は、今では栄幼稚園として一部が使われているのだそうだが、市内からは離れているにもかかわらず、「安田さんの作品を置くようになってからは、市内の幼稚園よりも希望者が多くなりました」と市役所の方が教えてくれた。

 これほどの情操教育もないだろうなあ。

 
【情熱の原点】
 掛川の知人から長いメールが来て、「自分たちの活動を知らせるためのパンフレットを作っているのだけれど、なんだか文章がうまく書けなくて、セミプロに頼みました。一見うまくいったように思えたのだけれど、読んでもらった関係者からは、『文章は読みやすくなったけれど、伝えたかったものがなんだか含まれていないような…』という反応でした」とのこと。

 改めて文章を見直し作業を始めたというところで、私が北海道土木遺産のパンフレット作成で触れた「本当に『このことを伝えたい』という情熱ある人がかかないとだめですよ」という文章を思い出した、とのことでした。

 それに対して私からも一言言いたくて、あるエピソードを思い出しまいた。

 それは、かつて私があづみの公園でのエリア設計をしていたときに、ある委員から「あなたのしたいことを一言で言ってくれ! ごちゃごちゃした説明はいらない! 一言で伝わる情熱を見せてくれ!」と言われたことでした。

 その方はテレビプロデューサーだったのですが、テレビ番組を作るときの企画を審査するときがまさにその「一言で言え」なのだそうです。

 良い企画は一瞬にして分かるので、それが分かりさえすれば、すぐに予算をつける。しかしいくら聞いてもぐずぐずと中身が分からないようなものは、逆にもう説明を聞くのを止めるのだそうです。「時間の無駄」だそうです。

 なにか活動をしていて、それを広めたいと思うならば、その活動を通じて本当にやりたいことを、一言で言ってみると良いのではないでしょうか?それが全てのはずです。

 情熱の火を消してはいけません。自分自身の情熱の火を消すのは他人ではなく、常に自分自身でしかありません。

 強いて言えば、パンフレットを作ることを目的にしてもいけないように思うのです。パンフレットを作ることは、皆さんたちの活動の道具の一つに過ぎないはずです。

 決しておろそかにして良いわけではないけれど、それを使ってどういう風に、自分の思いを果たすかの方が重要なのだと思うのです。

 極点な話としてパンフレットの文章なんか下手でもいいんです。そういうものを営業用の道具として使ってたくさんの人に会って、お話を聞いてもらうことの方が大事なんです。

 配っているパンフレットをもらっていくだけの人がたくさんいたって、あまり意味もないのかもしれません。パンフレットなんかなくたって、「あんたの目を見れば分かったで!」と言ってくれる人だっているはずです。

 誠の心があれば通じる人は必ずいるはずで、そういう人たちを見つけながら、関係性を深めて行くことがやがて力になるはずですよ。

    *   *   *   * 

 そんなお話をしました。

 情熱の火を消すのは他人ではなくて、大抵は自分なんですね。さあ、明日を信じて、おおらかに参りましょう。

安田侃さん「北の心の開拓記」
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする