北の心の開拓記  [小松正明ブログ]

 日々の暮らしの中には、きらりと輝く希望の物語があるはず。生涯学習的生き方の実践のつもりです。

床屋談義

2005-05-22 23:24:24 | Weblog
 約一ヶ月ぶりの床屋さん。やはり床屋談義スローライフだ。

 さて、ただいま「掛川奮闘記」から「北の心の開拓記」ブログへの移行推進運動中です。こちらへの移行をよろしくお願いします。

 
 さて今日は、
■床屋談義 の1本です。

【床屋談義】
 約一ヶ月ぶりに、いきつけの床屋さんへ行く。

 床屋さんの良いところは、日頃の四方山話が聞けることで、10分で千円という安くて早い床屋さんにはない醍醐味である。

 「最近変わったことはありましたか?」と私。すると
 「先日北海道神宮に花見に行ったんですよ。でも今年は寒くてひどい目に遭いましたよ」

 「それは大変でしたね。バーベキューでもすれば良かったでしょうに」
 「それが神宮では規則で、火を使えるのが5月15日までと決められているんですよ」
 
 「普段の年ならいざ知らず、こんなに寒い年なんだから良さそうなものですがね」
 「なかには知ってか知らずか、火をたいている人もいたんですけど、すぐに警察が来るんですよ」

 「見張っているんですか?」
 「いや、あの辺には外国の領事館なんかが多いから、そこで番をしている警官が飛んで来るみたいですよ」

 なるほど、例年であれば5月15日というのは一つの標準なのだろうけれど、今年の北海道の春は例年にない寒い春。

 こういう年回りにもかかわらず、一度決めたことは現場の事情がどうであろうと変えられないものなのだ。

 これを変えることができるとすれば公園管理者の権威と言うことになるのだろうけれど、権威を引き下ろしてしまった今日、大衆は自らの内なる反対者に勝てずに、一度決めたことを墨守して「事足れり」としてしまうのである。

 世の中には時として善良なる権威が必要な所以である。

    *   *   *   * 

 「最近のおそば屋さんの話ですけどね」とご主人。
 「ほうほう、蕎麦屋さんの話題ですか」と私。

 「なんでも60過ぎくらいのおじさんが、『蕎麦打ちを覚えたいので、日中はただで働くから蕎麦打ちを教えて欲しい』と言って弟子入りを志願する年寄りがいるんだそうですよ」

 「へー、それは初耳ですね。でも年を取ってから習うんじゃ大変かな」
 「その蕎麦屋の店主も言っていましたよ。『今から習うんじゃ、自分が食べる程度ならいいけれど、プロにはなれませんよ』ってね」

 それにしても、団塊の世代の進出恐るべし。若者よ、今から蕎麦を打っておかないと、年を取ったときの弟子入りはライバルが多そうですぞ
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする