北の心の開拓記  [小松正明ブログ]

 日々の暮らしの中には、きらりと輝く希望の物語があるはず。生涯学習的生き方の実践のつもりです。

まちづくり対決公開スパーリング

2005-05-19 23:22:51 | Weblog
 まだ小雨が残る一日。え~い、うっとうしい!

 さて、ただいま「掛川奮闘記」から「北の心の開拓記」ブログへの移行推進運動中です。こちらへの移行をよろしくお願いします。

 
 さて今日は、
■公共事業は悪ですか~大石さんの講演
■まちづくり公開スパーリング の2本です。

【公共事業は悪ですか~大石さんの講演】
 国土交通省技監として、国交省や公共事業擁護の立場からするどい意見を放つ大石久和さんが来道されて、「国土学とは何か」というテーマで一時間のご講演をいただいた。

 日頃から悪いイメージばかり植え付けられている公共事業について、「地域を強くする」「より安全にする」事業という視点を再認識して欲しい、と言うのが基本的なスタンス。

 その中にあって、世界中が自分たちの国土を使って国の地位向上を図っているという世界規模の競争という現実にあって、この国家間競争に、特にアジアの中での国家間競争に耐えて勝って行かなくては日本のように資源のない国はたちまち滅びてしまうのだ、という危機感がないのではないか、という問題提起は心に響く。

 公共事業こそが、世界と戦う国造りの手段なのだ。

 例えば隣国の中国は、日本の高速道路が3000kmだった15年前には、高速道路は全くなかったのである。

 そして15年が経過して、日本の高速道路距離が7400kmに伸びた今日、中国の高速道路距離はなんと34000kmになっているのである。そしてなおかつ今現在年間4000kmのスケールで延長が伸びているのである。

 これが中国と日本の現実の差である。土地が社会のもので住民を立ち退かせるのに国家権力が躊躇しない共産主義社会とはいえ、これが中国と日本のインフラ蓄積努力の差であると言えるだろう。

    *   *   *   * 

 北海道も北海道自身が我が国全体にどういう形で貢献できるのかを考え、それを実行していかなくてはならない。

 食料、観光など期待のかかる項目はいくらでもある。大石さんに勇気づけられるまでもなく、やらなくてはならないことは多いのである。


【まちづくり公開スパーリング】
 北大土木工学科のまちづくりを勉強している講座から、「公開スパーリングをします」というご案内メールが届いたので、参加してみることにした。

 公開スパーリングとは、まちづくりに関して学んだ事柄をベースにして、修士一年目(いわゆるM1)が論を展開し、それをすでに多方面で活躍する社会人たちが受けて立つ、という趣旨のディベートのようなものらしい。

 元来、私の出身の学部学科ではないのだが、まちづくりとなると黙っては居られない。新進気鋭の学生たちがどのような論で社会人に立ち向かうのかは興味津々で、仕事を終えてから会場へと向かう。

 北大近くの会場ではすでに学生が30人ほど、それに社会人とおぼしき男女が20名ほどたむろしていて、なんだかわくわくしてくる。

 しかも「公開スパーリング」と銘打ったとおり、会場のセッティングでは三段のロープで四角く囲われた場所が用意されていて、そこの対角線に対決する二人のいすが用意されている凝り様である。

 今日の対決は5試合。では対決の様子と感想を述べて行こう。

☆第一ラウンド☆
 第一ラウンドは、学生がS君で対戦相手は「二条市場界隈のマドンナ」というまだうら若き建築家のT嬢。

 対象区域を札幌創成川東地区に求めて、「歴史的な歴史や履歴があるのに、それらが活かされたまちづくりがされていないのはなぜか」というテーマである。

 この対決、テーマが自分の主張になっていなくて「どうしたらいいのでしょう?」になってしまって、残念ながらお互いの立場が不明確なため、ディベートになっていない。

 私のコメントがあるとすれば、「歴史の曰く因縁だけでまちができるわけではないし、そのことを意図したまちづくりは誰が担うべきかという、語りかける対象も不明確なので、そのあたりを勉強してから再挑戦を望む」でしょうか。

☆第二ラウンド☆
 次は、「商店街の次の一手は?」という対決である。これは琴似商店街をフィールドにして、対決相手は大学卒業後に岩見沢商店街でラーメン店を経営する若大将のT君。

 実は一番この対決を注目していたのだが、残念ながらこれも凡戦。ディベートにするには、立場を明確にして問題提起をしなくちゃだめなんだよ~。

 T君の発言で「まちづくりの担い手は住んでいる人のはずなんだけど、今の商店街には人が住んでいないのが問題。商店街組合なんて実はバラバラ。アダプトプログラムはうさんくさい」というのが印象的。

☆第三ラウンド☆
 対決テーマは「都市マスは憲法ではないのですか?」で、選手は学生M君に「まちづくり界のDr.K」ことコンサルタントにお勤めのKさん。

 問題意識は「地方分権の期待を受けて作られた都市計画マスタープラン制度だが、これが義務化されて10年以上経つものの、これで町が良くなったという話を聞かないし、調査結果でも自治体があまりこれを活用していない」というもの。

 これが一番ディベートらしくて、面白く聞けたのだが、Dr.Kの方が易しめのパンチしか繰り出さないから、論点がぼやけてしまっている。

 そもそもDr.Kの方が学生さんの言い分に賛同していることもあるものだから、パンチが鈍ってるのだ。

 たまりかねてセコンドから私が乱入。乱入はレフェリーが認めれば許されるのだ。

 私の主張は「そのときの首長があらゆる政策判断の結果、今そして将来の住民が幸せになるという判断をしたのであれば、それが優先されて良いのではないか。都市マスを守った結果市民が幸せになれないとすれば、そちらの方が間違いではないか」というもの。

 まあ言葉の遊びなので、半分はそう思っているし、半分はそうは思っていない上での発言なのだが。

 すると応援したはずのDr.Kの方から逆に質問があって「そんなことをして、10年後にその結果として不幸になるとしたらどうするのか?」というもの。おいおい、こっちは加勢しているのに~(^-^;)。

 これへの反論は「それは10年前の政策判断を受けて、そのときの担当者が知恵を絞って問題の解決に当たるべきである」という当たり前のこと。

 行政の幅の広い調整内容の中で、都市マスのような憲法は大事にした方がよいのだが、おうおうにして首長の都合で変えられてしまうことも多い。

 それを首長の独断を許さずに長期的な町の幸せを計画するのが趣旨のはずだが、民選で選ばれる人の立場というものは役人とは違って重いものがあるものだ。

 この現実の狭間で制度は揺れるのだ。学生諸君、早く社会にでてこの荒波を経験してくださいな。

☆第四ラウンド以降☆
 第四ラウンドは「次の世代の農村フォーメーションは?」で、もっと農村に住むような土地利用の方策があるのではないか、という提案。

 これはでは言い出した学生君が、農村に住みたいと思いますか?というのが痛烈な反撃。

 なぜ人は農村から離れて行くのか。その理由は単に土地利用のことだけではなくて、生活を支える多くの機能が次第に脆弱になっているせい。

 榛村市長の言葉を借りれば、「六つの『通』つまり、通勤、通学、通院、通商、通婚、通信がなくなって行き、人は里へ下りる」というもの。

 魅力という攻めの要素だけで人は動くのではなく、そこに生活インフラという守りの要素があって初めて人は安心な暮らしができるのだ。その点を十分に考えてね。

 第五ラウンドは恵庭市の花の町作りを取り上げたけれど、これもまたディベートにはなりきらず不完全燃焼。

 こういう形をいつからやっているのか、と訊けば「今回が初めての試みです」という。なるほど、こういう形で回を重ねれば上手になると思うよ。

 それにしても、決定的に改善して欲しいことが何点かあったのは、
①声が小さすぎてダメ。プレゼンテーションはとにかく「聞こえること」が最低条件、

②ディベートなのだからお互いの立場をはっきりとさせて議論させること、

③手加減しないこと、社会人が優しすぎてダメ。すごんでビビらせることは不必要だが、もっと学生を黙らせるくらいの経験はあるはず。

 でも総合的には面白い取り組みであった。

 スパーリング後の飲み会にもなだれ込んで、気がつけば夜の12時半。

 学生さんたちと話していると青春が甦るわ。あ~面白すぎ。         


コメント (2)
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