北の心の開拓記  [小松正明ブログ]

 日々の暮らしの中には、きらりと輝く希望の物語があるはず。生涯学習的生き方の実践のつもりです。

まよわず成仏してくだされ

2005-05-27 23:20:35 | Weblog
 今日もなんとか日中は天気も良くてすがすがしい陽気でした。北海道の春はこうありたいですね。

 さて、ただいま「掛川奮闘記」から「北の心の開拓記」ブログへの移行推進運動中です。こちらへの移行をよろしくお願いします。

 
 さて今日は、

■調整という仕事 の1本です。

【調整という仕事】
 私の所属する課には「調整」という文字が入るくらいで、他の課や局、外部機関と調整をする案件が実に多い。

 また他の特定の事業部門に属さないものや複数の事業部門にまたがる案件も当課の所掌事項であるので、実に様々な案件が持ち込まれるのである。

 こういうときには「これは取りに行くべき」とか「これはつっこむと危ない」と言った判断が実に大事になる。

 この判断を誤ると、無用の苦労を背負い込んだり、消極的な姿勢を批判されたりするので、いずれにしても「上司から叱られる」という面白くない立場に立たされるからである。

 確かに公共事業を一手に引き受けるわが官庁であるので、中には批判的に見る方もおられるだろうし、期待が高ければこそ期待がはずれたときの思いも複雑になることだろう。

 私としては基本的なマインドとして、「仕事はまず幅広く受けてから、情報収集と情勢を見極めて判断するのが良いのではないか」と考えている。

 案件が発生したときにまず「うちの課に属す仕事かどうか」で他の課とやりとりをするのはあまり生産的ではない、と思うたちなのでまず受けてから考えるというやり方で8割はカバーできるというのが、今までの感覚である。

 すると当然残りに2割程度はやや、もしくは大変危ない内容を含んでいるものもあるのだが、「デッドボールや三振を恐れてバッターボックスには立てない」と思う気持ちを大事にしたいものである。

 私が常々思っているのは、「仕事とは成仏できない迷える霊」のようなもので、これを成仏させる霊能力者の周りには霊が集まるように、「この人にとりつけば成仏させてもらえる」と仕事の側が思った人に集まるようにできているのである。

 だから仕事を一つ片づけたときは仕事が「ありがとうございました」と感謝しながらあの世へ成仏して行く姿が見えるような気がするものだ。

 逆に「この人にとりついても成仏させてもらえない」と思われれば仕事の方がその人を避けるようになるので、忙しい人はますます忙しく、暇な人はどんどん暇になるような気がするのである。

 迷えるかわいそうな仕事を今日も成仏させてやろうではないか。

    *   *   *   * 

 それにしても、ある特定のところから持ち込まれる仕事はたちが悪くて、なかなか成仏させることはおろか、除霊まで持ち込めずに苦労するものが多い。

 誰からも好かれない仕事というのも因果なものだ。

 おっと、あなたの背中にも仕事が張り付いているのが見えますぜ。でもご安心をどうやら質の良い仕事のようですから、楽しみながら成仏させてあげてくださいまし…。 

    *   *   *   * 

 明日、明後日は掛川に行っています。私用があるのですが、昔の仲間にたくさん会えると良いのですが。 
コメント (3)
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