北の心の開拓記  [小松正明ブログ]

 日々の暮らしの中には、きらりと輝く希望の物語があるはず。生涯学習的生き方の実践のつもりです。

がんばれ稚内

2005-05-20 23:52:50 | Weblog
 朝から久々の快晴で、気温も高くなりそうで、春を通り越してもう初夏?

 さて、ただいま「掛川奮闘記」から「北の心の開拓記」ブログへの移行推進運動中です。こちらへの移行をよろしくお願いします。

 
 さて今日は、
■稚内の話題 の1本です。

【稚内の話題】
 知人を介して話をしているうちに、稚内の都市再生の話になり、稚内市の担当課長以下がちょうど札幌へ来ているというので、訪ねていただくことにした。

私は保育園に入る前の3歳の頃から小学校3年生までの稚内で過ごしていたので、子供の時の原風景は稚内なのである。

 稚内市の人口は、この4月末で約4万2千人。私が居たときには人口は5万人、と言っていたものだからやはり次第に人口も減ってきているようだ。

 稚内市からは課長さん以下4人が訪ねてきてくださったが、課長さんが稚内市の声問のご出身だという。

 声問には小学校1年生の2学期と3学期を過ごした集落で、よくよく聞けば課長さんと同じ時期に共に、声問小学校に通っていた時期がありそうである。

 私がいた頃はまだ国鉄に天北線があった頃で、駅から家までのイメージ図をお見せすると、「実によく分かります」とおっしゃる。縁は異なものである。

 現在稚内では、サハリンとの交流を進めていて、学生交流などが盛んに行われているものの、一方ではロシア人とのトラブルもないわけではなく、これからのあり方を模索しているところだという。

 ロシア的なイメージづくりもこれからの観光やまちづくりの柱として効果的かも知れないと、勉強を始めようとしているとのことで、私も公私を分かたず応援したくなるのである。

    *   *   *   * 

 家から声問小学校までの約1kmの間は夏になるとハマナスが咲き、「この実は食べられるんだよ」ということを聞いて、実をかじってみたがまずくてはき出したのをつい昨日のことのように覚えているものだ。

 「稚内から石垣まで」が都市再生のキーワードである。がんばれ稚内。 
コメント
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