今日も気温が低くて気分が盛り上がりません。
ただいま「掛川奮闘記」から「北の心の開拓記」ブログへの移行推進運動中です。こちらへの移行をよろしくお願いします。
さて今日は、
■緑の原稿依頼に思う の1本です。
【原稿依頼】
私の専門は造園学、ということになっていて、公務員として働くようになってからも、造園業協会とのおつきあいは長く、ずいぶんといろいろなことを教えていただいたものだ。
北海道には造園業者の皆さんの団体として、昔は社団法人北海道造園建設業協会やおなじく社団法人の公園緑地管理業協会、社団法人北海道植生建設業協会など、まあある意味では似たような分野の協会があった。
ところが私が掛川へ行っていた3年間の間の平成16年に、この三つの団体が統合をして社団法人北海道造園緑化建設業協会として再スタートを切ったのだそうだ。
ある意味では撤退という人がいるかも知れないが、勇気ある前進なのだと評価したい。
日本経済が拡大することを前提とできなくなったときに、身を引き締めて寒風に耐える姿勢を示したのである。
変化を厭うような心構えで、前の日から何も変えようとしない気持ちが蔓延する中で、ご苦労は多かったろうと思うけれど、変革したというその行動を評価したいと思うのである。
さて、この新しい社団法人には知人もいるのだが、そのなかのお一人のKさんが訪ねてきて、「おかえりなさい。早速ですがわが協会の会報に原稿を書いてくださいよ」と依頼をしていった。
「題も自由」と言うことで、もちろんお断りをするはずもなくお引き受けをしましたよ。
緑にこだわることもないのだけれど、「万緑化」を唱えて「緑化は絶対善!」と言い切った榛村前市長の姿が脳裏に浮かんでしまう。
* * * *
榛村前市長との思い出で面白かったのは、「地区集会」という市内を20の地区に分けて年に一度市長以下幹部がその地域の集会場を訪れて、地元の住民の皆さんと行う懇談会だった。
最初に掛川に行った年のある地区で、最後の質問タイムの時にある市民の方から手が上がって、「今度の助役さんは緑の専門家とおっしゃるけれど、うちの家の前の街路樹の葉っぱが落ちて、それが家の隅に大量に吹き溜まって困る。なんとかしてほしい」という。
榛村前市長はまず自分の考えを述べて「昔は街路樹が200本くらいしかなかったのを、私の在籍中に2万本にした。緑化は絶対善と信じています。市民の皆さんには生涯学習で落葉の清掃にご協力していただきたい」というようなことを言った後に私に「助役さんも何か一言言ってください」と振った。
そのとき私が答えたのは、「私の故郷北海道では、冬になると雪が降って、約4ヶ月の間降る雪の雪かきをしてから仕事に向かいます。しかし北海道で天に向かって『雪よ、振るな』という人は多分いないと思います。掛川は冬に雪が降らないでしょうから大変恵まれています。落葉は常緑樹でも年に4回ほどのことですから、緑の恩恵に感謝しながらご協力をお願いいたします」というものだった。
さすがにそう言う切り口でこられるとその質問をされた方も黙ってしまった。
「北海道は冬に雪が降るけど、雪に文句を言う奴はいない」というフレーズはその後市長の気に入るところとなり、市民から落葉に関する苦情が来たときには「うちの助役さんの故郷は北海道で…」と言っては市民の不満を受け流していたものだ。
実際、では北海道で落ち葉に文句を言う人はいないか、というと、おそらく掛川以上に文句を言う人の方が多いのではなかろうか。
私が見る限り掛川の市民の人たちの方がよほど我慢強く写ったし、北海道の道民の方がこらえ性がないと思ったものだ。
暑い夏は緑陰の恩恵を被っていながら、さもそれは当然のように感じ、世話になった葉が落ちる頃にはそれを悪者扱いするというのは、そもそもその木に対する関わりがないせいだ。
本当は街路樹などは、誓約書を書かないまでも一番近い家の方が好きこのんで世話をしてくれるという了解の下に植えられるのが幸せだ。
最近でこそアダプトプログラムという、公共施設と住民が養子縁組を結んで愛着を持って管理するという制度が見られるようになったが、公共施設との関わりがあれば大事にもするし、管理を手伝う気持ちにもなろうというものである。
そう言う意味においては、私は「メンテナンスフリー」の功罪の罪の側面を見るのだが、往々にして管理費が出ない公共施設はとにかくメンテナンスをしないことが善とされがちである。
実はそういう「お気楽管理で安く持てばよい」という思想が、日本から景観を奪ったとも言えるのであって、手入れのいらない自然景観はいざ知らず(実はそれとて一定の管理が必要な場合が多いのだが)、人文景観となると、人間の関わりとは切っても切り離せないものなのだ。
世代を超えて管理をし続ける人間のとぎれないパフォーマンスが結実した景観は日本から消えかけている。
それはとりもなおさず、現代の我々が「管理をする」「手入れをする」という思想に欠けているからで、ある種のお気楽な気分が蔓延しているせいなのだとおもう。
* * * *
「手入れをする」思想を善とする思想が甦らなければ、真に100年の風雪に耐える景観を我々は手にすることができない、と思うべきだろう。北海道が風景や景観で売り出そうとすれば、美瑛の丘のように実はそれを生業とする組み合わせが一番好ましいのだ。
以前白川郷を旅したときに、世界遺産にもなった合掌造りの家並みに圧倒されつつ、観光案内をしてくれている一軒の家でお話を伺った。
するとその家の方は「昔はこの茅葺きも、家の中の囲炉裏の煙のおかげで50年は持ったものですが、今は暖房が変わってしまったので25年くらいしか持ちません」ということだった。
「屋根を葺き替えるのにはどれくらいお金がかかるのですか?」と尋ねると、
「大体2500万円から3000万円くらいかかります」とのこと。
「世界遺産になるとなにかお金が補助されるのでしょうか?」
「それはありません。皆自分たちでお金を貯めて、あとは助け合いながら葺き替えています」ということだった。
結局我々は私有の財産を楽しませてもらっているのだが、その楽しみは直接にはお金を生み出せないのが今の社会構造なのだ。
手入れを重ねた結果としての景観、風景にお金が回らないシステムは誠に残念だ、と思う他はないのである。
さて、本当は拙著「掛川奮闘記」の「お手入れの思想」の項を読んでいただきたいものです。多分まだ掛川でも売れ残っているはずですから(^-^;)。
おうい、掛川の山下君、売れ残っているのは何冊でしたか?また私が買い支えようと思うのですがねえ(笑)
ただいま「掛川奮闘記」から「北の心の開拓記」ブログへの移行推進運動中です。こちらへの移行をよろしくお願いします。
さて今日は、
■緑の原稿依頼に思う の1本です。
【原稿依頼】
私の専門は造園学、ということになっていて、公務員として働くようになってからも、造園業協会とのおつきあいは長く、ずいぶんといろいろなことを教えていただいたものだ。
北海道には造園業者の皆さんの団体として、昔は社団法人北海道造園建設業協会やおなじく社団法人の公園緑地管理業協会、社団法人北海道植生建設業協会など、まあある意味では似たような分野の協会があった。
ところが私が掛川へ行っていた3年間の間の平成16年に、この三つの団体が統合をして社団法人北海道造園緑化建設業協会として再スタートを切ったのだそうだ。
ある意味では撤退という人がいるかも知れないが、勇気ある前進なのだと評価したい。
日本経済が拡大することを前提とできなくなったときに、身を引き締めて寒風に耐える姿勢を示したのである。
変化を厭うような心構えで、前の日から何も変えようとしない気持ちが蔓延する中で、ご苦労は多かったろうと思うけれど、変革したというその行動を評価したいと思うのである。
さて、この新しい社団法人には知人もいるのだが、そのなかのお一人のKさんが訪ねてきて、「おかえりなさい。早速ですがわが協会の会報に原稿を書いてくださいよ」と依頼をしていった。
「題も自由」と言うことで、もちろんお断りをするはずもなくお引き受けをしましたよ。
緑にこだわることもないのだけれど、「万緑化」を唱えて「緑化は絶対善!」と言い切った榛村前市長の姿が脳裏に浮かんでしまう。
* * * *
榛村前市長との思い出で面白かったのは、「地区集会」という市内を20の地区に分けて年に一度市長以下幹部がその地域の集会場を訪れて、地元の住民の皆さんと行う懇談会だった。
最初に掛川に行った年のある地区で、最後の質問タイムの時にある市民の方から手が上がって、「今度の助役さんは緑の専門家とおっしゃるけれど、うちの家の前の街路樹の葉っぱが落ちて、それが家の隅に大量に吹き溜まって困る。なんとかしてほしい」という。
榛村前市長はまず自分の考えを述べて「昔は街路樹が200本くらいしかなかったのを、私の在籍中に2万本にした。緑化は絶対善と信じています。市民の皆さんには生涯学習で落葉の清掃にご協力していただきたい」というようなことを言った後に私に「助役さんも何か一言言ってください」と振った。
そのとき私が答えたのは、「私の故郷北海道では、冬になると雪が降って、約4ヶ月の間降る雪の雪かきをしてから仕事に向かいます。しかし北海道で天に向かって『雪よ、振るな』という人は多分いないと思います。掛川は冬に雪が降らないでしょうから大変恵まれています。落葉は常緑樹でも年に4回ほどのことですから、緑の恩恵に感謝しながらご協力をお願いいたします」というものだった。
さすがにそう言う切り口でこられるとその質問をされた方も黙ってしまった。
「北海道は冬に雪が降るけど、雪に文句を言う奴はいない」というフレーズはその後市長の気に入るところとなり、市民から落葉に関する苦情が来たときには「うちの助役さんの故郷は北海道で…」と言っては市民の不満を受け流していたものだ。
実際、では北海道で落ち葉に文句を言う人はいないか、というと、おそらく掛川以上に文句を言う人の方が多いのではなかろうか。
私が見る限り掛川の市民の人たちの方がよほど我慢強く写ったし、北海道の道民の方がこらえ性がないと思ったものだ。
暑い夏は緑陰の恩恵を被っていながら、さもそれは当然のように感じ、世話になった葉が落ちる頃にはそれを悪者扱いするというのは、そもそもその木に対する関わりがないせいだ。
本当は街路樹などは、誓約書を書かないまでも一番近い家の方が好きこのんで世話をしてくれるという了解の下に植えられるのが幸せだ。
最近でこそアダプトプログラムという、公共施設と住民が養子縁組を結んで愛着を持って管理するという制度が見られるようになったが、公共施設との関わりがあれば大事にもするし、管理を手伝う気持ちにもなろうというものである。
そう言う意味においては、私は「メンテナンスフリー」の功罪の罪の側面を見るのだが、往々にして管理費が出ない公共施設はとにかくメンテナンスをしないことが善とされがちである。
実はそういう「お気楽管理で安く持てばよい」という思想が、日本から景観を奪ったとも言えるのであって、手入れのいらない自然景観はいざ知らず(実はそれとて一定の管理が必要な場合が多いのだが)、人文景観となると、人間の関わりとは切っても切り離せないものなのだ。
世代を超えて管理をし続ける人間のとぎれないパフォーマンスが結実した景観は日本から消えかけている。
それはとりもなおさず、現代の我々が「管理をする」「手入れをする」という思想に欠けているからで、ある種のお気楽な気分が蔓延しているせいなのだとおもう。
* * * *
「手入れをする」思想を善とする思想が甦らなければ、真に100年の風雪に耐える景観を我々は手にすることができない、と思うべきだろう。北海道が風景や景観で売り出そうとすれば、美瑛の丘のように実はそれを生業とする組み合わせが一番好ましいのだ。
以前白川郷を旅したときに、世界遺産にもなった合掌造りの家並みに圧倒されつつ、観光案内をしてくれている一軒の家でお話を伺った。
するとその家の方は「昔はこの茅葺きも、家の中の囲炉裏の煙のおかげで50年は持ったものですが、今は暖房が変わってしまったので25年くらいしか持ちません」ということだった。
「屋根を葺き替えるのにはどれくらいお金がかかるのですか?」と尋ねると、
「大体2500万円から3000万円くらいかかります」とのこと。
「世界遺産になるとなにかお金が補助されるのでしょうか?」
「それはありません。皆自分たちでお金を貯めて、あとは助け合いながら葺き替えています」ということだった。
結局我々は私有の財産を楽しませてもらっているのだが、その楽しみは直接にはお金を生み出せないのが今の社会構造なのだ。
手入れを重ねた結果としての景観、風景にお金が回らないシステムは誠に残念だ、と思う他はないのである。
さて、本当は拙著「掛川奮闘記」の「お手入れの思想」の項を読んでいただきたいものです。多分まだ掛川でも売れ残っているはずですから(^-^;)。
おうい、掛川の山下君、売れ残っているのは何冊でしたか?また私が買い支えようと思うのですがねえ(笑)